第24話:邂逅の夜
二人は隠れるそぶりすら見せず、ただ普通に歩いて駐屯所の入り口までやって来ると、閉じられている正門をふわりと同時に飛び越え、堂々と敷地内へ入った。
この時、すぐ側にいた門番の兵士も、監視塔から眺めていた者も、屋上から見下ろす者たちも、誰一人何も気づかず、いつも通りの静かな夜の風景を眺めていた。
さらに、駐屯所を覆うように設置されていた、侵入者を検知する魔術結界すらなんの反応も示さないまま、二人は悠然と敷地内を闊歩し始める。
二人は正門から直進し、左右にある馬屋や、兵站倉庫を横目にしながら、既に灯りの消えた四階建てのガラバ駐屯所本館の正面に立った。
「んー……」
彼らはそこで少しだけ立ち止まった後、今度は右へと進路を取る。
その視線の先には、コの字型に配置された三階建ての兵舎が三つあり、彼らは目的地である最奥の兵舎へと、迷うことなく歩を進めた。
「……ん」
左右の兵舎に囲まれた道を歩いていたその時、アストの足がピタリと止まった。
それは、目的地である兵舎の入り口から、長い紫色の髪をした一人の女が現れたからである。
「よぉ……そこにいるんだろう?」
リリアナは笑みを浮かべながら、暗闇に向けてそう尋ねる。
見えてはいなかったが、それでも彼女は彼らがそこにいることを把握していた。
優秀な部下の鼻が、間違いなく二人がそこにいると、そう告げていたから。
「やっと会えたんだし、ちょいとお喋りでもしようじゃないか。それとも何かい? あんたまさか、こんな美人を誘っておきながら……"やっぱり面倒になった"とか言い出しちゃうクソ野郎なのかなぁ?」
「……フッ」
「おっ」
笑い声とともに、アストたちが姿を現す。
二人の姿を見たリリアナは、小刻みに頷きながら笑みを浮かべた。
「初めましてだねぇ……軍人殺し」
「軍人殺し? ああ……俺はそう呼ばれてるのか」
両者は三十メートル程離れた位置で向かい合う。
その時風が吹いて、砂埃が宙を舞った。
風はまだ少し、冷たかった。
「そりゃ名前を知らないからねぇ……しっかし、ちょいと若くはあるけどいい男じゃないか。お連れさんも目ん玉が飛び出るほどの美人だしねぇ。んー……やっぱり、さっき言った言葉は撤回するよ。どうやら、私は美人なんかじゃないらしい……んん? あんた、サイズを間違えたのかい? ……服がぱっつぱつじゃないか」
「あ、いやっ……これは……あぅぅ……」
黒と白を基調とした魔術士風のローブを着ていたルシファーは、恥ずかしそうに両手で身体を隠した。
「フッ……こいつは、胸と尻が無駄にでかいだけだよ」
「ちょっ!?」
「はははっ! なるほどねぇ……納得だ」
「ところで、あんたは?」
「私はリリアナ。憲兵隊特務課ってのに所属してる……ただのしがない働きアリさ」
弛緩していた空気が、そこでピンと張り詰める。
両者は互いを探り合うように、その視線を交わらせた。
「出来ればあんたの名前も知りたいんだけど……教えちゃくれないかねぇ?」
「んー……いや、実はまだ量りかねていてな。あの野郎に俺の名が伝わった時、素直にあいつに話すかどうか……希望を与えないようにするのか、それとも与えてから奪おうとするのか……あの野郎の性格と、あいつの現状が分からないから、どうしても慎重になっちまってな」
リリアナからすれば、全く意味の分からない内容であったが、彼女はただ黙ってそれを聞いていた。
それは無論、少しでも情報を引き出す為でもあったが───
「まぁ、今はそのまま呼んでおいてくれ。実際、その通りだしな」
「そうかい……ついでに聞かせて欲しいんだけど、なんでこんなことを繰り返してるんだい? ……それだけの力を持ちながら」
リリアナは既に感じていた。
静かに佇む二人から滲み出る、その強者のみが纏う空気を。
「ありきたりな理由さ。ま、詳しく話すつもりはないよ。無意味だしな」
「……復讐か。分かんないねぇ……アレクサンドリアに恨みがあるんだったら、今戦争中の東側諸国にでも仕官して、戦場で暴れりゃいいじゃないか。こんなちまちまやらんでも……あんたの力なら、そっちの方がよっぽど効率的だろうに」
「ああ、考えてはいるよ。ただ、それはそこに俺の目的があればの話だ」
「……だよね。なるほど……よく分かったよ。いや、正直なところ、もっと狂っちまってると思ってたんだ。まともに話も出来ないくらいにね」
だんだんと、少しずつ、互いの体勢が変化していく。
「まぁ、そう思われても仕方ないな。実際に狂ってる。いまだに、あの三人を殺した時の自分が分からないんだ。いや、ああした理由は分かってるし、理解もしてる……でも分からないんだ。いかれてるんだよ俺は」
脱力していた指先に力が入り、正面を向いて無造作に置いていた重心が、互いに僅かずつ前へと移動する。
「……あんたは快楽殺人者じゃないし、気狂いでもない。ま、確かに少々猟奇的でぶっ飛んじまってるがね……立場上、肯定は出来ないけど受容はしてやれるよ。というか、なんなら私より冷静だ。あんた、いくつなんだい?」
「十九歳だよ……肉体はな」
そして、体内で練り上げた魔力が微かに漏れ始め、視覚化されたそれが身体を覆うように広がり始めた。
「また含みのあることを……けど、そんなことはあり得ないよ。あんたの魔力がそう言ってる」
「いや、事実だよ。まぁ、普通の人間の生き方ではなかったってことを……付け加えればな」
両者はほぼ同時に臨戦体勢へと入る。
直後、リリアナの表情だけが、その険しさを増した。
「お前は下がってろ。今、俺が立っている位置を知りたい」
「……はぁい」
スッと、ルシファーが姿を消す。
それと同時に、リリアナは体勢を低く構えた。
「警戒しなくてもいい……と言っても、信じられないだろうけどな。だが、俺が命じた以上、あいつは手を出さない。相手は俺だけだ。勿論、あんたらは好きにしていい。俺が勝手にやってるだけだ」
魔力を迸らせながら、アストはマントの留め具を外して半身に構えた。
だが、その時リリアナは、完全に戦闘体勢へと移行した彼を見て、先程までとは全く違う印象を受けていた。
「……あんた、なんでそんなに───」
リリアナは、思わず言いかけた言葉を飲み込んだ。
まるで全てを諦めたかのように、感情を排除した彼の目は、およそ人が人に向ける目ではなかった。
それを見て、つい抱いてしまった感情から生まれ出るその言葉を、今から戦う者へと吐き出すべきではないと、彼女はそう思ったのだ。
「フッ……よしてくれ。嘲りも、共感も、反論も、同情もいらない。俺はただ……殺し続けるだけだ。立ちはだかるなら仕方がない。さっさと始めよう。時間稼ぎは……もういいだろ?」
「…………ああ、十分過ぎる程にね」
彼女がそう言った直後、アストの足元に、黒く鈍い光を放つ魔術陣が浮かび上がった。




