第15話:想い人への伝言
アストが掴んでいた髪の毛を離すと、彼の首がガクンと落ちる。
顎を失った彼の頭は、通常の可動域を超えて胸に埋まり、それを見たアストは、まるで壊れた人形のようだと、そう思った。
「ふっ……」
彼は今日、初めて人を殺した。
そして、彼が抱いた感情は、ただそれだけである。
「アストさん……まずは一つ、ですね」
背後からルシファーがそう声をかけるが、アストは何も答えず、ただじっとそれを見つめていた。
「……アストさん?」
「なぁ、ルシファー」
不思議に思った彼女が再度声をかけると、彼は沈んだ声でそう返事をし、さらに言葉を続けた。
「もう何千年前か覚えてないが、俺が読んだ本のセリフの一つにな……"復讐は何も生まない"ってのがあったんだよ。なんだか妙に……それが頭に残っててな」
ルシファーは悲しむような、憐れむような、そんな複雑な表情を浮かべながら彼の話を聞いていた。
というのも、彼女はこの世界に来てからずっと、自分はどうあるべきかという迷いを抱えていたのである。
王として、魔界を守る為にアストから資源を回収することを優先するのであれば、彼が望む復讐に全力で協力することが最善ではあった。
だが一方で、一万年という長い時を共に過ごした友人であり隣人として、復讐を続けることで彼がこれ以上壊れていくのを見たくないという感情もまた、同時に彼女の中には存在していたのである。
それは無論、自身のミスに対する負い目もありはしたが───
「アストさんは……どう思うんですか?」
故に、彼女はそう問いかけた。
すると、彼は天井を見上げた後───
「……決まってんだろ。俺はこの時を一万年……ずっと待ってたんだぜ?」
振り返り、彼はそう言って笑みを浮かべる。
ただ、その目は一切笑っていなかった。
「……そうですかっ! よかったですね! アストさんっ!」
「ああ……まさかこんな雑魚一匹で、これだけ心が満たされるとは思わなかったよ……ふふっ……この先のことを想像するだけで……気が狂っちまいそうだわ」
ルシファーは、嬉しそうに語る彼をニコニコと笑顔で見つめていた。
"それならばそれで仕方がない"と、そう思いながら。
「もうちょっと苦しめようかとも思ったんだが、まだ先もあるしな……ま、いい塩梅だろう。よし、アンドロマリウス。こいつから毒を抜いて、向こうにいるみんなで分けてくれ」
「あら、よろしいのですか?」
「ああ。これから色々と世話になるし、景気付けみたいなもんだよ」
「それはそれは……皆もさぞ喜ぶことでしょう」
「そりゃ何より……あ、忘れるところだったわ」
そう言うと、アストは魔力を練り上げ、手から黒い剣を瞬時に生み出した。
「おお……錬成魔術ですか」
魔力を消費し、頭の中で想像したものを現実で形にする、それが錬成魔術。
アストのそれは、この世界でも最高峰の練度であり、大抵のものは見ただけで瞬時に作り出せるが、内部を理解していない複雑な機械などは再現出来ない。
「早さも精度も申し分ない……見事なものです」
「ありがとよ……ま、すぐに終わるからちょっと待っててくれ」
スタインを拘束していた縄を切り、アストは彼の死体を魔術で宙へと浮かび上がらせ、空中に大の字の状態で固定した。
彼が使用した浮遊魔術は、対象の物体に魔力を流し、それを操ることで宙へと浮かせる高等魔術である。
自身に使用することも可能で、移動や戦闘時など、使う場面は非常に多い。
ただし、高度な魔力操作を要求される為、長距離の移動には向かず、また対象が魔力を保有していると操作が乱れ、上手く操れないことがほとんどである。
「アストさん、何をするんですかぁ?」
「んー、伝言……みたいなもんかな」
彼はそう言うと、スタインの右足を根元から切断する。
切断面から大量の血が床へと溢れ落ちる中、地面に落ちた右足も浮かせると、その膝上あたりを切断し、ナイフが突き刺さった太ももだけを椅子の上へと移動させた。
さらに、今度は彼の身体を操って頭を下げさせると、アストはそのままその首を切り落とす。
ごろりと床に転がる頭を踏みつけて止めると、残った部分をアンドロマリウスの目の前へと差し出した。
「こっちはいらないから持ってっていいぞ。みんなによろしく言っておいてくれ」
「承知いたしました。それでは───」
「あ、一つ聞きたいんだが、何か身体に異変はないか?」
ルシファーがこの世界に入ってから感じている違和感。
アストは、それが他の悪魔にもあるのかを確かめようとしていた。
「異変……ですか? いえ、特にありませんが……」
「ふむ……能力の使用に問題はなかったか?」
「ええ、まぁ……特段変わりはありませんでしたね」
「……分かった。引き留めてすまなかったな。ご苦労さん」
「は……では、また」
長い黒髪を地面に垂らし、深々と頭を下げたアンドロマリウスは、スタインの残骸を掴むと、そのまま床へと沈むように姿を消した。
「んー……私と何が違うんですかね?」
小首を傾げながら、ルシファーはそう言った。
「よく分からないな……ダンタリオンには聞くのを忘れてたけど、あいつも別に何も言ってなかったし……お前は相変わらずか?」
「はい。なんか……やな感じですっ」
子供のように頬を膨らませる彼女を尻目に、アストは顎に手を当てて思案するが、答えを出すにはあまりにも材料が足らな過ぎた。
「……ま、分からないものは仕方ない。世界を超えた影響なのかもしれないし、いったん様子を見よう」
「分かりました。あの、それで……伝言ってどういう意味ですか?」
「ん? ああ……こいつの死体がメッセージってことだよ。頭は誰か分かるようにする為で、この太ももは……俺がこいつにやられた部分だ」
あの日の夜を、アストはもう数え切れない程繰り返し繰り返し見続けてきた。
故に、彼は誰に何をされたか、その全てを記憶している。
つまり、これは意趣返し。
彼の復讐の道標。
「これから奴らを殺す度に、俺はこれを繰り返す。そうすりゃ、あのイカれ野郎はそのうち気づくだろう。殺されていってるのが、自分がかつて率いた部隊の奴らだと。分からせてやんのさ……俺の存在を。そして、自分の番がいずれ来るってことをな」
「な、なるほどぉ……そういうことですか」
「まぁ、他にもいくつか理由はあって……どっちかというと、今のはおまけだな」
アストはそう言って跪き、床に転がっていたスタインの頭を掴むと、それをそのまま椅子の上に置く。
血塗れの椅子の上に、目を見開いたままの顎のない頭部と、ナイフの突き刺さった太ももが並び、彼はそれを満足そうに眺めた後、今度はその座面に剣で文字を刻み始めた。
「んー?」
アストの背後からひょっこりと顔を出し、ルシファーは書いてある文字を読み始めた。
「えっと? 今は……人を殺したいほど……憎んでるよ……なんですかこれ?」
「メッセージだよ……フィオナに向けたな」
「フィオナさんに?」
「ああ。あの日、俺たちは二人で釣りをしてたんだ。そしたら、いきなりあいつが変な質問をしてきてな……"君は、人を殺したいほど憎んだことはあるかい?"って……今でもよく覚えてるが、その時は"ない"と、俺はそう答えたんだ」
アストは眉間に皺を寄せ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべるが、すぐに笑顔へと切り替え、ルシファーの方を向いた。
「きっと、フィオナもこの会話を覚えてる。あっちにとっては一年前だしな……だから、このメッセージがあいつに届けば、俺が生きていることを伝えられるって訳だ」
「ほうほう……」
「まぁ、あいつが今どんな状況にいるか分かんないから、あくまでそうなりゃいいって程度のもんだけどな。自由を奪われて、外の情報が入ってこない状態かもしれないし。けど、俺がこれを続けることで、新聞かなんかで話が広まってあいつの耳に入ったり、バルバロスの野郎が世間話の中でフィオナに話したりする可能性もある。とにかくフィオナの居場所を掴む術がない以上、今はこれに賭けるしかない。あいつだって人間だ……今は生きてるかもしれないが、心が折れちまう前に、手遅れになる前に……なんとか俺が生きてるってことを伝えたいんだ」
「なるほどぉ……でも、あれですね。アストさんって、狂ってるくせに結構冷静ですよね」
「……くせには余計だ。つか、そりゃ一万年も経てば色々と諦めもついて落ち着くし、冷静に考えもするだろうが。焦ってもいいことなんてないんだよ」
「まぁ、確かにそうかもしれないですけど……私が想像してたのは、とりあえず敵の本拠地に乗り込んで、全部一気にぶっ壊してフィオナさんを取り戻す! ……みたいな感じになるのかなって思ってました」
「それが出来りゃ楽でいいけどな……そもそも帝都にフィオナがいるかも分からないし、いるならいるで派手に攻撃も出来ないだろ」
「あー……」
「それになぁ……仮にフィオナの問題が全てクリア出来ていたとしても、考えなしで帝都に乗り込んだら多分……俺死ぬぞ」




