第11話:夜の再開
「これがあいつのいる国……アレクサンドリアだ」
アレクサンドリア帝国。
世界最大の国土を持つ、文字通り世界最強の国。
一つの大陸を制覇し、今なお軍拡を続ける化け物国家だ。
あの時はそんな余裕なんかなく、全く気づかなかったが、あいつらが着ていた軍服と鎧は、黒と赤を基調としていた。
あれは、アレクサンドリアのもので間違いない。
「これ、今いるここの何倍あるんですか……?」
「確か……百倍くらいじゃなかったかな?」
「ひゃっ!?」
「あー……そうだ。二番目がこの八十倍くらいで、三番目が六十倍だった。二十ずつ違うんだなーって覚えた気がするから、多分あってるわ」
「はぇー……と、とにかくこのどこかに、フィオナさんがいるんですね?」
「多分な……ま、広いっつってもでかい街は限られてる。ひとまず大陸の最南端から入って、首都を目指しながら順に上がっていこう」
「はいっ! あの、ところでこれ……」
ルシファーは鹿肉に指を差す。
どうやら、もう我慢出来ないらしい。
「そろそろいいんじゃないか? 切り分けてやるよ」
俺は鹿肉を浮遊魔術で浮かせると、さらに魔術を使って切り分け、皿に乗せてルシファーに渡してやる。
「おー! これが鹿の肉……あ、それにしてもアストさん、魔術上手くなりましたねぇ。今のもお上手でしたし」
「お前な……一万年やってんだよこっちは。いいからさっさと食え。あ、塩かけろよ。ちょっとな。その方が美味い」
「はーい! ちょっとかけて……こんなもんかな。じゃ、いただきまーす! あむっ!」
「フッ……いただきます」
一万年ぶりの食事。
やはりというか、この世界に戻ってからちゃんと喉は渇くし、腹も減っていた。
だからだろう……今目の前にある、ただ焼いただけの肉がキラキラと輝いて見える。
「んっ……」
焼けた肉を手で掴み、塩をかけてそのままかぶりつく。
ただ、それだけなのに───
「………………うんま」
忘れていた……この感覚。
溢れ出した肉汁が口の中に広がって……なんだこれうめぇよ油マジでうめぇやっばうんまなんだこれなんだこれやばぁ肉の味半端ないって塩がいいわ塩がでもただ肉焼いただけでこれじゃ他のもん食っちまったらどうなるんだ頭おかしくなっちゃうかもしれんとにかく美味いもういいや食おう!
「ア、アストさん……」
「えっ!? なに!?」
「……めちゃくちゃ美味しいですこれっ!!」
ルシファーは口の周りを脂でテカテカにしながら、キラキラした瞳で俺を見ていた。
「そうだよな!? 美味いよな! いっぱいあるからどんどん食え!」
「は、はいっ! えー……すごぉい……アストさんの腕より全然美味しい……」
……それはそれでなんか複雑な気持ち。
「つか、美味いなぁ……やっぱ食事って大事だわ」
「ねぇアストさんアストさん! 他にもこんなのがいっぱいあるんですか!? こんな美味しいものが!」
「ん、あるぜぇ……これよりも、遥かに美味いもんがたくさんな」
「わぁ……! た、食べたいです! 食べてみたいですっ!」
「ちゃんと食わせてやるって。お前は大事な……相棒だからな」
「あ……はいっ!」
ニコニコと笑いながら、ルシファーは肉にかぶりつく。
その様子に、なんだか俺まで嬉しくなっていた。
悪いなフィオナ……今日だけは許してくれ。
一万年、頑張ったからさ。
「おいひぃー!!」
──────────────────
───そして、時はあの夜へと戻る。
「ん、おかえり」
「…………」
「あー……もう壊れちまったか」
読んでいた本を閉じ、アストはそう呟きながら立ち上がると、彼の様子を確認し始める。
あちらの世界から帰ってきたスタインは、変わらず椅子に固定された状態で、俯いたままなんの反応も示さない。
その右足には、ナイフが刺さったままである。
「アストさんアストさん、これはなんですか?」
その時、ルシファーがキッチンから現れ、棒状の何かを彼に見せてくる。
「ん? ああ、サラミだよ。豚肉とかを挽肉にして、香辛料を混ぜて乾燥させたやつだ」
「ほうほう……食べてもいいですか?」
「うん。あ、薄く切った方がいいぞ。味が濃いから少しずつ食べな。あっちにパンとチーズもあったろ? 合わせて食べるともっと美味いぞ」
「わぁ……! 持ってきます!」
焼いた鹿の肉を食べて以来、すっかり食事にはまってしまったルシファーは、その細身の身体からは想像もつかない無尽蔵の食欲を発揮し、彼の家にあった食材を次から次へと食べ続けていた。
そんなウキウキしながら去っていく彼女を見送り、アストは改めてスタインへと視線を向ける。
「んー……」
彼はスタインの髪を掴んで持ち上げると、その顔をじっと見つめる。
それに何の反応も示さないスタインの瞳孔は完全に開いており、口からは涎が流れ続けていた。
アストは目の前で指を鳴らしたり、頬を叩いたりしてみるがやはり反応はなく、試しに右足のナイフをギコギコと動かすも、多少血が吹き出すだけで、彼の身体はぴくりとも動かなかった。
「……駄目だなこりゃ。完全に壊れてるわ」
最初は十秒。向こうでは二十七時間。
次に一分。向こうでは約一週間。
次に五分。向こうでは約一ヵ月。
人が暗闇の中に孤独でいる場合、正気を保っていられる限界は最大で二週間ほどだと言われている。
加えて、最初から極限状態のままそこへと送り込まれていることを考えれば、彼はまだ保った方だと言えるだろう。
「ふぁ、ふぉふぁれふぁいまひた?」
口をパンパンに膨らませたルシファーがそう尋ね、アストはそれに呆れたように頷いた。
「ま、脆いからな……人間は」
「んぐっ……ぷぅ……ですね。やっぱり、アストさんは凄いです」
「いや俺は……フィオナのことと、こいつらへの恨みがあったからな。それにまぁ……お前らもいたし」
「んふふー! そうやって、ちゃんと言ってくれるとこ……結構好きですよ」
「からかうなよ……俺はただ、もう後悔したくねぇだけだ。さて、壊れちまったんなら仕方ない……直すとするか」
アストは頭の中でリストを開く。
そして、右手の小指を立てながら───
「代償を捧げる。来い…… "思考を解く者"」
小指が千切れて闇へと消えた直後、床に浮かび上がった六芒星の召喚陣から、黒い無地の仮面をつけた、全身も黒一色のスーツ姿の男が現れる。
そして、右手に黒い表紙の分厚い本を抱えたダンタリオンは、空いている左手を腹に当てながら深々と頭を下げた。
「こんばんは、アスト様……ルシファー様も」
「ああ……早速で悪いが、こいつを直してくれ」
「お任せを」
ダンタリオンはカツンカツンと、黒い革靴で床を鳴らしながらスタインに近づくと、その青白く、異様に細長い指を広げて彼の頭を鷲掴みにした。
「ふふ……よく壊れている。さぞや苦しんだことでしょう。その果てに掴んだ仮初の自由……ああ……引き戻してさしあげねば」
ダンタリオンは右手に抱えた本の背表紙を下にし、その細長い指で器用にページを捲っていく。
パラパラとページが進むにつれ、スタインの指が小刻みに震え始めた。
ダンタリオンの能力、"精神操作"。
静止している対象の頭部を掴むことで発動出来るそれは、対象の精神を意のままに操ることを可能とする。
故に、壊すも直すも自由自在。
彼の手に堕ちれば、敬虔な聖女ですらが容易に赤子をくびり殺す。
「ふふ……そうですよスタイン様。そこに安寧はない。真の救済は……我が主人が与えてくれます」
彼がそう言った直後、スタインの身体がピクンと跳ね、口をパクパクと動かし始めると───
「ひぁあぁあッ!?」
仕事を終えた彼は、そこでスッと手を離し、右手で開いていた本をパタリと閉じる。
「では、私はこれで……」
「ありがとうダンタリオン。またよろしく頼む」
頭を下げたまま、ダンタリオンは地面に吸い込まれていくように消えていった。
「ハッ……ハッ……!」
目を覚ましたスタインは、荒い呼吸を繰り返しながら、辺りをキョロキョロと激しく見回す。
額からとめどなく汗が流れ、その大きく開かれた瞳からは、異常な量の涙がとめどなく溢れ出していた。
「やぁ……おかえり」




