第103話:傍で
「あ……」
口へと集めた魔力が、どこかへと消えていくのを感じたヘンリエッタは、その瞬間全てが終わったことを悟り、そのまま地面へと倒れた。
「……」
そんな彼女を見ていたアストは、無言のまま刀を収めると、バティンとケルベロスに目で合図を送る。
二人は頷いた後、その場から姿を消した。
「や、優しい……のね……」
「……まだ喋れたのか」
「二人っきりに……うっ……し、してくれたの……?」
アストがふと彼女を見ると、傷口からは血が流れておらず、その断面が綺麗に見えていた。
「空間固定……さすがだな」
「ふふっ……や、やめてよ……こんなの……た、ただの……時間稼ぎなんだから……あなたと……ア、アストと話す……時間っ……」
「そうか……」
妖刀を異空間の倉庫へとしまい、アストは彼女のそばに座り込む。
「何を聞きたい?」
彼がそう優しく語りかけると、ヘンリエッタは弱々しく微笑みながら───
「い、いっぱい……ある……でもっ……」
"もう、あまり話せそうにない"。
彼女はそう、彼に目で語りかけた。
「分かった……俺から話そう。あんたにかけたのは呪術だ。俺は、音に呪術をのせることが出来る」
ヘンリエッタは驚いた表情を浮かべた後、また微かに笑みを浮かべた。
「お、音に……ふふっ……は、初めて聞いた……そ、そんなこと出来る……のね……」
「極めればな……かけた呪術は、人間が持つ様々な感覚を狂わす、というものだ。要は、人間が無意識に感覚で行っている調整、それにズレが生じる。だから、あんたはまず平衡感覚を失い、そのせいで逆さまに浮いてたんだよ」
「ああ……反対になって……そういう……こと……」
「……通じるかは賭けだったがな。ただ、あんたの身体が、この世界にあるとは思っていた。ほら、"こびりついた匂いが消えない"って、あんたそう言ってたろ? ただ感覚を共有しているだけなら、そこまで深くは繋がらないと踏んだんだ。で、あんたの魔法そのものを破る方法が見つからなかった俺は、その繋がっている感覚から攻めることにした」
「……そっか…………」
そう呟いたヘンリエッタは、嬉しそうに笑った。
魔法が破られた訳ではなかったという事実が、彼女に残された最後の誇りを守ったのである。
それを察したアストは、二、三度頷いた後、さらに言葉を続けた。
「……呪術によって狂った感覚は魔力……つまり、魔術にも影響を与える。右腕が吹き飛んだのも、魔力の操作と距離感の狂いから生まれたものだ。あんたは視界以外、普段と変わらないように感じていただろうが、身体が逆さまになっていたことも、自分の上に重ねていたもう一つの世界がズレていたことにも……気づいてなかったろ?」
「そう……かぁ……それで……気づいたのねぇ……」
「ああ……俺は最初、異空間から分身体のようなものを操っているんだと思っていた。だが、完全に隔絶された異空間から、この世界で自由自在に、それこそ本体と遜色のない分身体を操作するなんてことは不可能だ。そして、さっきの"匂い"の件……そこでようやく、俺はあんたがこの世界にいるんじゃないかと、そう思うに至った」
「うん……うん……」
「"この世界に在って、この世界にいない存在"……あんたは最初から、答えを教えてくれていたんだ。つまり、境界魔法の正体は、あんたがこの世界の中に生み出した別の世界……それを、全身に纏った状態だったんだな?」
彼女は微笑みながら、こくんと頷いた。
それを見たアストは、目を閉じて、首を二、三度横に振る。
それは、心の底から溢れ出る、賞賛故の行動であった。
「すげぇよ……あんたは。本来、この世界の外にある異空間……あんたはそれを、この世界の内側に作っちまったんだ。それがどれだけあり得ないことか……俺にはよく分かる。まさに神業だ。しかも、それだけでもとんでもないことなのに、あんたはさらにそれを超高度な魔術式と、超精密な魔力コントロールで、身体と一ミリの誤差もなく連動するように纏い、そうして誰にも干渉されない存在となっていた……人智も、世界の理をも超えた……これこそ、本物の魔法だ」
「や、やだ……もう……照れ……ちゃうわ……」
「事実だからな……しかも、ただ触れられない存在になっただけじゃない。繋がりを残すことで、その状態でも存分に力を振るえるようにした……まさに無敵だ」
「ふふっ……そう……ね……五感の共有が……外と繋がる最後のっ……か、鍵だった……これが……結構難しくて……触覚を消すのに……く、苦労したわ…………たくさん……実験し……でも……」
フーっと、ヘンリエッタは深く息を吐く。
そして、アストが座る方へと、顔を向け───
「それでも……勝てなかった……」
そう言って、彼女はまた微笑む。
アストは、再び首を横へと振った。
「あんたは一人だった。でも、俺には仲間がいた。そして、俺は一万年を生きている……その差だ」
その言葉に、彼女は目を丸くする。
そして、納得したように微笑んでみせた。
「いち……まん……ふふっ……あり得ない……けれど……し、信じるわ……そう……いちまん……ねんかぁ……」
「俺は凡人だからな……あんたの数十年に勝つ為に、俺には一万年が必要だった。その程度の存在なんだよ……俺は」
すると、彼女は首を静かに横へと振る。
「それは……卑下し過ぎ……よぉ…………あなた……は素晴らしい……だっ……わた……し……に……勝った……だから……」




