第102話:憎悪と敬愛
「ふふっ……あら、どうしたのぼーっとしちゃって……私を殺すんでしょう? 後回しになんかせずに、今やったらいいじゃない……ねぇ?」
何も言わず、指をこめかみに当てたまま、視線を逸らす彼の様子を見て、彼女はクスリと笑うと、自身の考えが間違っていないという確信を得る。
そうして、肘から先を失った右腕を押さえながら、彼女はぐっと背筋を伸ばすと、逆さまの視界のまま、彼と目線を合わせて向かい合った。
「確かに、あなたの言う通りだったわぁ……いったい何に怯えていたのやら……だってそうでしょう? あなた如きに、私の魔法が破られる訳がない……ざぁんねぇんだったわねぇ!?」
彼女は目を見開き、狂気の笑みを浮かべながら、鼻と鼻が触れそうになる程の距離でそう叫ぶ。
「もう少しでこの私を……魔法使いを殺せたのに!! 肝心要の魔法が破れないんじゃあねぇ!? あはっ! あははっ!? あはははははははははひはひはははひはひはははひははひはひははひはひはひははははひははははひはははははははははははひはひははひはははひはひひはははっ!!!」
絶望からの解放。
屈辱にまみれた最低最悪の状況から一転、自尊心を取り戻した彼女は、狂ったように笑い続ける。
アストはそれを、やはりただ無言で見つめ続けていた。
「あー……おかし……ふふっ……」
ひとしきり笑って満足したのか、彼女は少しぼうっとする頭を元に戻そうと、目を閉じて深呼吸を繰り返す。
やがて冷静さを取り戻し、現状を全て理解した彼女は、スッと目を開くと、再び彼と視線を交わらせた。
「ほぉんとにお上手だったわねぇ……あなた。はったりに演技に挑発……まぁ、実力も伴っていたものね。詐欺師にでもなったらいかがかしらぁ? 私、すっかり信じちゃってたもの。あなたに、負けたのだと……お見事よ」
ヘンリエッタはそう言って、アストの頭を優しく撫でるふりをする。
そうして、自身の手をすり抜けていく彼の髪の毛を見て、再びほくそ笑んだ。
「ふふっ……でも、あなたに私は殺せない。ただ、私もあなたを殺せない。それは認めてあげる……今日のところは、ね」
スッと、アストの頬を撫でる真似をしながら、彼女はゆっくりと彼から離れ始めた。
「この街は好きにしていいわ……私に負けなかったご褒美よ。でも、これで終わりにはしないわ……あなたは私が必ず殺す。ふふっ……覚えておいてね?」
だんだんと離れていく彼女を、アストは腕を組んだまま、やはりただじっと見つめるのみであった。
そんな彼を微かに潤んだ瞳で見つめ返していたヘンリエッタは、その時ふと、何かを思い出したかのような表情を浮かべる。
「あっ……ねぇ、これは純粋なお願いなのだけれど、あなたの名前……教えてはくれないかしら? だって、"軍人殺しさん"……だと、ちょっと趣きに欠けると思わない?」
化粧は崩れ、右腕を失い、服は血塗れになって尚、ヘンリエッタは美しく、可憐に、ニコッと笑いながらそう言った。
そんな彼女を見た彼は───
「フッ…………アストだ」
微笑みながら、そう応えた。
「アスト……うん……あなたにぴったりの、いいお名前ね……」
「……あんたもな。ヘンリエッタ」
それを聞き、彼女は少し驚いた後、屈託のない少女のようにまた、笑った。
「うん……ありがとう……それじゃ、今日はお暇するわ。またね……アスト」
「ああ……またな」
まるで愛しいものを見るような目で、彼女は彼に別れを告げると、満点の星空の下から───姿を消した。
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「……不思議な気分ねぇ」
帝都アレクサンドリアへと続く異空間の中で、彼女は上も下もない暗闇の中を漂いながら、どこか夢見心地でそう呟いた。
「アスト……ふふっ……」
まるで恋する乙女のように、想い人の名をそっと口にし、誰にも聞かれることのない空間であるにもかかわらず、彼女はそれに気恥ずかしさを感じる。
首を半分斬られ、胸を貫かれ、右腕を失い、屈辱も絶望も味わわされた。
だが、彼女の胸に去来する想いは、初めて自分と対等に渡り合った彼に対する、敬愛の念であった。
そして、それは同時に、そんな強い彼と戦い、生き残った自分に対する自賛の念でもあった。
「また……会えるわよね……」
「あら、ではすぐに」
「ッ!?」
突如、背後から聞こえたその声に、そして肩を掴まれたその衝撃に、彼女の心臓が跳ね上がる。
「……ッ!」
あまりの驚きに声すら上げられず、またなんの抵抗も出来ず、彼女は何かに引き摺り込まれるような感覚に陥っていく。
そして───
「では……ご対面ですの」
「───えっ」
開けた視界。
地に足がついている感覚。
そして、目の前に広がる崩壊した街と、美しい星空。
それは、もう反転してはいなかった。
「ゔっ───」
ただ呆然と、それらを眺めていた彼女に、アストの握る黒刃が、非情に、無情に、容赦なく振り下ろされた。
「あっ……」
その一太刀は、彼女の左腕を斜めに切断し、そのまま左の胸付近へと滑るように入り込むと、なんの抵抗もなく、一瞬で、彼女の身体を二つに別った。
「がふっ…………ア、アス……ト……」
「また会えたな……ヘンリエッタ」
仰向けに地面へと崩れ落ちる最中、薄れゆく意識の中、彼女は彼を見つめながら瞬時に悟る。
もう自分は、死ぬのだと。
だが───
「ゔゔぅッ……!」
ただでは死ねない。
せめて、最後に一つ。
最後に一つだけ、アストの記憶に自分を残したいと、彼女は残る全ての魔力を、もはや鉄の味しかしないその口へと流し込んだ。
「……あら…………あ、あなた……いたのねぇ……」
だが、ヘンリエッタの見つめる先、その想い人の背後には、黒く、巨大な影があった。
「「「ワォォォォォオンッ!!!」」」
満天の星空。
その下に響き渡る獣の王の咆哮が、この戦いの終わりを告げていた。




