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地下街ヒーモギでの潜伏生活が10日を過ぎた頃、事件は唐突に、しかし、起こるべくして起きた。


一行にあてがわれた、古代遺跡の墓所を改造しただけの殺風景な一室。その隅の、硬い石のベッドの上で人形のように眠り続けていた少女の姿が、忽然と消えていたのだ。最初にそれに気づいたのは、交代で見張りを務めていたダヒシールだった。


「……いない」


ダヒシールのその一言は、淀んだ地下の空気に、鋭い刃物のように突き刺さった。セダスタとリャチが即座に駆け寄り、もぬけの殻となったベッドを見つめる。そこには、少女が眠っていた痕跡である、わずかなシーツの窪みだけが、主を失った寂寥感を漂わせて残されていた。


「いつからだ!」

セダスタの詰問に、ダヒシールは自責の念に顔を歪ませる。

「申し訳ありません……。ほんのわずかな間、持ち場を離れてしまった隙に……」


「いや、お前を責めているんじゃない」セダスタは短く言うと、部屋の入り口へと視線を走らせた。「メゼクはまだ戻らないか?」


老魔道士は、この数日、ザイオーロたちの監視の目を潜り抜けながら、独自のルートで地上の情報を探っていた。だが、その彼も、今は不在だった。


「どうしますか、殿」

リャチの声には、焦りと、そしてこの無法地帯に対する本能的な警戒が滲む。

「決まってる。手分けして探すんだ」


セダスタの即断に、異を唱える者はいなかった。

「俺とリャチ、そしてダヒシール、お前は俺と来い。メゼクには、戻り次第、俺たちが残した合図で合流させる。いいな?」

「はっ!」

「ですが殿、それではリャチが1人に……」

ダヒシールが懸念を口にするが、リャチはそれを強い視線で遮った。

「私の心配は無用です。それより、あの子を1人にしておく方が危険でしょう」


その言葉に、セダスタは静かに頷いた。あの少女が見せた、常軌を逸した魔力。そして、その裏に隠された、底知れぬ謎。彼女は、か弱いだけの存在ではない。だが、その力が、この地下街の悪意に満ちた者たちの目にどう映るか、それはまた別の話だった。


「行くぞ」


セダスタの号令一下、3人は薄暗い石の部屋を飛び出した。ヒーモギの猥雑な喧騒が、まるで巨大な生き物の呼吸のように、彼らを呑み込んでいく。埃と、得体の知れない料理の匂い、そして人々の汗と欲望が混じり合った、むせ返るような空気。彼らは、その混沌の中へと、それぞれの覚悟を胸に散っていった。


セダスタは、ザイオーロから教わった、この地下街の簡単な見取り図を頭に思い浮かべながら、最も治安が悪いとされる地区へと、あえて足を踏み入れていた。彼の直感が、少女の気配が、より濃密な混沌の方へと向かっていると告げていたからだ。


岩壁をそのまま利用した、粗末ながらも奇妙な活気に満ちた店々。がらくた同然の機械部品、出所不明の薬品、そして、虚ろな目で客を待つ娼婦たち。すれ違う者たちの視線は、品定めするような好奇と、あからさまな侮蔑に満ちている。誰もが、このよそ者を、新たな獲物か、あるいは厄介事の種としか見ていない。


どれだけ歩いただろうか。不意に、彼の耳が、路地の奥から聞こえてくる、甲高い怒声と、それをなだめるような、しかし粘着質な男の声とを捉えた。


「――だからよぉ、嬢ちゃん。そんな怖い顔すんなって。ちょっと話聞いてくれるだけでいいんだからさぁ」

「……」

「見てくれもいいし、その無口なとこもそそるじゃねえか。うちの店で働けば、すぐにナンバーワンになれるぜ?なあ?」


セダスタが音もなく路地の角を曲がると、そこには案の定、数人の男たちに囲まれる、あの少女の姿があった。男たちの服装は、いずれもこの地下街のチンピラ特有の、けばけばしくも薄汚れたものだ。その中心で、ひときわ卑しい笑みを浮かべているのが、この界隈のポン引きなのだろう。


少女は、壁際に追い詰められながらも、その表情には一切の恐怖も、抵抗の色も浮かんでいない。ただ、人形のように無表情なまま、男たちの顔を、まるで道端の石ころでも見るかのように、静かに見つめているだけだった。その反応のなさが、かえって男たちの苛立ちを煽っている。


「おい、聞いてんのか、ああん?」

ポン引きが、少女の肩に手を伸ばした、その刹那だった。


「――その汚い手をどけろ」


氷のように冷たい声が、路地に響いた。男たちが一斉に振り返ると、そこには、腕を組み、壁に寄りかかるセダスタの姿があった。その瞳には、一切の感情が浮かんでいない。だが、その全身から放たれる威圧感は、チンピラたちが本能で感じ取る、純粋な「強者」のそれだった。


「……なんだ、てめえ。この女の連れか?」

ポン引きは一瞬怯んだものの、すぐに虚勢を張って凄んでみせる。

「だったらどうした」

「だったら、話が早え。この嬢ちゃん、俺たちの店で預からせてもらう。お前にも、悪いようにはしねえよ」

「断る」


セダスタの即答に、男たちの顔色が変わった。

「……てめえ、誰に口聞いてんのか、わかってんだろうな?

ここは、てめえらよそ者がでかい顔していい場所じゃねえんだよ!」


ポン引きの合図と共に、チンピラたちが、錆びたナイフや鉄パイプを手に、じりじりと距離を詰めてくる。セダスタは、壁に寄りかかったまま、動かない。ただ、その瞳の奥に、危険な光が宿り始めた。


「――忠告はしたぜ」


ポン引きが吐き捨てたのを合図に、男たちが一斉に襲いかかった。だが、彼らの攻撃がセダスタに届くことはなかった。


閃光。


セダスタの姿が、一瞬、掻き消えたかと思うと、次の瞬間には、チンピラたちの背後に立っていた。彼がいつ鞘から抜いたのか、その手には、あの異形の長大な剣が握られている。


「――え?」


誰かの間抜けな声。それが、彼らが発した最後の言葉だった。セダスタは、剣の腹で、チンピラたちの胴を、まるで枝でも払うかのように、的確に、そして容赦なく打ち据えていく。人体が打撃される鈍い音と、短い呻き声だけが、路地に響き渡った。数秒後、そこに立っているのは、セダスタと、呆然と立ち尽くすポン引き、そして、相変わらず無表情な少女の3人だけになっていた。


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