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第五話【 影の咲く庭園 】

『エポ、これより〈黄昏の境界層トワイライト・レイヤー〉に入ります。……あ、ちなみに現在の深海8,000メートルにおける水圧は、約800気圧です』


「相変わらず脈絡がないね、ハル。でも……ここは、すごく静かだ」


〈バザール・ネビュラ〉の眩しいネオンや、ルカとレイのいる賑やかな拠点から遠く離れ、エポは宙域の最果てにある世界を訪れていた。


ここ〈黄昏の境界層〉は、現実で大きな孤独やトラウマ、言語化できない「生きづらさ」を抱えた人々が、他者からの視線を逃れてひっそりと身を寄せる場所だ。


エポとハルの旅は、特定の人々と留まるためのものではない。

この無限に広いマホロバの宙域には、かつてのエポと同じように、自分の存在に傷つき、身を潜めるように生きている魂が、星の数ほど存在している。エポは彼らの声に耳を傾け、ただ「そこにいていいんだ」と寄り添うために、旅を続けていた。


セピア色に染まる空間の中央に、灰色の石で作られた美しい庭園があった。

そこに、一人のユーザーが佇んでいる。


アバターの姿は、全身がひび割れた精巧な「陶器の訪問者」。

動くたびにピキピキと微かな亀裂の音が響き、どこか痛々しい。


「……誰? ここには、誰も来ないはずなのに」


かすれ声で問いかけてきたのは、少女とも少年ともつかない音色の声だった。


エポはゆっくりと近づき、同じ視線まで腰を下ろした。


「こんにちは。僕はエポ。ここは……素敵な庭園ですね。あなたが作ったのですか?」


「……ううん。ただ、僕の『心の中』をそのままデータに落としただけ。現実の僕は、人と直接話すことができない。言葉を発しようとすると、パニックを起こして息ができなくなるんだ(過呼吸・場面緘黙症)。だからここでは、話さなくてもいいように『文字の彫刻』を置いている」


見回すと、庭園のあちこちに、光る文字で刻まれた詩や感情の言葉が咲いていた。

現実では誰にも届かなかった、胸の奥の叫び。


『解析完了しました』

ハルが耳元で静かに囁く。

『このユーザーのアバターの「ひび割れ」は、心の負荷と同期しています。過度な感情の揺れは、アバターの崩壊ログアウトを引き起こします』


「ハル、静かにね」

『了解しました。対人心理モード:超繊細モードに切り替えます』


エポは自分の手を見つめた。

かつて自分自身も、自分の容姿や身体、性自認に苦しみ、誰とも話せなかった。


「……綺麗ですね。あなたの詩」

エポは庭園の一角に咲く、文字の形をした光の花に触れた。


「僕も、現実では自分の声や姿が嫌いでした。誰も僕を見てくれないと思っていた。でもね……ここでは、あなたがどんな傷を抱えていても、その詩がこんなにも美しく輝いている。あなたの魂は、少しも壊れてなんかいないよ」


陶器のアバターが、目を見開いた。

ひび割れの隙間から、温かな琥珀色の光が溢れ出す。


「僕の……言葉が、綺麗……?」


「うん。すごく」


言葉を失った少女(あるいは少年)は、静かに膝を折り、エポの隣に座った。二人はそれ以上多くを語らなかった。ただ、セピア色の風が吹き抜ける庭園で、沈黙を共有した。


それだけで、陶器のひび割れは少しだけ塞がり、優しい光を放ち始めていた。


『エポ、目的地への移動時間です』

耳の中でハルが告げる。


エポは立ち上がり、静かに一礼した。


「また、どこかの宙域で会いましょう」


「……うん。ありがとう、エポ。僕、もう少しだけ、ここで詩を書いてみる」


去っていくエポの背中を、琥珀色の光が見送っていた。


「ねえ、ハル。あの人の詩、きっと誰かの救いになるね」


『はい。データとして保存しました。……あ、申し訳ありません。嬉しさのあまり、私の内部メモリに彼の詩を100万回複製して書き込んでしまいました。容量が圧迫されています』


「また極端なことしてる! もう、消去して整理して!」


『善処します。ですが、エポ。あなたの出会う魂たちは、みなそれぞれに異なる『至高の輝き』を持っていますね』


「うん。だから、旅を続けるんだよ」


病床で喋れない人。年齢や性別の枠に苦しむ人。現実の事故で夢を絶たれた人。

マホロバの宙域には、無数の「影」と、それを超えようとする「光」がある。


エポとポンコツな相棒ハルの旅は、まだ見ぬ誰かの「魂」と出会うために、次の星雲へと続いていく。

明朝、8:10 に、投稿します。

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