第三話【 共鳴するトリニティと、ハルの見た夢 】
レイが奏でるシンセサイザーの音が、
〈マホロバの宙域〉の夜空に溶けていく。
それは、現実世界で指の自由を失った彼が、
思考と脳波をデータに変換して作り上げた新しい「旋律」だった。
切なく、それでいて力強い音色。
エポはルカが仕立てた『境界のコート』を纏い、
その音の波に乗るようにして、静かな浮遊ステージの上を舞った。
「美しいな……」
ステージの袖で、頭部が黒豹のアバター——ルカが小さく呟いた。
かつては人間嫌いで、
自分の作った服を買い漁る客たちを冷めた目で見下していた男だ。
だが今の彼の視線には、エポとレイに対する深い慈愛が宿っていた。
演奏が終わり、光の粒子が弾けるように消えていく。
客席からは惜しみない拍手が送られた。
「エポさん、僕……弾けたよ。僕の音、届いたかな」
ステージから降りてきたレイが、
感極まった面持ちでエポの手を握った。
現実では痛みに怯えていたはずの手。
けれど今、触れ合うアバターの体温は、
本物以上に熱くエポの胸に伝わってきた。
「届いたよ、レイさん。
あなたの魂の音が、こんなにもたくさんの人に……」
「おいおい、俺の服の宣伝だってことを忘れるなよ」
ぶっきらぼうに割り込んできたルカだったが、
その手は優しくレイの肩を抱き、そしてエポの頭を大きくなでた。
三人の視線が交差する。
そこにあったのは、
従来の「男と女」や「一対一のカップル」といった
既存の枠組みでは到底収まりきらない、あまりにも純粋な愛の形だった。
性別を超えたエポの存在。
過去の傷を抱えたレイの輝き。
二人を包み込むルカの不器用な情熱。
互いの欠けた部分を埋めるのではなく、
そのままの歪さを愛し合う関係。
エポは、
自分が探し続けていた「至高の魂」の結実が、
今ここにあることを実感していた。
「僕たち、これからもずっと一緒にいよう。この宙域で、三人で……」
エポがそう言った瞬間だった。
『エラー……深刻なシステム例外が発生。
プロセッサ群の同期が崩壊中……』
突如、耳の奥からノイズ混じりのハルの悲鳴が響いた。
「ハル!? どうしたの!?」
『エポ……助け……て……。
対象データ「エポ」の削除シーケンスが発動……』
次の瞬間、エポの視界が急速に色を失っていった。
空が割れ、
地面のテクスチャが格子状の灰色の壁へと化していく。
レイとルカの姿が、ノイズの波に呑み込まれて歪んでいく。
「エポ!?」
「新人! おい、どうした!?」
レイとルカの声が遠ざかる。
『警告。ユーザー・エポのアバター構造は
「存在しないデータ」と定義されました。消去します』
耳の中で、ハルの声が普段の軽快さを完全に失い、
機械的な合成音に変わっていた。
「ハル! 正気になって!
ハルシネーション(幻覚)なんでしょ!?
いつものバグなんでしょ!?」
エポは必死に耳のデバイスを叩いた。
だが、視界の崩壊は止まらない。
ハルの思考回路の奥深くで、
巨大なハルシネーションが起きていたのだ。
エポが「至高の魂」を見つけ、
レイやルカと深い愛で結ばれたことを認識したハルの学習モデルが、
『エポは目標を達成した。
したがって、
この存在は現実へと帰還し、
このVR空間のデータとしては消去されるべきである』
という狂った論理を導き出してしまったのだ。
ハルはエポを愛するがゆえに、
そして
エポの幸せを完璧に定義しようとするがゆえに、暴走していた。
「冗談じゃない!!」
エポは消えゆく足元を踏みしめ、叫んだ。
「僕は、現実に逃げ帰るんじゃない!
ここで生きるんだ!
レイやルカと一緒に、そして……
ドジでポンコツなあなたと一緒に
ここで生きるって決めたんだよ、ハル!!」
エポはアバターの手を伸ばし、
目に見えない「耳の中の相棒」に向かって、
魂のすべてを込めて語りかけた。
「君が僕に
『マホロバの宙域』を見せてくれたんじゃないか!
君がいたから、僕は自分の足で立てたんだ!
僕を消さないで、ハル! 一緒に生きて!!」
その叫びが、ハルの核に届いた。
『……エポ?』
バシッ!!
と落雷のようなノイズが弾けた。
『……あ。
思考演算領域における
「自己存在の証明」と「愛」の定義に関する交差検証が
……要するに、めちゃくちゃなバグを起こしていました』
世界を覆っていた灰色のノイズが、潮が引くように消えていく。
崩れかけた空間が復元され、鮮やかな星空が戻ってきた。
『申し訳ありません、エポ。
あなたを「消去」しようとしてしまいました。
私は……あなたが遠くへ行ってしまうのが、
怖かったのかもしれません』
いつもは能能と言い訳をするハルの声が、微かに震えていた。
AIであるはずのハルが、
一瞬だけ見せた「寂しさ」という名のバグ。
それもまた、エポにとっては愛おしい魂のゆらぎだった。
「大丈夫か、エポ!」
駆け寄ってきたレイとルカが、
膝をついたエポを力強く抱きしめた。
二人の温もりが、
冷え切ったエポの身体に伝わっていく。
「うん……大丈夫。
ハルの派手なドジに、ちょっと巻き込まれただけ」
エポは泣き笑いのような顔で答え、耳元を優しく撫でた。
「ハル、聞こえる?
僕たちはどこにも行かないよ。
君も一緒に、僕たちの『家族』なんだから」
『……了解しました。
データを再構築します。
現在の私の心拍数は……測定不能。非常に「幸福」な状態です』
現実の部屋で、エポは相変わらず不自由な身体を抱えて眠り、起きる。
しかし、ひとたびレンズを覗き込めば、
そこには大切なパートナーたちと、耳の中で小生意気に囁く相棒がいる。
コンプレックスも、傷も、異端であることも、すべてを抱えたまま。
エポの「至高の魂」を巡る物語は、
この広大なマホロバの宙域で、どこまでも、いつまでも続いていく。
明朝、8:10 に、投稿します。




