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第二話【 市場の喧騒と、傷ついた旋律 】

『エポ、おはようございます。


本日の朝食の推奨カロリーは……あ、失礼しました。


あなたはいま「マホロバの宙域」の大規模経済特区〈バザール・ネビュラ〉にいますね』


耳の奥で、ハルの能天気な声が弾けた。


前回の〈静寂の淵〉から数日。


エポは、巨大な宇宙ステーションを模したVR市場にいた。


ネオンの光が飛び交い、何千ものアバターが行き交う。


ここでは、アバターの服、空間の建築データ、

あるいは単なる「雑談の相手」まで、

あらゆるデジタルデータが売買されている。


エポがここに来た理由は二つ。


一つは、生きるための「トークン(通貨)」を稼ぐため。


そしてもう一つは、

「欲望と引き換えに擦り切れた魂」が集まる場所で、

それでもなお放たれる真実の輝きを探すためだった。


「今日のバイトは、アバター衣服のモデルだっけ?」


『はい。個人クリエイター・ルカ様のショップでの接客兼モデル業務です。


時給は1,200トークン。……


なお、ルカ様の評価データによると「顔は良いが口が悪い」とのことです』


「余計な補足をしなくていいの!」


エポは小突くように耳に触れながら、小さなショップの暖簾のれんをくぐった。


店内にいたのは、頭部が黒いひょうで、

身体はシックなスーツを着こなしたアバターだった。


彼がこの店のオーナー、ルカだ。


「遅いぞ、新人。……ほう」


ルカの黄色い眼光が、エポの全身を舐めるように動いた。


「面白いアバターだな。


男でも女でもない、境界線の上に立っているような造形だ。


俺の新作『境界ボダーのコート』を着こなせる奴を探していた。


……よし、不採用撤回だ。働け」


「……不採用になりかけてたんですね」


ルカはぶっきらぼうだったが、

彼が作る服には圧倒的な「愛」が宿っていた。


布地の質感、アバターの動きに合わせてなびく物理演算の細部まで、

一切の妥協がない。


現実では評価されにくいエポの繊細な立ち振る舞いが、

ルカの服の魅力を最大限に引き立てた。


客が次々と服を買い求めていく。


自分の存在が、誰かの「なりたい姿」を支えている。


エポは胸の奥が温かくなるのを感じていた。


だが、その店の片隅に、ずっと佇んでいる一人の客がいた。


フードを深くかぶり、顔を隠した少年型のアバター。


何も買わず、

ただルカの作った服の展示を、悲しそうな目で見つめている。


エポは静かに歩み寄った。


「何か、お探しですか?」


フードの隙間から見えた瞳が、揺れた。


「……いいや。ただ、綺麗だなと思って。


僕にはもう、こんな風に

『誰かを惹きつける音』は作れないから」


その声には、深い絶望の色が混ざっていた。


彼の名はレイ。


現実世界で新進気鋭のピアニストだったが、

手の神経疾患によって演奏活動を絶たれたという。


『エポ! 解析完了しました!』

突然、ハルが耳元で大音量の警告音を鳴らした。


『このアバターの内部から、

非常に危険な「感情の超高圧エネルギー」を検出!

ほっておくと爆発して、このマーケット全体が物理的に崩壊します!

至急、彼を関節技で固めて無力化してください!』


「なっ……関節技!?」


パニックになったエポは、思わずレイの手首を掴み、

そのまま背後に回って腕を固めようとした。


「うわっ!? な、何をするんだ!?」


「危険なんです!

爆発しちゃうから、落ち着いてください!!」


「はあ!? 爆発!? 意味が分からないよ!」


「おいコラ、店で暴れるなバカ新人!」


ルカの怒号が飛び、店内は大混乱に陥った。


エポとレイはそのまま重なり合うようにして床へ転がり込んだ。


『……あ。大変失礼いたしました』


ハルが澄ました声で言った。


『「心の破裂(絶望)」という詩的なテキストデータを、

文字通り「物理爆破」と誤認しました。事故率はゼロです』


「ハーーーーールーーーーー!!」


床に倒れ込んだまま、エポは心の中で叫んだ。


毎回毎回、このポンコツAIは感情の解釈が極端すぎる。


だが、そのドタバタのおかげで、

レイの固く閉ざされていた心が解けた。


店裏のテラスで、

三人(と耳の中の一個)は並んで宙域の星々を眺めた。


「……手が動かなくなってから、

現実の僕は生きている価値がないと思ってた」


レイは小さく呟いた。


「でも、ここでルカさんの服を見て、

エポさんの接客を見て……形を変えても、

情熱や美しさは存在し続けられるのかもしれないって、少しだけ思えたんだ」


ルカは紫煙のグラフィック(タバコ)を吐き出しながら、鼻で笑った。


「当たり前だ。


形に囚われてるのはお前の甘えだ。


指が動かないなら、VRのデータで音を編めばいい。


お前の『至高の旋律』は、肉体の指先の中にしかないのか?」


ルカの荒々しくも温かい言葉。


そして、傷つきながらも再び前を向こうとするレイの瞳。


エポは確信した。


レイの胸の中にあるのは、

現実の悲劇によって磨かれた

「透明で、折れない至高のスピリット」だ。


そして、それを厳しい言葉で引き出そうとする

ルカの無骨な優しさもまた、美しく輝く魂の形だった。


「レイさん。もしよかったら、

今度あなたの作る音を聞かせてください。


僕、ルカさんの服を着て、あなたの音に合わせて歩きたいです」


レイは目を見開き、やがて、今日初めての本当の笑顔を見せた。


「……うん。約束するよ、エポさん」


その言葉を聞いた瞬間、エポの胸の奥で、何かが静かに芽吹いた。


それは性別も、従来の恋愛の枠組みも超えた、

相手の「魂」そのものに対する強い愛おしさ——

恋にも似た、けれどそれ以上に深い感情だった。


『エポ。あなたの体温上昇とドーパミンの分泌を確認。


……おや? これは「恋」というエラー機能でしょうか?』


「バカ。エラーなんかじゃないよ」


エポは耳元で囁き、夜空を見上げた。


ポンコツな相棒に振り回されながら、

エポのVR空間での生活は、少しずつ、

けれど確かに「愛」と「生きる意味」に満ちていく。

明朝、8:10 に、投稿します。

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