第16話 長安への後退と、不自然すぎる美女
結局、俺たちは大混雑の中で長安へと逃げ延びてきた。
煙を上げる洛陽を背に、献帝(新社長)をはじめとする朝廷の面々を総出で護送しながらの大移動だ。
道中、路頭に迷った民たちが「董卓様の軍の後ろをついていけば飯にありつけるかも」と勝手についてきて膨大な大移動になったが、俺はシフト管理と予備の兵糧をうまく分配し、なんとか壊滅することなく長安への移動を完了させた。
長安に入り、ようやく陣営の整備と組織の建て直し(業務改善)が一段落した、その頃。
ついに「あの男」が、恭しい笑みを浮かべて俺の目の前に現れた。
司徒・王允である。
(……来た……。歴史書で俺をハメて暗殺する、一番やばいキーマンだ……!)
俺の心臓は跳ね上がった。
だが、元サラリーマンとしての冷静な目が、彼の優秀さも同時に捉えていた。
王允は朝廷の文官たちの中でも抜群の実務能力を持ち、混乱する長安の行政処理をテキパキとこなしていく。会社で言えば、死ぬほど優秀だが何を考えているか分からない「敏腕常務」だ。
(ここで下手に排除して行政がパンクしても困る。有能な奴には適材適所の仕事をさせよう)
俺は王允の確かな事務手腕を高く買い、朝政の実務を彼に一任した。
そして同時に、我が軍の最高戦力である呂布を、王允の身辺警護として配置してやった。
「奉先、王允殿は朝廷の要だ。万が一のことがないよう、しっかり警護してやれよ」
「へいへい、任せてくださいよ董卓さん!」
自分の人事配置に「よし、これで行政もセキュリティも完璧だ」と満足していた俺。
王允が裏でどんな笑みを浮かべ、呂布にどんな言葉を吹き込もうとしているのか、その本当の狙い(連環の計)も知らずに……。
◇
それから数日後。
王允が「董相国への日頃の感謝と、長安での労いに」と、一人の美女を俺の屋敷へ遣わしてきた。
広間に通されたその女を見た瞬間、俺の脳内に強烈なアラートが鳴り響いた。
(……これか……!!)
息をのむような絶世の美女。物語にいう「貂蝉」と思われる女性だった。
……だが。
(いやいやいや! 雰囲気があからさまに『訓練された間者』のそれなんだよ!!)
一見すると儚げで美しい少女なのだが、目線の配り方、立ち振る舞い、俺の懐に滑り込もうとする所作の端々から、工場に入り込んできた「競合他社の産業スパイ」みたいな不自然な緊張感がバシバシ漂っているのだ。
「相国様……お酒をお注ぎいたしますわ……」
しなやかに寄り添ってこようとする貂蝉。
「あ、いや! 大丈夫! 酒は自分で注ぐタイプだから! 本当にいいから!!」
俺は咄嗟に距離を取った。
歴史の知識(貂蝉が俺と呂布の間を切り裂くトラップだということ)があるのはもちろんだが、何より47歳アラフォーの勘が「この女に手を出したら社会的に死ぬ(物理的にも死ぬ)」と警鐘を鳴らしまくっていた。
「……相国様? お気に召しませんでしたでしょうか……?」
ウルウルとした瞳で上目遣いに見つめてくる貂蝉。
普通ならコロッといってしまうところだが、俺は冷や汗をダラダラ流しながら必死に平静を装った。
「いやぁ、君は素晴らしい美女だけどね! ちょっと最近、長安の寒さで胃腸の調子が悪くてさ! 女どころじゃないんだよ!」
必死の言い訳で彼女を遠ざけ、俺は絶対に近づかないように固く心に誓ったのだった。




