第三話 三十七人目
五月十三日、月曜日。午後四時十二分。
田中莉子、十五歳、三年一組。学級委員だった。
クラスの、連絡用グループの、管理を、任されて、いた。
ごく、普通の、グループチャットだった。三年一組の、全員、三十六人が、入っている。用途は、連絡事項の、共有。「明日の時間割」「体育の持ち物」「プリント提出は明日まで」。それだけの、グループ。
その日の、放課後。
莉子は、連絡事項を、流そうと、スマホで、グループを、開いた。
画面の、上に、メンバー数が、表示される。
三十七人。
莉子は、指を、止めた。
三十六人、のはずだった。クラスは、三十六人。莉子が、自分で、全員を、招待した。一人ずつ、確認して。三十六人。
なのに。
三十七人に、なっていた。
*
莉子は、メンバー一覧を、開いた。
上から、名前を、確認していった。
出席番号順に、並んでいる。一番、青木。二番、石田。三番、井上。
知っている、名前ばかり。クラスメイトの、名前。
最後まで、スクロールした。
三十六番、渡辺。
その、下に。
もう一人、いた。
名前の、欄が。
空白だった。
アイコンも、なかった。灰色の、初期アイコン。名前は、表示されず、ただ、空白の、横棒が、一本。
莉子は、その、空白の、メンバーを、タップした。
プロフィールは、何も、なかった。いつ、入ったのかも、わからなかった。
莉子が、招待した、覚えは、なかった。
ただ。
参加日時の、欄だけ、表示が、あった。
莉子は、それを、見て。
ぞっと、した。
参加日時。
来週の、月曜日。
まだ、来ていない、日付だった。
まだ、来ていない、日に。そのメンバーは。このグループに、参加していた。
莉子は、その日時を、もう一度、見た。
画面を、更新した。
今度は、参加日時が。
先週の、月曜日に、なっていた。
次に、更新すると。三年前の、日付に。
その次は。来年の、日付に。
参加した、日が。見るたびに、変わった。まるで、いつから、いるのか。自分でも、決めかねている、ように。最初から、いたような。これから、来るような。
*
莉子は、グループに、書き込んだ。
「誰か、知らない人、入れた? 三十七人になってる」
すぐに、何人かが、反応した。
「ほんとだ」「誰?」「名前ない人いる」
でも。
誰も、招待した、覚えが、なかった。
莉子は、その、空白の、メンバーを、グループから、退会させようと、した。
管理者だから、できる、はずだった。
退会の、ボタンを、押した。
「退会させました」と、表示された。
メンバー数を、見た。
三十七人。
減って、いなかった。
もう一度、押した。「退会させました」。
三十七人。
何度、退会させても。
三十七人の、ままだった。
*
その夜。
グループに、投稿が、あった。
午後十一時四十七分。
空白の、メンバーからだった。
名前のない、灰色のアイコンから。
「あした、たいいくあるよ」
ひらがなの、文章。
明日、体育、ある。
それだけ。連絡事項だった。普通の。
でも、莉子は、ぞっとした。
その、投稿の、文体に。
見覚えが、あった。
三浦さとみ。
クラスの、おとなしい、女の子。あまり、しゃべらない。グループでも、ほとんど、発言しない。でも、たまに、書くとき。いつも、全部、ひらがなで、書く。
「あした、たいいくあるよ」
さとみの、書き方だった。
*
翌朝。
莉子は、教室で、さとみの、席を、見た。
空席だった。
さとみは、来て、いなかった。
欠席だろう、と、思った。
でも。
一時間目が、終わって。二時間目が、終わって。三浦さとみは、来なかった。
莉子は、隣の席の子に、聞いた。
「さとみ、今日、休み?」
その子は、きょとんとした。
「さとみ……って、誰?」
莉子は、言葉を、失った。
「三浦さとみ。そこの、席の」
莉子は、空席を、指さした。
その子は、首を、傾げた。
「そこ、誰の席だっけ。空いてる、よね。前から、空いてた、気がする」
*
莉子は、クラスを、見回した。
誰も。
三浦さとみを、覚えて、いなかった。
「そんな子、いた?」「席、最初から空いてなかった?」
担任の、木村先生に、聞いても。
「三浦? うちのクラスに、そんな子、いたかな」と、出席簿を、めくった。
出席簿の、三浦さとみの、欄が。
白く、なっていた。
名前が、印刷されて、いたはずの、場所が。ただの、白い、空欄に、なっていた。
莉子だけが、覚えていた。
三浦さとみ。おとなしくて。ひらがなで、書く子。
みんなが、忘れていく、その子を。
莉子は、必死に、覚えて、いようと、した。
ノートに、書いた。「三浦さとみ。二年A組。窓際から二番目の席。前髪が長い。声が小さい。文字は全部ひらがな。給食のにんじんを残す。」
覚えていることを、全部、書いた。
書いている、そばから。
不安に、なった。
今、書いた、はずの、文字が。読み返すと、薄く、なっている、気が、した。
「窓際から二番目」と、書いた、その「さとみ」の、名前だけが。
インクが、かすれた、ように、薄かった。
莉子は、その上から、もう一度、なぞった。
濃く、なぞった。
忘れないように。消えないように。
*
その夜。
莉子は、スマホの、写真を、見返した。
去年の、遠足の、集合写真。さとみが、写って、いるはず、だった。
莉子は、写真を、拡大した。
さとみの、いた、はずの、場所。後ろの、列の、端。
そこに。
ぼんやりと、人の形は、あった。
でも。
顔が。
ぼやけて、いた。
ほかの、みんなの、顔は、はっきり、写っているのに。さとみの、顔だけが。ピントが、合って、いないように。にじんで、いた。
莉子は、別の、写真も、見た。
体育祭。文化祭。下校の、ときに、撮った、何気ない、一枚。
どの写真でも。
さとみの、顔だけが。少しずつ。薄く、にじんで。消えかけて、いた。
莉子が、見ている、あいだにも。
じわり、と。
さらに、薄く、なった、気が、した。
莉子は、慌てて、画面を、閉じた。
見ていると。見ている、そばから。さとみが、消えて、いく、気が、した。
*
その日から。
グループの、空白の、メンバーは。
少しずつ、変わって、いった。
灰色だった、アイコンに。ぼんやりと、影のような、人の形が、浮かんできた。
名前の、空白に。ひらがなで、文字が、現れ始めた。
「みうらさとみ」
空白の、メンバーが。三浦さとみに、なって、いく。
みんなが、本物の、さとみを、忘れた、その分だけ。
グループの、三十七人目が。さとみに、なって、いった。
莉子は、気づいた。
入れ替わって、いる。
本物の、さとみが、消えて。三十七人目が、その、空いた、場所に。さとみとして、収まろうと、している。
みんなが、忘れきったら。
入れ替わりが、完成する。
本物の、さとみは。
どこにも、いなく、なる。
*
莉子は、本物の、さとみを、探した。
誰も、覚えていない、その子を。
莉子は、ふと、思い出した。
さとみが、最後に、莉子に、言った、言葉を。
先週の、金曜日。さとみは、ぼんやりした、顔で、莉子に、言った。
「最近ね。神社に、行きたく、なるの」
「影見神社。なんでか、わからないけど。行かなきゃ、って、気がして」
莉子は、はっとした。
神社。
莉子は、放課後。一人で、影見神社に、走った。
北の、山の、ふもとの、古い神社。
夕方の、参道を、駆け上がった。
拝殿の、前に。
三浦さとみが、立っていた。
*
さとみは。
ぼんやりと、拝殿を、見上げて、いた。
うっすらと。
体が、透けて、いた。
拝殿の、奥の、暗がりが。さとみの、体を、通して。透けて、見えた。
さとみの、足元には。
影が、なかった。
夕日が、差しているのに。さとみだけ、影を、落として、いなかった。もう、半分、こちら側に、いない、ように。
そのとき。
莉子の、ポケットの、スマホが。
震えた。
グループの、通知。
莉子は、画面を、見た。
空白の、メンバー――三十七人目から、投稿が、あった。
「りこちゃん、こっちにこないで」
ひらがなの、文章。
莉子は、顔を、上げた。目の前の、さとみの、口は、動いて、いなかった。
投稿したのは。
さとみの、皮を、かぶろうと、している、三十七人目だった。
莉子は、さとみの、名前を、呼んだ。
「さとみ!」
さとみが、振り返った。
「……莉子ちゃん? わたしの、こと。覚えてるの?」
「覚えてる。三浦さとみ。ひらがなで、書く子。当たり前でしょ」
さとみの、目に、涙が、浮かんだ。
「よかった。誰も、覚えてくれなくて。わたし、消えちゃうかと、思った」
「もう、神社に、入っちゃ、だめ」と、莉子は、言った。「帰ろう。一緒に、帰ろう」
莉子は、さとみの、手を、つかんだ。
冷たかった。でも、つかめた。まだ、消えきって、いなかった。
「行こう」と、莉子は、言った。「一緒に、帰ろう。さとみの、席、まだ、空けて、あるから」
さとみは、ためらった。
「でも……みんな、わたしのこと、忘れてる。帰っても、いていいのか、わからない」
「わたしが、覚えてる」と、莉子は、言った。「だから、いい。帰ろう」
莉子は、さとみの、手を、引いて。
神社を、出た。参道を、下り、始めた。
一歩、進むごとに。
さとみの、手が。
少しずつ、温かく、なって、いった。
でも。
途中で。
莉子の、ポケットの、スマホが、また、震えた。
三十七人目からの、投稿。
「もどってきて」
その、瞬間。
莉子の、つかんでいた、さとみの、手が。
すうっと。薄く、なりかけた。神社の方へ。引き戻されるように。
「だめ!」
莉子は、さとみの、手を、両手で、握りしめた。スマホを、見ないように。投稿を、読まないように。
「さとみは、こっち。帰るの」
莉子は、さとみの、名前を、何度も、呼びながら。参道を、下りた。
名前を、呼ぶたびに。
さとみの、手が。
また、濃く、温かく、なって、いった。
鳥居を、くぐった。
その、とたん。
さとみの、体が。
はっきりと。実体に、戻った。
*
この記録を作成したのは、柴田静流である。
田中莉子から、直接、話を聞いた。
さとみは、戻った。
莉子が、覚えていて、神社から、連れ帰ったから。
でも、今も。
クラスの、グループは、三十七人の、ままだ。
空白の、メンバーは、消えない。退会させても、戻る。
そして、月に、一度くらい。
さとみは、また、ぼんやりした、顔で、言う。「神社に、行きたい」と。
その日は、莉子か、わたしが、一緒にいる。一人では、行かせない。
莉子は、毎日、グループの、メンバー数を、確認している。
三十七。
その、一人が、また、さとみに、なろうと、しないか。
あるいは――次は、別の、誰かに、なろうと、しないか。
*
静流は、こう、考えている。
あの、三十七人目は。
空いた、場所を、探している。
グループの、誰か一人が、みんなから、忘れられると。そこに、入り込んで、その人に、なりかわる。
本物が、消えて。偽物が、収まる。
誰も、気づかない。
だって、みんな、本物のことを、忘れて、いるから。
気づけるのは。
その人を、覚えている人、だけ。
莉子は、覚えていた。だから、気づけた。連れ戻せた。
覚えている人が、一人でも、いる限り。
入れ替わりは、完成しない。
忘れることが。
誰かを、消す。
覚えていることが。
誰かを、つなぎとめる。
*
静流は、影見神社のことを、調べた。
なぜ、さとみは、神社に、行きたく、なったのか。
影見町には、昔、子供たちの、講が、あった。
子供組。同じ年頃の、子供が、集まって、神社の、行事を、手伝う、集まり。
その、子供組には、決まりが、あった。
集まるたびに、人数を、数える。
古い、記録に、こう、あった。
「子供組、寄り合ひの折、必ず数を数ふべし。一人多くば、その一人、神に召されたる者の身代はり也。多き一人を見つけ、本の一人を神より取り戻すべし」
子供組が、集まるときは、必ず、人数を、数えよ。一人、多ければ。その一人は、神に、召された者の、身代わりだ。多い一人を、見つけて、本物の一人を、神から、取り戻せ。
わたしは、その記録の、続きも、読んだ。
「数を数へず、身代はりを見過ごせば、本の一人、永久に神のものとなる。さすれば、村の者、その名も顔も忘れ、初めより居らざりし如くなる」
数を、数えず。身代わりを、見過ごせば。本物の一人は、永久に、神のものに、なる。そうなれば、村の人々は、その名も、顔も、忘れて。最初から、いなかったかのように、なる。
名前も、顔も、忘れる。
最初から、いなかった、かのように。
さとみの、席を、見て。「前から、空いてた、気がする」と、言った、クラスメイトたち。出席簿の、白く、なった、欄。
あれは。
昔の、村で、起きていたことと。何も、変わって、いなかった。
*
形は、変わった。
子供組の、寄り合いが。
クラスの、連絡グループに。
人数を、数える、ことが。
メンバー数を、確認する、ことに。
けれど、中身は、変わらない。
集まりに、一人、多ければ。
誰か一人が、神に、召されようと、している。
その、多い一人を、見つけて。本物を、取り戻す。
莉子は、知らずに、それを、した。
メンバー数の、異変に、気づいて。本物の、さとみを、覚えていて。神社から、連れ戻した。
昔の、子供組が、していたことを。
莉子は、一人で、やってのけた。
*
追記。
静流は、過去に、クラスから、消えた、生徒が、いないか、調べた。
数年前。あるクラスで、一人の生徒が、いなくなった。
誰も、覚えて、いなかった。
ただ、卒業アルバムの、ある写真に。
名簿の、人数より、一人、多く、写っていた。
誰も、名前の、わからない、生徒が。一人。
はみ出して、写って、いた。
その学年の、誰も。その子のことを、知らない。
覚えている人が、いなかった、から。
本物は、神に、召されて。
身代わりだけが。
写真の中に、残った。
わたしは、その、卒業アルバムを、実際に、見せて、もらった。
問題の、写真。後ろの列の、端に。
確かに、一人。
名簿に、ない、生徒が、写って、いた。
制服を、着て。みんなと、同じように、並んで。でも、その子だけ。
顔が。
笑って、いなかった。
ほかの、全員が、笑っているのに。その子だけが。無表情で。カメラを、まっすぐ、見て、いた。
まるで。自分が、ここに、いることを。誰かに、気づいて、ほしい、というように。
わたしは、その子の、顔を、覚えようと、した。
でも。
アルバムを、閉じて。もう一度、開いたら。
その子の、顔を。もう、思い出せなく、なって、いた。
覚えられない。
身代わりは。覚えさせて、くれない。
本物の、子は。もう、誰の、記憶にも、いない。名簿の、数にも、入って、いない。
ただ、一枚の、写真の中に。
はみ出した、一人として。
名前も、なく。
残って、いる。
*
この、第三話を、書き終えた夜。
わたしは、自分の、クラスの、グループを、開いて。
メンバーの、数を、数えた。
ちょうど。一人も、多くなかった。
ほっと、した。
でも、と、思った。
わたしは、ちゃんと、全員の、顔を、思い出せるだろうか。
一人ずつ、名前を、思い浮かべて、いって。
途中で。
ふと、不安に、なった。
もし、この中に。すでに、一人。忘れられた、子が、いて。その子の、ぶんを、身代わりが、埋めて、いたら。
わたしには。
気づけ、ないのだ。
だって、忘れて、いるんだから。
最初から、いなかった、ことに、なって、いるんだから。
わたしは、もう一度。
ゆっくりと。一人ずつ。名前と、顔を、確かめた。
全員、思い出せた。
今夜は。
大丈夫、だった。
*
この記録を読んでいる、あなたへ。
もし、あなたの、入っている、グループの。
メンバーの、数が。
ある日、一人、増えて、いたら。
数えて、ほしい。
そして、誰が、増えたのかを、確かめてほしい。
名前のない、空白の、メンバーが、いたら。
それは、誰かの、身代わりに、なろうと、している。
あなたの、まわりで。最近、誰か。
みんなが、忘れかけている人は、いないか。
席が、空いているのに。誰も、その人のことを、思い出せない、ことは、ないか。
いたら。
その人を、覚えていて、ほしい。
名前を。顔を。話し方を。
忘れないで、いて、ほしい。
覚えている人が、一人でも、いる限り。
その人は、まだ、戻れる。
忘れることは。
その人を、神に、渡すことだ。
だから。
もし、あなたが。誰かのことを。「あれ、こんな子、いたっけ」と、思ったら。
その、違和感を。捨てないで、ほしい。
「気のせいだ」と、流さないで、ほしい。
その、違和感こそが。
誰かが、消されようと、している、唯一の、しるし、だから。
思い出して、ほしい。その子の、席を。声を。名前を。
あなた一人が、覚えているだけで。
その子は。神の、ものに、ならずに、すむ。
数えて、ほしい。
あなたの、まわりの、人を。
一人も、多くなく。
一人も、少なく、なく。
──第三話 三十七人目 了──




