第九話 時計の裏
九月十四日、土曜日。午後二時。
三宅悠人、十五歳、三年A組は。商店街の、古道具屋に、いた。
古い、腕時計が、欲しかった。
最近、悠人の、まわりで。アナログの、腕時計が、流行って、いた。スマホで、時間は、わかる。でも、わざわざ、腕時計を、する。それが、なんとなく、大人っぽくて。かっこいい、と、思った。
でも、新しいのは、高い。悠人の、お小遣いでは、買えなかった。
だから、悠人は。中古を、探しに。古道具屋に、来た。
薄暗い、店の、奥。ガラスの、ケースの、中に。古い、腕時計が、何本か、並んで、いた。
どれも、千円から、三千円の、値札が、ついて、いた。
その中に、一本だけ。
三百円の、ものが、あった。
*
革の、ベルト。白い、文字盤。黒い、針。
シンプルで。古いけれど。きれいな、時計だった。
悠人は、不思議に、思った。ほかの、時計は、千円以上、するのに。これだけ、三百円。
動かないのかな、と、思って。耳に、当ててみた。
ちゃんと。
ちっ、ちっ、と。秒針の、音が、して、いた。
動いて、いた。
悠人は、店主を、呼んで。聞いた。
「これ、ちゃんと、動いてますよね。なんで、三百円なんですか」
店主は。レジの、奥から、出てきて。その時計を、見て。
少し、黙った。
それから。言いにくそうに、言った。
「……それは、ちょっと、遅れるんだ。少しずつ。直しても、また、遅れる。だから、安い」
少し、遅れる。
悠人は、思った。それくらい、いい。三百円なら。多少、ずれても、スマホで、合わせれば、いい。
悠人は、その時計を、買った。
店主は、お釣りを、渡しながら。一度だけ。こう、言った。
「あんまり。それを、見ながら。急がない、ほうが、いい」
妙な、言い方だった。
でも、悠人は。あまり、気に、留めなかった。腕に、巻いて。店を、出た。
*
その時計を、し始めて。悠人は。妙なことに、気づいた。
時計は。確かに、少しずつ、遅れた。
でも。ただ、遅れるのとは。何か、違った。
たとえば。授業中。時計を、見ると。まだ、始まった、ばかりの、時刻だった。「まだ、こんな、時間か」と、思って。少し、ぼんやり、して。もう一度、見ると。同じ、時刻のまま。針が、動いて、いない。
なのに。チャイムが、鳴った。授業が、終わって、いた。
時計の中では。数分しか、経って、いないのに。現実では。一時間、過ぎて、いた。
逆のことも、あった。朝、家を、出るとき。時計を、見て。「まだ、余裕がある」と、思って。のんびり、歩いたら。学校に、着いたとき。とっくに、遅刻して、いた。
時計の中の、時間は。
いつも。現実より。少しだけ。後ろに、いた。
悠人は。それを。「安物だから、ずれるんだ」と、思って。気に、しなかった。スマホで、合わせれば、いい。そう、思って、いた。
でも。それは。
ただの、安物の、遅れでは。なかった。
時計は。悠人の、時間を。少しずつ。後ろへ。あの、止まった、時刻へ。引っぱって、いたのだ。
*
九月十七日、火曜日。午前七時。
悠人は、その時計を、して。学校へ、向かった。
いつもの、通学路。少し、遅刻ぎみだった。前の夜、夜ふかしを、して。寝坊した。
悠人は、時計を、見た。七時、四十分。
まだ、間に合う。始業は、八時、十五分。学校までは、二十分。少し、急げば、大丈夫。
悠人は、早足で、歩いた。
途中に。踏切が、ある。
影見駅の、北の、踏切。一日に、何本か、電車が、通る。古い、踏切で。遮断機の、降りる、音が、やけに、大きい。
悠人が、踏切に、着いたとき。
遮断機は。上がって、いた。
渡れる。
悠人は、念のため。時計を、見た。
七時、五十二分。
まだ、余裕が、ある。次の、電車まで、時間が、あるはず、だった。悠人は、毎朝、この踏切を、渡る。七時、五十二分に、ここを、通る、電車は。ないはず、だった。
悠人は。踏切に、足を、踏み入れた。
*
線路の、上に。
立った、とき。
遠くで。音が、した。
かんかんかんかん。
踏切の、警報音。
悠人は、振り返った。
遮断機が。
降りて、いた。
悠人の、背後で。降りた、遮断機。
悠人は、踏切の、真ん中に、いた。
おかしい、と、思った。
さっき、踏切に、足を、踏み入れた、ときは。遮断機は、上がって、いた。警報も、鳴って、いなかった。線路の、向こうまで。何も、なかった。
それが。一歩、踏み出した、だけで。もう、遮断機が、降りて。警報が、鳴って。
まるで。踏切の、上に、いた、ほんの、数秒の、あいだに。何分も。何十分も。時間が、飛んだ、ように。
時計の中の、時間と。本当の、時間が。ずれて、いた。
電車が、来る。
かんかんかんかん。
左を、見た。
ヘッドライト。
電車が。すぐ、そこまで。
*
悠人は。
とっさに。
前へ、飛んだ。
踏切を、渡りきった。向こう側へ。地面に、転がった。
その、すぐ、後ろを。
ごう、と。
電車が、通り過ぎた。
風圧で。悠人の、髪が、乱れた。シャツが、はためいた。轟音が。鼓膜を、殴った。
もし。あと、一秒、遅かったら。
悠人は。あの、電車の、下に、いた。
電車が、通り過ぎて。遮断機が、上がった。
あたりが。急に。静かに、なった。
悠人は。地面に、座り込んだ、まま。
震える手で。時計を、見た。
*
七時、五十二分。
針が。
止まって、いた。
七時、五十二分を、指したまま。
動いて、いなかった。
さっき、踏切に、入ったときも。七時、五十二分。電車が、来たときも。七時、五十二分。今も。七時、五十二分。
時計は。
その、時刻で。止まって、いた。
悠人は。スマホを、出して。時刻を、確認した。
八時、五分。
本当は。八時、五分、だった。
時計は。十三分も。遅れて、いた。
いや。
遅れて、いたのでは、ない。
七時、五十二分で。止まって、いたのだ。
ずっと。
あの、瞬間で。
*
悠人は。その、止まった時計を。じっと、見た。
七時、五十二分。
さっき、踏切で。電車が、来た、時刻。あと、一秒で。悠人が、死ぬ、ところだった、時刻。
時計は。その、瞬間に。止まった。
いや。違う。
時計が、止まった、瞬間に、向かって。悠人が、引き寄せられた、のだ。
「少し、遅れる」と、店主は、言った。
遅れて、いたのでは、なかった。
止まる、瞬間に向かって。時を。少しずつ。巻き戻して、いたのだ。
悠人は。なぜか。時計を。裏返した。
時計の、裏。
金属の、ふた。
そこに。
小さく。
文字が。彫られて、いた。
*
名前と。
日付と。
時刻が。
名前は。悠人の、知らない、男の人の、名前だった。
その、下に。日付。
九月十七日。
今日の、日付。ただし。何年も、前の。
そして、その、横に。
時刻。
七時、五十二分。
悠人は。
全身から。血の気が。引いた。
*
悠人は。ようやく。わかった。
この時計の、前の、持ち主は。
何年も、前の。九月十七日の。七時、五十二分に。
あの、踏切で。
死んだ。
時計は。その、瞬間に。止まった。死んだ人の、時計は。死んだ、その時刻を、指して。止まる。
そして。その時計を。新しく、身につけた、者を。
同じ、日。同じ、時刻。同じ、場所へ。
引き寄せる。
もう一度。あの、瞬間を。繰り返させる、ために。
悠人は。今日が。九月十七日だと。気づいて、いなかった。
時計が。悠人を、選んだ、ように。
ちょうど。命日に。あの、踏切へ。連れて、いった。
*
悠人は。
その時計を。腕から、外そうと、した。
でも。
外れなかった。
革の、ベルトの、留め金が。指に、馴染んで。まるで。腕に、吸いついて、いるように。なかなか、外れなかった。
しかも。
時計が。冷たかった。
さっきまで。腕の、熱で。温まって、いた、はずなのに。今は。氷のように。冷たかった。文字盤の、ガラスが。内側から。白く、曇って、いた。
悠人は。両手で。必死に。留め金を。外した。
ぱちん、と。やっと、外れた。
外した、瞬間。
手首に。くっきりと。時計の、跡が。赤く。残って、いた。
まるで。手錠の、跡のように。
悠人は。その時計を。鞄の、底に。押し込んだ。
二度と。しない。
その日。悠人は。一日じゅう。心臓が。どきどき、して、いた。授業も。何も。頭に、入らなかった。
家に、帰って。悠人は。その時計を。
押し入れの、奥に。しまった。
古い、菓子の、缶に、入れて。さらに、その缶を。別の、段ボールの、奥に、押し込んで。
奥の、奥に。
しまった。
もう。巻かない。もう。見ない。
止まった、針が。また、動き出して。次の、九月十七日の。七時、五十二分に。悠人を。あの、踏切へ。引き寄せない、ように。
*
でも。
その夜。
押し入れの、奥から。
かすかに。
音が、した。
ちっ。ちっ。ちっ。
止まって、いた、はずの、時計の。秒針の、音。
缶の中で。段ボールの、奥で。
時計が。また。動き、始めて、いた。
悠人は。布団の中で。耳を、塞いだ。
ちっ。ちっ。ちっ。
それは。秒を、刻む音、では、なく。
来年の、九月十七日に向かって。一秒ずつ。近づいて、いく、音のように。聞こえた。
数日後。悠人は。こわごわ。押し入れの、缶を、開けて。時計を、見た。
止まって、いた、はずの、針が。
動いて、いた。
でも。今の、時刻では、なかった。
七時、四十分を、指して、いた。
七時、五十二分の。少し、手前。
時計は。あの、瞬間に向かって。少しずつ。針を、進めて、いた。来年の、九月十七日の。七時、五十二分に。ぴったり、合うように。
悠人は。慌てて。裏ぶたを、開けて。電池を、抜こうと、した。
でも。
その時計には。電池を、入れる、ところが。どこにも、なかった。
ゼンマイの、巻き口も。なかった。
何で、動いて、いるのか。
わからなかった。
悠人は。缶の、ふたを。強く、閉めた。そして、その上に。重い、本を。何冊も。積んだ。
*
この記録を作成したのは、柴田静流である。
三宅悠人から、直接、話を、聞いた。
悠人の、時計は、今も。押し入れの、奥に、ある。缶の中で。七時、五十二分を、指したまま。
悠人は。二度と、それを、しない。
わたしは、一つだけ、確かめた。
「時計を、外して。押し入れに、しまった。それで、もう、踏切に、引き寄せられない」
「うん」と、悠人は、言った。「あの時計を、してる、あいだだけ、だった。外したら。時間が、ずれることも。なくなった。でも……」
「でも?」
「夜、たまに。押し入れから。秒針の、音が、する。気がする」
わたしは、ノートに、書いた。「時計の裏。死んだ持ち主の死の刻(七時五十二分)を指して止まる。身につけた者を、同じ日・同じ時刻・同じ場所(踏切)へ引き寄せ、時間を飛ばす。外してしまえば引き寄せは止まる。ただし、針はまた動こうとする」
*
わたしは、こう、考えて、いる。
昔から、言われて、きた。死んだ人の、時計は。死んだ、その時刻で、止まる、と。
家の、柱時計が。おじいさんが、亡くなった、その瞬間に。理由もなく、止まった。そういう、話は。どこの、家にも、ある。
それは。その人の、時が。そこで、終わった、しるし。
でも、影見町では。
止まった時計は。ただ、止まる、だけでは、ない。
その時計を。新しく、持った者を。止まった、その時刻へ。引き戻そうと、する。
踏切は。線路は。
この世と、向こうを、分ける。境の、一つだった。
遮断機が、降りる。こちらと、向こうが。断ち切られる。電車が、通る。その、一瞬。線路の、上は。どちらの、世界でも、なくなる。
死んだ人は。その、踏切で。向こう側へ、渡った。
時計は。新しい持ち主を。同じ場所、同じ時刻に、立たせて。
もう一度。あの、渡る、瞬間を。再現しようと、する。
今度は。新しい持ち主を。向こう側へ、連れて、いく、ために。
影見町にも。こんな、言い伝えが、あった。
昔。この町では。人が、亡くなると。その人の、使って、いた、時計を。一緒に、棺に、入れるか。さもなければ。針を、わざと、抜いて。動かなくして、から。形見に、した、という。
動く、まま、残すと。
その時計が。「持ち主を、探す」と、信じられて、いた。
古い、覚え書きに、こう、あった。
「死したる者の時計、針を止めずば、次の主を呼ぶ。同じ刻、同じ地に誘ひ、己が往きし道を、なぞらせんとす。形見の時計は、必ず針を抜くべし」
死んだ者の、時計は。針を、止めなければ。次の、持ち主を、呼ぶ。同じ、時刻、同じ、場所に、誘って。自分が、たどった、道を。なぞらせ、ようと、する。だから、形見の、時計は。必ず、針を、抜け。
悠人の、買った、時計は。
針を、抜かれて、いなかった。
動く、まま。古道具屋に、流れて。
次の、持ち主を。探して、いた。
*
形は、変わった。棺に、入れる、ことが。あるいは、針を、抜く、ことが。今は、もう。されなく、なった。
でも、死者の、時計は。今も。動く、まま、なら。
次の、持ち主を、呼ぶ。
*
追記。
わたしは、その、踏切のことを、調べた。
影見駅の、北の、踏切。
古い、新聞の、縮刷版を、めくると。九月十七日の、日付で。その踏切での、事故の、記事が、あった。
何年も、前。朝の、通学・通勤の、時間帯。一人の、男性が。電車に。
時刻は。記事に、よれば。
七時、五十二分。
わたしは、もう少し、調べた。
その男性も。事故の、日。腕時計を、して、いた、らしい。遺品として。家族に、返された。
でも、その時計は。いつのまにか。なくなって、いた、という。家族が。気づいたら。仏壇の、引き出しから。消えて、いた。
わたしは。その、家族のことを。もう少し、調べた。
亡くなった、男性には。当時、中学生の。弟が、いた、らしい。
その、弟は。兄の、形見の、時計を。とても、大事に、して、いた。毎日、腕に、して、いた。
ところが。ある日。その弟も。同じ、踏切で。あやうく。事故に、あいかけた、という。
遮断機が、降りて、いるのに。なぜか。気づいたら、線路の、上に、いて。間一髪で。助かった。
その、あと。弟は。時計を。手放した。「これを、してると。あの踏切に。吸い寄せられる」と、言って。
どこかへ。売って、しまった。
たぶん。それが。誰かの、手を、経て。古道具屋に、流れて。三百円の、値札を、つけられて。
悠人の、腕に。巻かれた。
そして、ちょうど。命日の、朝に。
悠人を。あの、踏切へ。連れて、いった。
*
この、第九話を、書き終えた夜。
わたしは、自分の、部屋の、時計を、見た。
ちゃんと。動いて、いた。今の、時刻を。指して、いた。
ほっと、した。
でも、ふと、思った。
わたしの、まわりの、時計は。本当に、全部。今の、時刻を。指して、いるだろうか。
わたしは、家じゅうの、時計を、確かめて、回った。台所。居間。玄関。
全部。同じ、時刻を、指して、いた。
大丈夫、だった。
でも。
もし、いつか。どれか一つだけが。違う、時刻で。止まって、いたら。
それは。誰かの、終わった、時かも、しれない。
その時計は。きっと。捨てた、ほうが、いい。
*
この記録を読んでいる、あなたへ。
もし、あなたが。中古の、時計を、買うとき。
ほかより、極端に、安い、ものが、あったら。気を、つけて、ほしい。
「少し、遅れる」と、店の人が、言っても。
その、「遅れ」が。本当に、ただの、遅れか。
時計を、裏返して、ほしい。
裏の、ふたに。
名前と。日付と。時刻が。彫られて、いたら。
その時計は。買わないで、ほしい。
もし、もう、買って、しまって、いたら。
すぐに、外して、ほしい。押し入れの、奥に。箱に、入れて。しまって、ほしい。
死んだ人の、時計は。あなたを。その人が、死んだ、場所と、時刻へ。連れて、行こうと、する。
時間に、余裕が、ある、と。その時計が、言っても。
信じないで、ほしい。
踏切の、前では。特に。
遮断機が、上がって、いても。線路を、渡る、前に。
スマホで。本当の、時刻を。確かめて、ほしい。
その、一手間が。あなたを。向こう側へ、連れて、いかれない、ための。
たった一つの。守りに、なる。
──第九話 時計の裏 了──




