第十話 この町の影
三月七日、金曜日。午後四時。
わたしは、ノートを、閉じた。鞄に、入れた。
放課後、神社に、行こうと、決めて、いた。
柴田静流、十四歳、一年C組。
この一年間、わたしは。記録を、つけて、きた。
影見町で、起きた、おかしなことを。怪異に、遭った人の、話を、聞いて。ノートに、書いた。日付。名前。年齢。何が、起きたか。
最初は。ただの、好奇心、だった。
夕方の、影見町で。妙なことが、起きる、という、噂。誰かが、いなくなる、という、話。わたしは、それを、確かめたくて。話を、聞いて、回った。
でも。聞けば、聞くほど。書けば、書くほど。
わたしは、一つのことに、気づいて、しまった。
全部。
つながって、いた。
*
わたしが。最初に、記録したのは。颯太の、話だった。
去年の、春。同じ、クラスの、颯太が。「最近、誰にも、気づいて、もらえない」と、つぶやいて、いた。出席を、取られない。話しかけても。すぐ、忘れられる。
わたしは。それを。ノートに、書いた。日付と。颯太の、名前と。何が、起きて、いるかを。
書いたら。少し。気持ちが、落ち着いた。
わからないものを。言葉にして。形に、すると。すこし、立ち向かえる、気が、した。
それから。わたしは。妙な話を、聞くたびに。書くように、なった。
朔也。莉子。さとみ。詩織。拓海。葵。光樹。ひかる。真帆。悠人。
一人ずつ。話を、聞いて。書いた。怖い、話ばかりだった。でも。書いて、いるうちに。気づいた、ことが、あった。
書いた人は。みんな。助かって、いた。
黒板の、影を、消して。缶を、買うのを、やめて。さとみを、覚えて、いて。借りるのを、やめて。バスに、戻って。覗くのを、やめて。トンネルを、引き返して。時計を、外して。
ぎりぎりで。戻って、きた、人ばかり。
わたしは。いつのまにか。この町の。「記録者」に、なって、いた。
誰に、頼まれた、わけでも、ない。ただ。書かずには。いられなかった。
*
颯太の、黒板の、影。
朔也の、缶の底の、文字。
莉子の、グループの、三十七人目。さとみの、消えかけた、席。
詩織の、図書室の、貸出カード。
拓海の、最後のバス停。「もういい」と、座る、生徒。
葵の、深淵を、覗く、スマホ。
光樹の、山のトンネル。家も、人も、ない、別の町。
ひかると、真帆の、消えた写真。影だけ、残して、消えていく人。
悠人の、時計の、裏。死んだ人の、時刻へ、引き寄せる、針。
九つ。
九つの、話を、書いた。
ばらばらの、怪異の、ように、見えて。
でも。
全部。一つの、方向を。指して、いた。
*
颯太が、最後に、行ったのも。神社だった。
朔也の、自販機が、向いて、いたのも。北。影見神社の、方向。
さとみが、引き寄せられたのも。神社。
拓海の、バスの、終点も。影見神社前。
悠人の、時計が、止まった、踏切も。神社の、ある、北の、線の、上。
光樹の、トンネルも。北の山を。影見神社の、ある、山を。貫いて、いた。
葵の、覗いた、深淵も。ひかるの、消えた、写真も。たどって、いくと。みんな、同じ、ところに、行きついた。
影見神社。
わたしは。その、中心に。何が、いるのかを。確かめに、行くことに、した。
怖かった。でも。記録者として。最後まで、見届けなければ、と、思った。
*
影見神社は。北の、山の、ふもとに、ある。
古い、神社だった。参道は、薄暗く。両側を、杉の、木が、囲んで、いた。苔むした、灯籠が、並んで、いた。
わたしは、参道を、登った。
日が、傾いて、いた。夕暮れ。
縁起に、あった、一節を、思い出した。
「此の地には古より影宿り、夕べになれば世の境ゆらぐ」
この、土地には。古くから。影が、宿って、いる。夕方に、なると。世の、境が、ゆらぐ。
まさに、その、夕方だった。
空が。赤から、紫へ。変わって、いく。木々の、影が。長く、長く。参道に、伸びて。重なって。
逢魔が時。
一歩、登るごとに。空気が。少しずつ。冷たく。重く。なって、いった。
わたしは、拝殿の、前まで、来た。
その、奥に。小さな、社が、あった。古い、木の、社。
その、扉が。
少し。開いて、いた。
*
わたしは。社の、奥を、覗き込んだ。
暗かった。最初は、何も、見えなかった。
目が、慣れてくると。
奥に。小さな、影が。うずくまって、いた。
子供の、形を、した。
黒い、影。
顔も、手も、足も。輪郭しか、なかった。ただ、黒い、人の形。子供の、大きさの。
それは。眠って、いるように、見えた。社の、奥で。膝を、抱えて。静かに。
わたしは。小さな、声で。言った。
「あなたが」
「あなたが。全部の、もとなの」
黒い影の、子供は。
ゆっくりと。顔を、上げた。
顔は、なかった。でも、こちらを、見た、気が、した。
そして。声が、した。
子供の、ような。でも、ずっと、年老いた、ような。不思議な、声。
「やっと、来たね」
「ずっと、待ってた。お前が、ここに、来るのを」
わたしは。震える声で。聞いた。
「あなたは。誰なの」
子供は。少し、首を、傾げた。輪郭だけの、黒い、頭が。かしいだ。
「もう。忘れちゃった」
「ずっと、昔。この、山の、ふもとに。子供が、いた。一人で。誰にも、見て、もらえなくて。誰にも、覚えて、もらえなくて」
「その子は。死んだのか。神隠しに、あったのか。わからない。気づいたら。この、社の中で。眠って、いた」
「目を、つむると。夢を、見る。町の、夢。みんなが、いる、夢。さみしくないように。みんなが、いる、夢を、見るんだ」
「でも。目を、覚ますと。誰も、いない。だから。ずっと、眠って。夢を、見続けて、いる」
わたしは。その、黒い影を。見て、いた。
こわい、はずだった。
でも。少し。かわいそうに。なった。
誰にも、見て、もらえなかった、子。誰にも、覚えて、もらえなかった、子。さみしくて。町ごと。夢に、見て、いる、子。
その、夢の、はじっこで。怪異が、生まれて。誰かが。飲み込まれて、いく。
この子は。たぶん。誰かを、傷つけたくて。怪異を、生んで、いる、わけでは、なかった。
ただ。さみしくて。眠って、いる、だけ、だった。
*
「ここは、夢の中なんだ」と、子供は、言った。
「影見町は。わたしが、見て、いる、夢」
「昼の、影見町は。普通の、町。みんなが、起きて、いる、町」
「でも。夜に、なると。夕方に、なると。わたしが、見て、いる、夢が。本物の、町に。しみ出す」
「だから。世の、境が、ゆらぐ」
「黒板の、影も。缶の底の、文字も。三十七人目も。バス停の、生徒も。トンネルの、向こうの、町も。消える、写真も。止まる、時計も」
「全部。わたしの、夢が。作った、もの」
わたしは、聞いた。
「あなたが。夢を、見るのを。やめれば。怪異も。なくなるの」
子供は。しばらく、黙って。
それから、言った。
「うん。でも」
「夢の中に、いる人も。いなくなる」
*
「夢の中に。取り込まれた、人たちが、いる」と、子供は、言った。
「帰れなく、なった、人たち。バス停で、待つ、生徒。トンネルの、向こうの、町に、迷い込んだ、人。写真から、消えた、人。三十七人目に、入れ替わられた、人」
「みんな。まだ。わたしの、夢の中に、いる」
「もし。わたしが、夢を、やめれば。夢は、覚める。怪異は、消える。新しく、取り込まれる人も。いなくなる」
「でも。今、夢の中に、いる人は。覚めた、夢と、一緒に。消える。二度と。戻って、こない」
わたしは。息を、呑んだ。
「だから」と、子供は、言った。
「お前が、書く、限り。わたしは。夢を、見続ける」
「お前が、最後に、書いた、とき。夢が。終わる」
*
わたしは。わからなかった。
なぜ、わたしが、書くことと。子供が、夢を、見ることが。つながって、いるのか。
子供は、言った。
「記録と、夢は。互いを、作りながら。続いて、いる」
「お前が、怪異を、記録する。記録されると。その怪異は。『確かに、あったこと』に、なる。確かに、あったことに、なると。わたしは。その夢を。見続けられる」
「お前が、書くのを、やめたら。記録が、途絶える。記録が、途絶えたら。わたしの、夢も。続かない」
「夢が、終われば。怪異は、消える。でも。取り込まれた人も。消える」
「だから。お前は。書くか。やめるか。選べる」
「書けば。怪異は、続く。でも。取り込まれた人にも。戻ってくる、隙間が。残る」
「やめれば。怪異は、消える。でも。あの人たちは。永遠に。帰って、こない」
*
子供は。小さな、手を。わたしの、方へ。伸ばした。
「見る?」
わたしが、答える、前に。
社の、奥の、暗がりが。ぐにゃり、と、歪んだ。
そこに。町が。見えた。
暗い、影見町。灯りの、ない、町。夜なのに。星も、月も、ない、空。
その町を。人々が。歩いて、いた。
古い、制服の、生徒が。終わらない、バスを。ベンチで、待って、いた。膝の上に。白い紙を、持って。
一人の、男の人が。出口の、ない、町を。ずっと。歩いて、いた。同じ、角を。何度も。曲がりながら。家を、探すように。
名前も、顔も、ない、女の子が。一枚の、写真の、中から。こちらを。見て、いた。
みんな。静かだった。叫びも、しない。泣きも、しない。ただ。歩いて。待って。さまよって、いた。
夢から。覚めるのを。待つように。
あるいは。もう。覚めることを。諦めた、ように。
「この人たちは」と、わたしは、聞いた。「戻れるの?」
「お前が、書く、限り」と、子供は、言った。「夢が、続く、限り。いつか。誰かが、気づいて。連れ戻しに、来るかも、しれない。さとみが、そうだった、ように」
「でも。夢が、終われば。この人たちは。夢ごと。消える。最初から。いなかったことに、なる。覚えて、いる人も。いなくなる」
暗がりが。すうっと。元に、戻った。
ただの。暗い、社の、奥に。
*
わたしは。社の、奥の。黒い影の、子供を。見た。
書けば。
怪異は、続く。これからも。誰かが、夜の影見町で。おかしなものを、見る。帰れなく、なる人も。出る。
でも。書く、限り。すでに、取り込まれた人にも。戻ってくる、隙間が、残る。記録が、残れば。誰かが、読む。気をつける人が、増える。助かる人が、増える。
やめれば。怪異は、消える。新しい、被害は、出ない。
でも。今、夢の中に、いる人は。永遠に。帰って、こられない。
拓海が、声を、かけた、バス停の、生徒。さとみ。写真から、消えた人。トンネルの、向こうの、人。
みんな。
わたしが、目を、閉じると。まぶたの、裏に。たくさんの、人影が、見えた、気が、した。
暗い、影見町。灯りの、ない、町。その、あちこちに。帰れなく、なった人たちが。立って、いた。バス停で。トンネルの、向こうで。空っぽの、教室で。暗室で。みんな、こちらを。わたしを。見て、いた。
助けて、と。言うように。まだ、いるよ、と。言うように。
わたしが、ノートを、閉じれば。その人たちは。夢と、一緒に。消える。
わたしが、書き続ければ。その人たちには。まだ。帰り道が。残る。
わたしは。目を、開けた。
心臓が。ばくばく、して、いた。
怖かった。
書くと、決めれば。わたしは。これから。ずっと。怪異を、見続ける。怖い、話を、聞き続ける。一人で。この、重いものを。抱え続ける。
やめれば。楽に、なれる。
もう。夜の影見町に。おびえなくて、いい。妙な噂を、追いかけなくて、いい。普通の、中学生に。戻れる。
ノートを、閉じて。火を、つけて、燃やして、しまえば。それで。終わる。
でも。
やめた、瞬間。
あの、暗い町の、人たちは。消える。
バス停の、生徒も。出口を、探して、歩く、男の人も。名前のない、女の子も。
わたしが。楽に、なる。その、代わりに。
あの人たちは。最初から。いなかったことに。なる。
誰の、記憶からも。消える。
わたしには。
それは。
できなかった。
*
わたしは。言った。
「書く」
黒い影の、子供に、向かって。
「まだ、書く。やめない。書ける、限り。書く」
子供は。しばらく、黙って。
それから。また、膝を、抱えて。社の、奥で。目を、閉じた。
「そうか」と、子供は、言った。
「じゃあ、夢は。続くね」
「お前が、書く、限り」
わたしは。社の、扉を。そっと、閉めた。
参道を、下りた。
日が。木々の、あいだから。最後の、光を。差して、いた。
その光の中で。わたしの、影が。長く。参道に、伸びて、いた。
ちゃんと。わたしの、形を、して。ついて、きて、いた。
わたしは。鳥居を、くぐった。
外に、出ると。町には。もう。明かりが、ともり、始めて、いた。家々の、窓。街灯。遠くの、コンビニの、看板。どこかの、家の、夕飯の、匂い。自転車の、ベル。
いつもの。生きて、いる。影見町。
さっきの。暗い。灯りの、ない、町は。夢の、向こうに。沈んで、いった。
でも。わたしは。知って、いる。
あの、暗い町は。消えた、わけじゃ、ない。この、明るい町の。すぐ、裏側に。重なって。今も。ある。夕暮れに、なれば。また。しみ出して、くる。
わたしは。歩きながら。決めた。
来年も。書く。再来年も。中学を、卒業しても。たぶん。書く。
いつか。わたしも。大人に、なって。この町を。出る、日が。来るかも、しれない。
その、ときは。
誰かに。このノートを。渡さなければ、ならない。記録を。続けて、くれる、誰かに。
でも。それは。まだ。ずっと、先の、話だ。
今は。わたしが。書く。
わたしが。この町の。記録者だ。
*
やめないから。
影見町は。今日も。影見町だ。
夜に、なると。少しだけ、変わる、町。夕暮れに。世の、境が、ゆらぐ、町。
影を、見る、町。
影に、見られる、町。
わたしは。書くことを。やめない。
知って、いて。書く。
怪異が、続くことも。誰かが、また、帰れなく、なることも。全部。知って、いて。
それでも。書く、限り。帰って、こられる、可能性が。残るから。
それだけのために。
わたしは。家に、帰って。ノートを、開いて。この、第十話を、書いた。
一年間の、記録の。最後の、一話を。
そして。来年度。二年生に、なったら。また、書く。
夜の。帰れない町の、話を。
わたしが、書くのを、やめる、その日まで。
*
この記録を読んでいる、あなたへ。
あなたは。影見町怪異録の、一巻を。最後まで、読んだ。
九つの、話と。この、最後の、一話を。
もう。知って、しまった。
放課後の、教室で。黒板の、影が、一つ、多いことを。夜の、自販機の、缶の底に。文字が、あることを。グループの、人数が、一人、多いことを。古い本の、貸出カードに。未来の、日付が、あることを。最後のバス停で。待つ、生徒が、いることを。スマホで、人の、深淵が、覗けることを。トンネルの、向こうが。別の、町に、なることを。写真から、人が、消えることを。死んだ人の、時計が。人を、引き寄せることを。
知って、しまった、から。
あなたは。もう。気づける。
黒板の、影を、数えられる。缶の、底を、見られる。メンバーの、数を、確かめられる。足元の、影を、見られる。
気づければ。たぶん。少しだけ。逃げられる。帰れる。
知らないまま。飲み込まれるより。
知って、いて。気をつける、ほうが。ずっと、いい。
わたしは。書き続ける。
あなたが。夜の影見町で。帰れなく、なった、とき。
戻って、こられる、隙間を。
閉じないで、おくために。
だから。あなたに。一つだけ。お願いが、ある。
もし、あなたの、まわりで。誰かが。いなくなったら。
「転校した」とか。「引っ越した」とか。そう、聞いても。
その人のことを。忘れないで、いて、ほしい。
名前を。顔を。声を。覚えて、いて、ほしい。
覚えて、いる人が。一人でも、いれば。その人は。まだ。夢の中から。戻って、これる。
わたしが、書くのと。同じだ。
覚えて、いることが。書いて、おくことが。
その人の、帰り道に、なる。
わたしは。記録者として。書き続ける。
あなたは。あなたの、大切な人を。覚えて、いて、ほしい。
そうすれば。この町は。誰も。完全には。消さない。
ここは。影見町。
影を、見る、町。
影に、見られる、町。
夕暮れに、なれば。
世の、境が。
静かに。
ゆらぐ。
柴田静流、記す
──第十話 この町の影 了──
──影見町怪異録① 放課後の影 了──




