第9話 婚約を断るための婚約
婚約をしないにしても一度は会うか悩んだ上で、やっぱりこの申し出自体を、お断りさせてもらうことにした。けれども、うちの男爵家からは断りづらいので、父と話し合って、伯父の力を借りることにした。
父の兄のコンラート伯父さんは、うちの親家であるルミナリア伯爵家の当主だ。代々、王宮で外交を担当している。
伯父さんの家には息子しかいないこともあって、可愛い女の子である私は、子供の頃とても可愛がってもらっていた。
「ヴァレール伯爵家か……」
父と並んで腰を下ろした私の向かいのソファで、伯父さんは少し考え込んだ。テーブルの上には、私が好きなお菓子がたっぷりと用意されていた。深刻な話をしに来たのに、いつまでも子供扱いのままなんだと、少し微笑ましく感じる。
「私は面識はほとんどないが、それなりに領地経営もちゃんとした伯爵家だ。悪くはない縁談だと思うんだがな。ソフィアとギュンターは、そうは思わなかったのか?」
そう言われて、ちょっと怯む。
確かに、話だけ聞くと、男爵家の娘が伯爵家に嫁ぐというのは、良縁に恵まれたと思われるだろう。
「兄上、それでも私は、ソフィアの意思を尊重したいんだ」
父が、訴えるように言う。伯父さんは、私の顔を見つめてきた。父とよく似た、金髪に青い瞳。
「なにか、相手が嫌な理由があるんだろう? 話してごらん」
私は、ところどころつっかえながら、会った時のことを説明した。初めて会うのにかなり強引に誘われたこと、断ったのに無理やり腕を掴んで連れていかれそうになったこと、それが怖かったこと。
「なるほどね。エドワードくんは、ずっと君に優しい婚約者だったから、そういう目に遭ったことが——おっと、ごめん」
「ううん」
伯父さんの言う通りだったので、私は首を振った。
確かに、私にとっての男の子の基準は、優しかった頃のエドワードだ。彼は少し強引なところもあったけれど、私を怖がらせないための気遣いは忘れなかった。浮気されたことは今でも許せないけれど、楽しかった過去までは否定したくない。
「それなら、同じ伯爵家だ。うちからなら確かに、やんわりと断ることは難しくない。でも、ソフィア。それだってなんの理由もなしにできるわけじゃない。それは、わかるね?」
「……はい」
「すでに、他の縁談が進んでいることにしよう。それが一番無理がない」
「婚約をしたくなくて断るのに、他の人と婚約をするの?」
私は驚いて声を上げた。
「ソフィア、新しい婚約をしないと、今回の縁談を断っても、また他の人から釣り書きが届くだけだよ? 君は若くて可愛くて、とても魅力的なんだから」
「それは……確かに」
父も納得するように唸る。
「心当たりはいないかい?」
伯父さんに訊かれて、一瞬だけアルベルトの顔が過ぎる。でも、私は急いで首を振った。
「おや? 次男のマティアスが言っていたが、最近はずっと騎士様がそばで守っているそうじゃないか」
アルベルトとのことを揶揄されて、私は飛び上がりそうになった。従兄のマティアスは学園の三年生だ。子供の頃はよく一緒に遊んだが、今ではたまに挨拶を交わす程度の関係。
学園での様子を、伯父さんに話しているとは思わなかった。
「アルベルト・アルステイン伯爵令息なら、婚約者もいないし家柄も良い。何よりお前と面識もあって、怖いことなんてないだろう?」
「そんな……、伯爵家の方となんて釣り合わないわ」
まさか、こんな流れでアルベルトと婚約する話が出るなんて思いもしなかった。だって、乙女ゲームでは、誰にも婚約者なんていなかったもの。 さすがに現実では、王太子に婚約者がいないのは不自然だからか、学園入学前に婚約が整えられたと噂に聞いたけれど。
それに、私はまだエドワードとのことが終わったばかりで、とても新しい縁談なんて考えられない。しかも、その相手が攻略対象だなんて。
「相手の爵位が同じ伯爵家、それも代々騎士団長を輩出しているアルステイン家のほうが家格が上で、ヴァレール伯爵家にも断りやすい。きちんと話を通してあげるから、ここは聞き分けなさい」
ここまで言われてしまっては、私にはもう断ることができなかった。それにしたって、婚約を断るために婚約するなんて、本末転倒だわ。貴族社会はこれだから。
「こんなことになって、本当に申し訳ありません」
私は、テーブルの反対側に座るアルベルトに頭を下げた。今日は、アルベルトとの婚約を前提にした、お見合いの日だ。
今日の私は、若草色のデイドレスに、アルベルトの瞳の色と同じ、新緑のエメラルドの髪飾りとブローチを身に着けている。ウエストを絞るリボンと、刺繍も深い緑色。完全にアルベルトを意識した装いである。
でも、選んだのは私じゃないもん。釣り書きの写真を見た母が、これを着ていけって言うから。
内心でそんな言い訳をしながら、アルベルトとその父親である騎士団長様を出迎えた。
親同士の挨拶を終えると、すぐに庭のテーブルで二人にされる。そこで私は、早々に深く謝罪をしたというわけ。
「謝る必要はありません。我が家としても、王家に重用されている外交官の家との繋がりはありがたいことですし、私自身もこれであなたのそばにいて守る大義名分ができたと、少しホッとしています」
どこまでも誠意のある言葉に、私は安心する。婚約者がいなくなったからといって、がっついてくる男子生徒とは全然違う。
それに、こうして聞くと、やっぱり良い声だ。さすが、推し声優の声。気をつけないと、ぼうっと聞き惚れてしまう。
「そう言っていただけると助かります。アルベルト様には、これまでも本当に何かと助けてもらっていて……ありがたいです」
テーブルの上には、当たり障りのない軽食。上品なきゅうりのサンドウィッチ、スモークサーモンのサンドウィッチ。季節の栗の入ったパウンドケーキ。マフィン。それから、上等な茶葉で淹れた紅茶のカップ。
これまで、エドワードと私の好物ばかりが並んでいたテーブルの上が、新しい人との関係が始まったことを象徴するように一新されている。アルベルトとも、あんなふうに少しずつ好物を知っていったり、増やしていったり……そんな関係になれるのだろうか?
「どうぞ、召し上がってください」
「では、遠慮なく」
アルベルトはそう言うと、ゆっくりとした手つきで、でも案外と大胆にサンドウィッチを掴み、あっという間に食べてしまった。騎士様って、体育会系って、こういう感じなのね。エドワードとの違いに戸惑う。
私が凝視していると、アルベルトは小さく微笑んだ。
「美味しくいただいていますよ」
私が口に合うか心配で見ていたと思ったらしい。礼儀正しさに、少しドキッとする。そうだ。アルベルトはゲームでも本当に礼儀正しくて、誠実で——前世の私は、彼の攻略をときめきながら何度もしていた。最初は推し声優の声だけが目当てだったけれど、実際にゲームをやってみて、アルベルトというキャラ自体もすごく好きになったのだった。
学園でしか会ったことのないアルベルトが、我が家にいることの不思議さを感じながらも、私はどこか安心している。
彼なら無理に迫ってくることなどないと、確信できているのが大きいだろう。ゲームでもそういうキャラクターだったし、実際に会って話してみたら、やっぱりそうだったからだ。
細めのネクタイにジャケットという学園の制服ではない、貴族らしい三揃いに首元にはクラバット。髪だって、前髪を下ろしている学園と違って、今日は軽くサイドに流している。
見慣れない姿だが、ゲームのスチルでは似たような服を着ていたのを見た覚えがある。知っているのに知らない姿を、チラチラと見つめる。
視線に気がついているのかいないのか、アルベルトは落ち着いた様子で秋の庭を眺めながら、悠然と紅茶を飲んでいる。視線の先をそっと辿ると、私のお気に入りの秋に咲く紅茶色の薔薇があって、少し嬉しくなった。
寡黙なアルベルトが相手だと、エドワードと初めて会った時ほど会話は弾まなかった。けれども、変な気まずさはまるで感じない。むしろ、呼吸がしやすいと感じる。
アルベルトがカップを静かに置く。
「素敵な庭ですね」
「ありがとうございます」
誠実な瞳から、本心で言ってくれたのが伝わって、私は思わずにっこりと微笑んだ。




