第8話 婚約解消のあとに訪れた新たな問題
夏休みが終わった。私が王都を離れて領地で過ごしている間に、私とエドワードの婚約解消の話が噂として一気に広がっていたらしい。婚約者に隠れて浮気をしていたエドワードとカロリーナさん、二人の評判はすっかり不届者として落ちていた。カロリーナさんは、急病のため、二学期は休学するとのことだ。噂が家でも問題になったのかもしれない。
本当なら、浮気を見たあとカロリーナさんの家に、うちから抗議状を送っても良かった。ただ、さすがに格上の伯爵家に物言いをつけるのは憚られて断念したのに、あんなふうに人前で暴露したせいで、自ら評判を落とすことになったのだ。とても同情はできない。
アルベルトとは、夏休み前に一度中庭で会って、改めてお礼を言っておいた。彼は、やはり心配げに「大丈夫ですか?」と尋ねてきたけれど、私は「大丈夫です」と答えておいた。
エドワードは相変わらず、視界の端で物言いたげにこちらを見ているが、私はそれを見ないふりをする。マリアンヌとセリーナ、二人の友人たちは、どことなく私を心配してくれている。
なぜなら、二学期が始まってから最近、ちょっと困ったことが起きていたからだ。
「ルミナリア嬢、良かったら今度一緒に街に出かけないか? 良い舞台のチケットがあるんだ」
「婚約者がいなくなったのだから、次のダンスの授業の時に、僕と踊ってくれないか?」
「昼休み、僕たちと一緒に食事をしないか?」
教室で、廊下で、中庭で——やたらと男子生徒たちから声をかけられるようになった。
大抵は、「今は婚約解消したばかりで、他の新しい男性とすぐにお付き合いする気になれない」そう言って、軽く断れば引き下がってくれる。
けれども、たまに少し強引な人もいる。今のように。
「なんだ。少しくらい、付き合えよ。昼食を一緒にとるだけだって言ってるじゃないか」
「昼食は、元々いつも友人たちととっているので」
「そいつらも一緒でもいいって言ってるだろう?」
学年が上の男子生徒に、絡まれていた。さっきから何度も遠回しに断っているのにしつこい。しかも、引っ張るように腕を掴まれた。
「ちょっと——」
さすがに、声を荒げようとした、その時。
「何をしている? 女性に強引な真似は良くないですよ」
スッと横から男子生徒の手首を掴んで、引き離す。少し低くて、耳に心地よい滑らかな声。
「ア、アルベルト!」
アルベルトだった。やや険しい表情で、男子生徒を見つめている。
「なんだよ。邪魔をする気か? 婚約者がいない同士、誘ったってなんの問題もないだろう?」
「彼女は、さっきから断っているように見えましたが?」
言い訳をする相手を、その手首を掴んだままで、ただ静かに見つめる。怒ってもいないのに、上背が大きいのもあって迫力があった。
「ちっ、わかったよ。もう行くから放せ」
「はい。これからは改めてください」
男子生徒が悔しげに吐き捨てると、アルベルトは手を離した。男子生徒は気まずげに去って行く。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう、ございます……! 何度も!」
私は少し吃りながらお礼を言った。こうして助けられるのは、実は初めてではない。
婚約者がいなくなったことが知れ渡ってから、私は何度かこういった強引な輩に、無理やり連れていかれそうになったことがある。そのたび、どこからともなくアルベルトが現れて、こうやって助けてくれたのだ。
それだけではない。先日は、先生に頼まれて、授業で使う資料を山ほど抱えて歩いていた時にも手伝ってくれた。また、図書室で背の高い棚の上のほうにある本を背伸びして取ろうとしていた時にも、スマートに後ろから声をかけてきて、代わりに取ってくれた。
これだけ続くと、私だってさすがにおかしいと気がつく。どうも彼は、私のことが心配で、さりげなくそばで見守ってくれているようだった。
「気にかけてもらっているようで……本当に申し訳ないです」
「謝る必要はありません。私が勝手に気になっているだけですから」
私が頭を下げると、アルベルトは少し困ったように眉を下げる。きっと浮気現場を見てしまったことで、責任を感じているのだろう。本来ならば王太子のそばに常に控えているはずなのに、律儀に私のことを気にしてくれている。
攻略対象であるアルベルトとは本当ならあまり近づきたくはないのだが、今は彼が助けてくれることに助けられている。ゲームでは、ヒロインは高嶺の花って感じで男子生徒たちから噂はされていたけど、こんなふうには絡まれていなかった。
よく考えたら、ゲームの中では、王太子やその側近たちといった高位貴族に気に入られているヒロインに、横恋慕みたいなことはできなかったのではないだろうか。
ならば、ゲームから逸脱したせいで、こんな事態になったのだろうか? 婚約者という盾がなくなった途端、こんなに男子生徒たちから声をかけられるようになるとは、婚約を解消するまで思ってもみなかった。
「ダンスの授業で騒ぎがあったと、あなたのクラスのレオニード……カヴァリエリ伯爵令息から聞きました。良かったら、次からは私があなたと踊りましょうか?」
「え、さすがにそれは……申し訳なさすぎます!」
確かに前回のダンスの授業では、私が誰と踊るかで少し喧嘩のようになった。その場はお調子者キャラのレオニードが、ならジャンケンだ! と叫んでジャンケン大会になり、結局自分が勝ち進んで私はレオニードと踊る羽目になったのだった。
「それなら、私の代わりにレオニードに誘わせるように頼んでおきますか? 大富豪伯爵家の彼に絡む人間は、そうはいないと思いますし」
「それも、ちょっと……。では、アルベルト様にお願いしても?」
「ええ、喜んで」
婚約者がいなくなった途端に、避けてきた攻略対象との接点までできてしまうなんて、弱り目に祟り目だ。なし崩し的にアルベルトと関わり続けてしまっているが、これも本当なら良くない。
ただ、私の友人は男爵令嬢と子爵令嬢で、こういった強引な相手の対処はとても頼めないし、頼んだとしても爵位的に難しい。そんな事情で、アルベルトに助けてもらう日が増えていた。
「困った時には、気軽に声をかけてください。そのほうが、私も安心できます」
どこまでも実直な調子でアルベルトが言う。いけないのに、少しずつ彼といる時間に安心を覚え始めている。攻略対象には近づかないって、恋をしたりしないって決めていたのに、少しずつ信じ始めてしまっている自分に気がついて、私はため息をついた。
それ以来、アルベルトは偶然を装うことなく、私のそばにいて守ることを周囲に隠さなくなった。
婚約の釣り書きが届いたと聞いたのは、アルベルトとダンスの授業に出るようになってから少し経った頃だった。私のそばにアルベルトがよくいるようになってからは、強引な声掛けはだいぶ減っていて、少し安心したところの話だった。
「セドリック・ヴァレール伯爵令息……?」
「知っている相手かい?」
父から尋ねられて首を傾げる。釣り書きの写真を見て、前に少し強引に手を引いて連れて行こうとしたことのある、男子生徒だと気がついた。直接誘うのをアルベルトに邪魔されて、一度は諦めたようだったけれど、今度は正式な婚約の申し込みをしてきたのだ。
「爵位が上で、少し断りづらいが……ソフィアが嫌なら辞退することもできなくはない」
私の顔が強張ったことに気がついて、父がそう言ってくれる。
金髪に紫の瞳をした、いかにも高位貴族然とした顔付きを思い出す。ちょっと傲慢そうで、腕を掴む力も強くて、怖かった。
アルベルトが助けてくれたからなんともなかったけれど、力づくで言うことを聞かせてくるような相手は、正直言ってごめんだ。でも、男爵家のうちが、伯爵家からの申し出を断るのは、至難の業だろう。
「少し、保留にしてもらっても大丈夫?」
断るにしても、爵位を考えると会わずに済ませられる相手ではない。私は、ぎこちなくそう言って、父の執務室を出た。




