第7話 婚約解消の成立と、残る噂
話し合いは、我が家で翌週の週末に行われた。エドワードは何度か学園で声を掛けてこようとしたけど、私は朝はギリギリに登校し、昼休みはマリアンヌたちと一緒に人目の多い食堂でとり、放課後はチャイムとほぼ同時に帰宅することで、それを徹底的に避けた。あんな現場を見た直後に、言い訳なんて聞きたくなかった。
話し合いが無事に終わったら、アルベルトに証言が必要なくなったことを伝えないと。そんなことを考えながら、私は話し合いのための衣装を整える。
年頃の淑女らしい、コルセットのあるドレス姿だ。若い娘らしい薄いピンク色が、かつてお見合いの時に着ていた、同じピンクのワンピースを思い出させて、やるせなくなる。
婚約者と家で会うのなら、もっと砕けたふくらはぎまでのワンピースでも許される。これまでは、そういう服で会っていた。
けれども、今日はそういう親しいゆるさよりも、毅然とした貴族としての装いが必要だと思った。私は、もう婚約者ではなくなる人の前に出るのだ。話し合いと父は言ったけれど、私は婚約を続ける気は一切ないのだから。
約束の時間になって、馬車が家の前に停まる。父は出迎えに玄関まで出て行ったが、私は彼らが来るのを、姿勢良く応接室で待った。
「ソフィア嬢……今回は、愚息が本当にすまなかった」
部屋に入ってきたおじさま——いや、ヘンリー・ラングレー子爵は、まずそう言って謝罪した。後ろには、顔色の悪いエドワードが黙ってついてきている。
「エドワードが最近、君と会っていないと聞いて、注意をするつもりだったが、学園で流れている噂のほうは知らなかった。ルミナリア男爵からの手紙で噂のことを知って、確かめさせたら、店長に口止めをして店で好き勝手していたと……」
そこで、悔いるように頭を振る。
「もっと早く叱るべきだった。私が忙しすぎたせいだ。本当にすまない」
ラングレー子爵は絞り出すようにそう言って、私に頭を下げた。悪いのはエドワードで、ラングレー子爵じゃないのに。
父親に謝らせて後ろで黙って立っている、エドワードを軽く睨む。久しぶりに目が合うと、エドワードは必死に話しかけてきた。
「ソ、ソフィア、聞いてくれ! 違うんだ、彼女には誘われたから遊びに付き合っただけで……! 僕が本当に好きなのは君なんだ!」
「こら、エドワード!」
「カフェのことも、最初は感謝されるのが嬉しくて、それがだんだん気持ち良くなって、みんなに頼まれると断りづらくなって……カロリーナ嬢を連れて行ったのも、彼女が伯爵家の令嬢で断りづらかっただけで」
「この期に及んで出てくるのが、謝罪じゃなくて言い訳なんて——本当に、最低だわ」
軽蔑の声が、冷たく口をついて出た。エドワードはハッとしたように頭を下げる。
「ごめん! でも、本当に彼女とのことはただの遊びで、好きなのは君なんだ! どうか許して欲しい。一度だけでいい、やり直すチャンスが欲しいんだ!」
エドワードが必死に言い募るのを見ていても、可哀想に思えなかった。心のうちは冷たく凍りついたままで、かつて感じていた胸の温かさは、探してももうどこにも見つからない。
「あなたは学園に入るまで、本当にいい婚約者だったわ。優しくて、私のことをいつも大事に思ってくれていて、だから将来結婚できるのが楽しみだった」
私がそう言うと、エドワードは少しホッとしたような表情を浮かべた。
「だろう? 結婚したら、必ず君を幸せにすると誓うよ」
そう言って、手を取ろうとする。私は、一歩下がってそれを拒絶した。
「だからこそ、あの裏切りは許せないの。私は、この先ずっとまた浮気するんじゃないかって、あなたを疑いながら生きていくのなんて真っ平よ」
冷たく言うと、エドワードは再び必死に、縋るように言い募ってくる。
「浮気なんて二度としない! 信じてくれ!」
「一度失った信頼は二度と戻らないわ。あなたとの未来はもう見えないし、見たくもない」
「そんな……ソフィア……」
私が毅然とそう告げると、エドワードは青い顔でその場に膝を折り、へたり込んだ。
「諦めるんだ、エドワード。お前はそれだけのことを、ソフィア嬢にしたんだ」
ラングレー子爵が厳しい声でそう言って、肩を掴んで立ち上がらせる。
「婚約はこちらが有責で破棄されても仕方がなかったのに、解消で収めてくれて、感謝します。こいつは、厳しく鍛え直します」
そうして改めて、ラングレー子爵は私と父に向かって頭を下げた。父がそれを受け取って、話し合いは終わる。
父と私は、肩を落として帰っていく二人を、馬車まで見送った。
「終わったな……」
父がそう呟く。この婚約解消の話し合いのことにも、婚約そのものについてのことにも聞こえる響きだった。私も、胸のどこかが冷えて固まって、何かが空っぽになったような空虚感を覚えていた。
「お父様」
「なんだい?」
「ありがとう。あと、ごめんなさい」
私が言うと、父は黙って私の頭をそっと撫でた。
翌週、私は変わらず学園に通っていた。婚約は解消したから、エドワードと関わることはないけれど、表立って公表はしていない。心配してくれていたマリアンヌとセリーナにだけは、浮気が原因で解消したとだけ伝えた。
エドワードは、廊下ですれ違った時や、たまに朝の登校時に、物言いたげにこちらを見ているのには気がついたが、無視をしている。アルベルトには、証言は必要なくなったことと、無事に婚約は解消されたとお礼の手紙を出しておいた。
時期的にもう、明日からの期末のテストが終わったら夏休みだ。
この学期中はダンスの授業はもうないけれど、二学期からはどうしよう? そんなことを考えていると、目の前にカロリーナさんが立っていることに気がついた。
「ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
浮気現場を見られたのに、わざわざ教室まで来て話しかけてくるなんて、本当にどういうつもりなんだろう?
「エドワード様と婚約破棄はされたのかしら?」
挑発するように笑顔で言われる。周囲が一瞬ざわついた。頭が真っ白になる。
「すごい剣幕でしたものね。怖い顔をしていて、びっくりしてしまったわ」
そう言ってクスクスと笑う。その顔には、明らかに優越感のようなものが浮かんでいた。
「婚約は、解消しました。破棄ではありません」
婚約破棄となると家名に傷がつく。私は、まずそこを訂正した。
「そう、解消したの。私が魅力的すぎたみたいで……ごめんなさいね?」
勝ち誇った表情で微笑む。そこには悪意しかなかった。カロリーナさんは、私を怒らせたいのだろうか? それとも泣かせたいの?
「お似合いだと思います」
私は、半眼になってそう言った。彼女の思い通りに、感情的になんてならない。そう決めた。
「婚約者がいるのに浮気したラングレー子爵令息と、婚約者がいる相手と二人きりで過ごして、口付けまでされるモンテフィオーレ伯爵令嬢……私、とってもお似合いだと思いますわ」
にっこりと微笑んで、そう続ける。カロリーナさんは、私が悔しがらないのが気に入らないのか、眉間に皺を寄せて睨んできた。伯爵令嬢に嫌味を言って、あとで何か問題にならないか、少し気にはなったけれど、エドワードと口付けなんてしていたほうが悪い。
「あんなに仲がよろしかったのに、ずいぶんと冷たい物言いですわね? もっと怒ったり、悔しがったりすればいいのに」
「そんな……。婚約者でもない男性と二人きりになるモンテフィオーレ伯爵令嬢には、私、とても敵いませんわ。本当に先進的ですのね」
カロリーナさんが、苛々とした様子で言い募る。私も嫌味を交えて返事をした。
「わかっているの? あなた、私に負けたのよ?」
カロリーナさんは、私を睨みつけながら、なおも挑発してくる。だんだん気持ちが白けてきた。
「別に、こんなことは私の負けで構いません。勉強では負けませんし」
「失礼な子!」
私がそう言うと、カロリーナさんは怒って教室を出て行った。いったいどちらが失礼なんだろう。
「ルミナリア男爵令嬢、婚約解消したのか」
「モンテフィオーレ伯爵令嬢が、ルミナリア男爵令嬢の婚約者を奪ったということか?」
「ラングレー子爵令息もやるなぁ」
「でも、ルミナリア嬢みたいに可愛くて優秀な婚約者を失うなんて、馬鹿だろう」
教室の中で、男子の噂が始まる。本人がここにいるのに、気にした様子はない。こういうことになるから、婚約解消の件は黙っていたのに。
でも、もう試験が終われば夏休みだ。休みの間は学園に通わなくて済むし、なんなら王都から離れて領地へ行っても良い。噂も、夏休みが明ければ少しは収まっているだろう。
けれども、私が領地で楽しい夏を満喫している間に、私が婚約解消したという噂は学園中を巡っていた。




