第3話 彼を選んでよかったと思えた日
十二歳になった。貴族家では小さな頃から基本的なマナーは習うが、十歳を過ぎる頃から本格的な淑女教育が始まる。
それまでは膝下丈のワンピースでも許されていたのが、外出時やお茶会や誕生パーティーなど、他家との正式な社交の場では、コルセットこそ形だけのゆるいものとはいえ、きちんとしたくるぶしまでを覆うドレスを着用することになる。ドレスの時には靴も、子供らしいストラップのついた革靴から、ヒールのついたものに変わる。家族や親戚、婚約者以外の異性と二人きりにならないようにも、注意がされるようになる。
二年間の特訓で、長いドレスの時の足さばきや、ダンスの練習にも慣れてきた。でも、今日は特別。エドワードと郊外にピクニックに行くのだ。
タイツで足を隠したとはいえ、ふくらはぎまでの長さのワンピースに、帽子、歩きやすいヒールのない靴といった楽な服装で、私は意気揚々と迎えの馬車に乗り込んだ。
「やあ、おはよう」
馬車の中から手を貸してくれたエドワードが、笑顔で微笑む。髪や目の色も落ち着いていて、特別に美形というわけではないけれど、私にとっては慣れ親しんだ素敵な婚約者だ。
「おはよう。今日はとても楽しみね」
初夏のよく晴れた空の下。私たちの乗った馬車の前後には、馬に乗った護衛騎士が五人ずつ。私たちの馬車の後ろに、侍女と侍従たちが乗った馬車が続く。
後ろの馬車に座っている侍女のリナには、料理人に頼んで作ってもらった、お弁当の入った籠を持ってもらっている。子供の頃から好物の、三口ほどで食べ切れる小さなサイズのポークパイ、エドワードの好物のサーモンとチーズのサンドウィッチ。アーティチョークと玉ねぎのキッシュ。一口サイズのアップルパイに、ザクザクと刻んだナッツの入ったクッキー、干し葡萄のたっぷり入ったパウンドケーキ。敷物と、紅茶を沸かすための携帯型の魔道具に、カップなどの食器も積んである。
目的地は、王領である狩猟場の森の手前。森というほど深くはない木々のある林と、その周囲になだらかな丘、草原が広がっている。
小さな頃、そこの林で秋に栗を拾うことができるとエドワードが教えてくれて、やってみたいと言った私を連れて行ってもらった、思い出の場所だ。年に一度はこうしてピクニックに行っている気がする。
「今年の夏は、領地に行くことになったんだ。少しの間だけど、君に会えなくなる」
「あら、そうなの? おじさまも一緒に?」
「いや、僕だけ。学園に通い始める前に、領地の代官や民に挨拶をして、顔と名前を覚えてもらったほうが良いって父が言うんだ」
「おじさまは王都でいつも、忙しくされているものね。今年の夏は会えなくなって、寂しいわ」
「そんなに長くはいないと思うけどね。王都にまた、新しい店を出す予定があって、そっちの手伝いも少しする予定なんだ。前回はバーだったけど、今度はソフィアも連れて行けるカフェだよ。——きっと、みんなも羨ましがると思う。元王宮のパティシエが、貴族の令嬢向けの綺麗な菓子を作ってくれるそうだ」
「あら、それはすごいわね! 王宮のパティシエを引き抜くなんて、さすがラングレー子爵様だわ」
「ルミナリア男爵にも、口を聞いてもらったと言っていたよ。お礼に開店前のパーティーには、ぜひ出席してほしいって言っていた。近いうちに招待状を送るよ」
「楽しみにしているわ」
そんな会話をしていると、やがて林の手前にある草原に到着した。
後ろの馬車が先に停まり、リナと、エドワードの侍女や従者たちが荷物を持って降りてくる。騎士たちも下馬する。それから馬を草原に放して、敷物を敷いてくれたりと手伝ってくれた。
馬車の近くに簡易のテーブルを作ると、侍女の人が携帯用の魔道具でさっそく紅茶のためのお湯を沸かし始める。私たちは、一足先に靴を脱いで敷物の上に上がった。
リナが、とりあえず先にと、保冷の機能のついた水筒に入れてきた果実水を、カップに入れて持ってきてくれた。初夏らしく、切ったすももを漬けておいた果実水は、冷たくて美味しい。
「ソフィア、周囲を見回ってきた護衛騎士が、林で木苺の群生を見つけたって。食後に行ってみるかい?」
「本当? 楽しみだわ! 摘んだ木苺は持って帰りましょう。きっと料理人が美味しいお菓子にしてくれるわ」
そうしているうちに、敷物の上には籠から取り出されたお弁当が並び、私たちはそれぞれ好きなものを口に運んだ。
「君の家の料理人が作るサンドウィッチ、うちでも作らせてみたけど、何か違うんだよな」
「今度、レシピを用意させましょうか?」
王都の街歩きも楽しいけれど、人気のない空気の綺麗な場所で、淑女のマナーを忘れて足を投げ出して食べるお弁当はまた格別だ。 仲の良い婚約者の前だから許される。今日一日は淑女をお休み。
食後は二人で仲良く、籠にいっぱいの木苺を摘んで帰った。楽しいピクニックはそうして終わった。
あのピクニックから一年が過ぎたころ、開店したカフェは、王都でもなかなか予約が取れないという、人気の店になっていた。この一年、エドワードは相変わらず私に優しい。
毎年の誕生日と聖夜祭——女神カエレスティアを祝福する冬の祭の贈り物はもちろん、季節の変わる時に合わせて、色々なプレゼントをくれる。
普段のプレゼントは、こちらが気に負わなくて良いような、ささやかなもの。カフェ用に仕入れた、少し珍しい紅茶葉や、お菓子、真鍮製の透かし模様のあるしおりや、金の箔が押されたレターセット、鍵のついた日記帳などの洒落た文房具。それらがない時は、季節の小さな花束。
誕生日のお祝いは、髪飾りやブローチ、ペンダントなどのちょっとした装飾品。瞳の色も髪の色も地味で、自分の色の宝石を贈れないことを本気で残念がっている。エドワードの明るめの茶色い髪色は、陽の光に透けると金色に見える時もあるからと、私が琥珀をねだると、嬉しそうに手配してくれた。
私ももちろん、お返しをする。万年筆や、インク瓶。あまり得意ではないけれど、ラングレー家の家紋の刺繍をしたハンカチ。誕生日には、私の瞳の色をした、小さなサファイアのついたネクタイピンやカフス。髪色に似たピンクサファイアの付いたループタイは、エドワードが特に気に入って、贈ってから今までずっと使ってくれている。
「近いうちに、例の店に一緒に行かない?」
ある日、家でお茶会をしていると、エドワードがそう言ってきた。
「例の店って? あのカフェのこと?」
「そう、あのカフェだよ。カフェ・ルミエール」
一年前の話に出たカフェだ。開店パーティーで行ったきり、あっという間に人気が出て行けていない。
「すっかり人気店で、なかなか予約が取れないって聞いたわ」
「うん。ありがたいことにね。——でも、父に頼んでみたら、君を連れて行くのなら、特別室を使っても良いって言ってくれたんだ。そんなふうに頼まれたら断れないなって」
「え、特別室って、急に高位貴族が来店した時のためのものでしょう? 大丈夫なの?」
「二部屋あるうちの一室だし、大丈夫。もしかしたら、タイミングが悪ければ途中で退席することになってしまうかもしれないけど、それでも良ければ、どう?」
ちょっと悪巧みをするような表情でそう言われて、私は喜んで了承した。人気のカフェに連れて行ってくれるのはもちろん嬉しかったが、それ以上に、婚約者の私を喜ばせるために父親に交渉してくれたことが、何よりも嬉しい。人気店に相応しいように、精一杯おしゃれをして行こう。私は気合を入れた。
数日後、私たちはカフェ・ルミエールの特別室にいた。今日のために、お昼ご飯は少し軽めにした。せっかくの元王宮パティシエのお菓子だもの。なるべく美味しく、たくさん食べたい。
お洒落もしてきた。コルセットを緩めにつけて、金色の刺繍が入った上品なクリーム色のドレス、白いローヒールの靴。首元には琥珀のペンダント、耳元にも琥珀のイヤリング。
室内は、高位貴族向けというだけあって、大理石の床に深く落ち着いた赤の絨毯。白い地紋の入った壁紙が、高級感を際立たせている。
汚してしまいそうで戸惑うような、レースの付いたテーブルクロスのかかったテーブルに、背と座面に白い革が張られた椅子。
視線を上げると、天井には小さなシャンデリアまであった。
通り抜けてきた混雑した店内とは違う、しんと静かな一室。王宮を除けば、これまで見た中で一番豪華な部屋だ。
豪華すぎて、こんなところに子供たちだけで来ていることに、少し気後れしてしまう。
案内してくれた店長と別に、部屋の隅に控えていた店員さんたちが、それぞれの椅子を引いてくれる。一人前の大人としての扱いに、少し緊張してしまった。
「メニューを見よう。何にする? オススメは、今が旬のブルーベリーのタルトや、チェリーパイ、グーズベリーのゼリー。定番なら、ショートケーキやチョコレートケーキ、りんごのタルト。桃やラズベリーの入ったフルーツティーも人気らしいよ」
緊張している私とは裏腹に、エドワードは慣れた様子でメニュー表を開いてそう訊いてくる。
私は懸命にメニューに集中しようとするけれど、壁際に控えて立っている店員さんが気になってしまって、なかなかメニューが頭に入ってこない。
「どうかした? もしかして、どこか具合でも悪い?」
いつもより格段におとなしい私に、エドワードが心配げな表情をする。
「ううん。思っていたよりもすごく豪華な部屋で……ちょっと緊張しちゃって」
私が首を振ると、少し考えてから壁際に控えていた店員さんを呼び、しばらく席を外してくれるよう伝えた。
「これで、見ているのは僕だけだ。少しくらい失敗したって、誰にも何も言わせないさ。——さあ、せっかくの機会だもの。たっぷり堪能してくれよ」
気遣いに胸が温かくなった。エドワードはいつも可愛いとか、好きって伝えてくれるけど、こういうことをされると、本当に私のことが好きなんだなって実感する。私のほうも、恋ではないけれど、信頼と好意がある。
——エドワードを選んで良かった。私はそう思った。
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