第21話 幸せのあとに残った噂
恋人ができました。恋人が! できました!
大事なことなので二度言う。
前世でも彼氏いない歴イコール年齢だった私だけど、好きって言って好きって返されて——これってもう、完全に恋人になったっていうことだよね?
婚約者はいたことがあるけど、恋ではなかった。これは、本当に私も悪かったと今だから思う。エドワードは私のことを好きって言ってくれていたのに、それに対する私の好きは、こんなに熱をはらんだものではなかった。恋をした、今だからわかる。
それで、いったいどうなったかというと。
「ご、ごきげんよう、アルベルト様」
「おはよう、ソフィア」
相変わらずの良い声が、朗らかに私の名を呼ぶ。ただ、それだけなのに衝撃がすごい。
会うとめちゃくちゃ照れるし、ぎこちなくなってしまう。これまではひたすら安心、安全のライナスの毛布だったのに、ドキドキが止まらなくてしんどい。笑顔が引き攣っているような気がする。恋愛って気力・体力を使うものなのね。
「緊張させてしまっている? どうしたらいいですか?」
「ちょっと……慣れていないだけなので、お気になさらず」
名前呼びの威力によろめいていると、すかさず心配と配慮を挟んでくる。そこは変わらない。
私の内側の問題なので、そこは触れずに気にしないでくれると嬉しい。でも、こうして気遣われるのも嬉しい。私、我儘なのかもしれない。
「それでは、また放課後。サロンで」
教室まで見送って、アルベルトは自分の学年の教室へ向かう。今までよりも、熱のある視線と声。いつもと同じようで、でもいつもと違う朝。
「ちょっと、ちょっと〜、いつの間に名前呼びになったんですの?」
セリーナがすかさず切り込んでくる。私は再び、顔が熱くなるのを感じた。
「色々あって……名前で呼んでも良いかって訊かれたから、了承しただけよ」
しかも、好きって言ってしまったし、言われてしまったのだ。他の人たちには絶対に言わないけれど。
「昼休みに、しっかり聞かせてもらうから!」
セリーナがそう言って席に戻っていく。マリアンヌは、「良かったね」とだけ言って微笑んでくれた。いつも本当に優しい。
午前中の授業を少し浮ついた気持ちで受ける。何度も昨日のアルベルトのセリフが脳裏をよぎって、そのたびに、にやけそうになるのを懸命に堪える。
昼休みにセリーナから問い詰められたら、なんて言って誤魔化そう。そんなことを考えては、幸せな気持ちに浸っていた。
でも現実はそうはならなかった。
「ソフィア」
昼休み。その名を呼んだのは、アルベルトではなくて、エドワードだった。
「どんなご用件でしょうか? ラングレー子爵令息」
「あ、ごめん……ではなくて、申し訳ない、ルミナリア男爵令嬢。——少し、話があって」
私が温度のない声でそう言うと、エドワードは慌てて言い直した。以前より、少し痩せたせいか、精悍さを増している。
「この場でお願いできますか? 私、新しい婚約者がおりますもので」
私が、周囲で聞き耳を立てている噂好きの男子生徒を意識しながら言うと、エドワードは少し逡巡しながらも口を開く。
「噂が、二年生の間で広まっていて……。僕たちが婚約解消ではなく、婚約破棄をしたって。噂の出所はわからないけれど、僕が広めたわけじゃないことを、君に……あなたには、知っておいてもらいたかったんだ」
私は意外な思いでそれを聞いた。もっと、未練たらしいことでも言ってくるのかと身構えていたが、至極まともなことだったからだ。
「それは……教えてくださってありがとうございます」
「アルステイン伯爵令息とお幸せに……伝えたかったのは、それだけだから」
そう言って、エドワードは逃げるように教室を出ていった。私は、周囲の噂に耳をそばだてる。
「ラングレー子爵令息、未練たっぷりって感じじゃなかったな?」
「でも、評判をだいぶ落としたって噂だぜ」
「破棄と解消ってそんなに違うもんかね?」
「そりゃあ、受ける印象が全然違うだろうよ」
クラスメイトたちの囀りは今日も無遠慮だ。けれども、彼らが広めたわけでもないらしい。それがわかったので、私は改めて待たせているマリアンヌたちを追って、食堂へと移動した。
噂をこのままにしておくわけにはいかない。それだけは、わかっていた。
放課後。私はもどかしい気持ちで、サロンへ向かった。ヴィクトリア様は噂のことをご存知なのだろうか? その上で、あんなに仲良くしてくださっているのか。とても気になる。
訊くのは怖いが、逃げるわけにはいかない。私の名誉は、すでに私一人だけのものではない。婚約者である、アルベルトの名誉にも関わるのだから。守られるばっかりというわけにも、いかないものね。
「その噂は、存じ上げていましたわ。こう言ってはなんですが、ソフィア様はもう少し、ご自分が成績優秀なだけでなく、とても可愛らしくて魅力的な女性だという自覚を持ったほうがいいと思います」
やって来たヴィクトリア様に恐る恐る尋ねると、すぐにそんな答えが返って来た。
「あなたが婚約解消したあと、夏休み中に婚約者のいない男性たちの間で、ものすごい騒ぎになりました。誰が次の婚約者になるのか、女性たちの間でも噂になりました。あなたの姿は見受けられませんでしたが……」
「……浮気されて婚約解消したという噂を聞くのが嫌で、夏休みの間は、領地に避難しておりました」
「まあ、正解かもしれませんでしたね。確かに、どなたが狙っているだとか、誰々がもう釣り書きを送っただとか、とにかくすごい噂の数々でしたから。中には、あなたの元婚約者とモンテフィオーレ伯爵令嬢が一線を超えただとか、駆け落ちをしたとか、そんな不名誉な噂もありました」
ヴィクトリア様は片手を頬に当てて、思い出すように遠くを見てため息をつく。
そんなに、すごい噂が立っていたんだ……。私は、当時のことを思い返す。私が領地に逃げ込んで、人の目のないところで気儘に過ごしている間に、王都では尾鰭がついた噂が駆け巡っていたのだ。
「それでも、アルベルト様と婚約なさって、ソフィア様に関する噂は一度落ち着いたと思っていたのですわ」
手にした扇を閉じたり開いたりしながら、ヴィクトリア様が続ける。ほんの少し、不快そうに眉を顰めていた。
「アルベルト様は、王太子殿下の将来の専属護衛騎士候補ですもの。その婚約者であるソフィア様の妙な醜聞を、あからさまに噂するなんて失礼は、到底許されません」
「でも、また噂になっていると……そう聞きました」
「そうなのよ。気がついたら二年生の間で、どこからかまたそんな噂が立っていたの。クラリッサ様と、耳にするたびに、破棄ではなくて解消だと、都度訂正してはいるのだけれど……。あなたの耳にまで入るとは、思っていなかったわ。黙っていてごめんなさいね」
軽く頭を下げられて、慌てて首を振る。私の噂だ。それに、私の耳に入れないように気を遣ってくれていた、ヴィクトリア様が謝る理由なんてない。
「これだけ広まってしまっては、今さら噂の出どころを探す意味はもうありません」
「それでは、噂が消えるまでこのまま放っておくしかないのでしょうか?」
確かに、人の噂も七十五日という諺が前世にもある。噂好きのクラスメイトの男子たちのことを思い出しても、彼らの噂話のサイクルは早くて、いつも気がつけば新しい噂に興じていた。このまま放っておけば、いずれ何か他の噂に上書きされるだろう。
でも、それで本当にいいのかしら? できることは本当になにもないの?
黙りこくる私を、ヴィクトリア様がじっと観察するように見つめてくる。私は、少し気後れしながらも、ヴィクトリア様の名前を呼んだ。
「ヴィクトリア様?」
「まだ頼っては、いただけないのかしら?」
「え?」
「あなたはもっと、他人の力を借りることを覚えたほうが良いのではなくって? せっかくの高位貴族との縁よ。利用することも、覚えたほうがいいわ」
ヴィクトリア様は、そう言うと扇を開いて口元を隠した。内緒話の合図だ。私は、そっと耳をヴィクトリア様の口元に近づけた。




