第15話 聖夜祭と穏やかな一日
今年もいよいよ聖夜祭がやってきた。聖夜祭というのは、前世のクリスマスに近い行事で、この国で信仰されている女神カエレスティアの冬の祝祭である。貧しい人々の祈りの声に応え、たくさんの麦を携えて降臨した、という伝説が由来の祭だ。
乙女ゲームのほうでは夕方から好感度の高い攻略対象と街歩きに出かけて、飾り付けられた街並みを眺めたり、一緒に神殿で祈りを捧げたりといったイベントに使われていた。
しかし、現実では恋人同士のイベントではなく、家族と過ごすのが一般的である。夕方の陽が暮れた頃に家族揃って神殿に行き、女神像に祈りと共に麦の穂を捧げる。帰宅後の夕食にはいつもより豪華なものが並び、家族や親しい人たちと、贈り物を贈り合う日。それが、この世界の聖夜祭だ。
当日の朝。この日は朝から家族全員に宛てられたたくさんの贈り物が届くので、午前中のうちに我が家の決して広くはない玄関ホールがもので溢れてしまう。贈り物は、使用人たち総出で仕分けする。執事は随時、誰宛のものが誰から届いたのかをメモする必要があるから、ホールは使用人たちで混雑している。私たち家人は、邪魔にならないように自室で過ごすのが恒例だった。
「届きましたよ! アルステイン伯爵子息からの贈り物です」
朝食を終えて少し経った頃、リナが包みを持って部屋にやってくる。リボンのかけられた箱の中には、髪飾りが入っていたのと同じ、空色の布地に店名が描かれたケースが二つ。それぞれに、私とアルベルトで選んだ、エメラルドのペンダントとイヤリングが収められている。可愛らしい蔓草を模ったデザインで、蔓はプラチナでできていて、葉の部分にエメラルドが嵌っている。
「素敵ですね! 着けてみてはいかがですか?」
「そうね。では、少しだけ……」
リナに言われるまま、ドレッサーの前に腰を下ろすと、アクセサリーが見やすいように、簡単に髪を結われる。リナの手で、背後からそっとペンダントを首にかけられた。イヤリングは自分で嵌める。
「エメラルドも、とてもお似合いですよ」
「そうだと良いけど……まだ、少し見慣れないわ」
夏前までは、エドワードの髪色に近い琥珀をよく身につけていた。婚約を解消してから、まだ、たったの半年なのだ。
今でも、あれは何かの悪夢だったのではないかと思う時がある。誰にも話したことはないけれど、夢で楽しかった頃のエドワードのとの思い出を見てしまうと、今でも少し泣きたい気持ちになる。相手がアルベルトでなければ、決して新しい婚約などする気にはなれなかっただろう。アルベルトなら、信頼できる。私は、この数ヶ月でそう思うようになっていた。
「姉上! 見てください! おじい様からこんなに格好いいレイピアが届いて——」
その時、部屋に弟のルーカスが飛び込んできた。手には、剣士のように気取ってレイピアを捧げ持っている。
「ルーカス」
「……それ、新しい婚約者の人から?」
一瞬前までの喜色に満ちた声から一転して、少し暗い声でそう話しかけてくる。
明るい性格のルーカスとエドワードは、婚約していた頃は兄弟のように仲が良かった。だから、婚約を解消したあと、説明をするのが少し大変だった。私の決めたことだからちゃんと理由はあるのだろうと、責めることはなかったが、すぐに納得のいく話でもないだろう。
「そうよ。アルベルト様からいただいたの。……似合っているといいのだけれど」
「……似合っているよ。琥珀より、そのくらいハッキリした色のほうが、髪色に映える」
少し横を向いて、ぶっきらぼうにルーカスが答える。
「ありがとう。あなたにそう言ってもらえて、嬉しいわ」
私が微笑んでお礼を言うと、ルーカスは照れ隠しのように唇を尖らせた。
「アルベルト様は騎士団長様のご子息だから、将来レイピアの振り方も教えていただけると良いわね」
「そうか! 姉上、今度絶対にお願いしてくださいね!」
手にしたレイピアを軽く振り回しながら、ルーカスが部屋を出ていく。私とリナは、その様子を微笑んで見送ると、会話を再開した。
「お礼状を書かないとね」
「なんなら、短い時間だけでも街にお誘いして、昼のうちに直接お礼を申し上げてはいかがですか?」
「え、だって、今日は聖夜祭よ?」
前世の日本のクリスマスと違って、婚約者と過ごすイメージの日ではないのだ。
「エドワード様とは、会ってらしたではありませんか」
それに、リナが反論してくる。
「それは、そうだけど……」
確かに、これまでの聖夜祭ではエドワードと会っていた。けれども、それはラングレー家とは子供の頃から家族ぐるみでの付き合いがあり、聖夜祭のディナーがラングレー家の持つレストランで行われていたからだ。
「婚約されたばかりなのですから、会う機会を増やすのは当然のことです」
「わかったわ。会えるかはわからないけれど、お誘いしてみる」
私はそう言って、アクセサリーを外してしまってもらうと、今度は机の前に座った。何種類か買い置きしてあるレターセットの中から、少し形式張った格式の高いものを選ぶ。そうして、季節の挨拶から始まる誘いの手紙を認めた。
午後、いわゆるおやつ時——ティータイムと呼ばれる時間。私は馬車に乗って、王都の中心街へ向かっていた。
朝、アルベルトへ送った手紙には、午前中のうちに了承の返信が届いている。
私が手紙で指定したカフェ・ヴェルジェは、王都の中でも王立学園に近い位置にあった。エドワード関連以外ではあまり店を知らない私だが、学園に近いこの店には、マリアンヌとセリーナとの三人で、何度か来たことがある。
外装は白い壁に赤い屋根。窓辺には、薄いピンク色のレースとフリルのカーテン。アルベルトと来るには少し見た目が可愛らしいお店だが、アップルパイがとても美味しかったので、以前からアルベルトを連れてきたいと思っていたのだ。
けれど、先に席に着いていた私は、今更ながらに後悔していた。いつもは学園の女生徒たちで賑わっている店なのに、今日はやけにカップルばかりが目につく。聖夜祭だというのに、いったいなぜ?
「お待たせいたしました、ルミナリア嬢」
頭を抱えていると、頭上から素晴らしい声が私の名を呼ぶ。アルベルトは座っている私に軽く一礼をして、向かいの空席に腰を下ろした。室内は暑いくらいに暖かいのに、私は冷や汗をかく。
「すみません、アルベルト様。このお店のアップルパイが美味しかったからお誘いしたのですが、何だかおかしな雰囲気で……いつもは学園の女生徒ばかりの店なのに」
私が訴えるようにそう言うと、アルベルトは少し考えるようにして周囲を見回した。
「私は気にしませんが、ルミナリア嬢が気になると言うのなら、店を変えますか? アップルパイは残念ですが」
「えっと……」
「お伺いいたします」
そうこうしているうちに、メニューを持った給仕が席に来てしまう。席を立つタイミングを逃してしまった。私は、申し訳ない気持ちになりながらも、アルベルトに言った。
「今日は、このままで。——本当に、アップルパイが美味しいのです」
「それでは、私はアップルパイとミルクティーを」
「私も同じものを」
「かしこまりました」
店員がお辞儀をして去っていく。私は、改めて目の前にいるアルベルトに向かって、頭を下げた。気のせいでなければ、さっきよりもさらにカップルが増えている。テーブルの上で手を握り合ったり、同じ側に身を寄せて座っていたりと、ますます暑苦しい。
「なんか……本当に、すみません」
「もしかしたら、他の店も似たようなものかもしれませんね。聖夜祭に街に出ることはなかったので、知りませんでしたが」
アルベルトは少し照れたように首の後ろに手を当て、苦笑してみせた。
私のこういう失敗を決して責めたりしないし、居心地を悪くしないように気遣ってくれる。アルベルトって、本当に大人よね。私はそう思いながら、周りのカップルたちから意識を逸らした。
気にしちゃ駄目。そう、冷静に……。今日、なんのためにアルベルトを呼んだのか忘れないで。
「今朝、聖夜祭の贈り物を受け取りました。本当に素敵な品をありがとうございます」
今日の本題をようやく口にする。贈り物の中身はすでに知っていたけれど、実際に受け取ってみると、やはり嬉しいものだ。
「こちらこそ、素晴らしい品をいただいて、ありがとうございます。ルミナリア嬢は成績だけじゃなくて、センスもよろしいのですね」
お礼と共に褒められて、素直に嬉しい。アルベルトってお世辞を言うタイプではないから余計に。
「ネクタイピンとカフスって定番ですが……すでにお持ちではなかったですか?」
「サファイアのものは初めて持ちました。これまでは、自分の瞳に合わせてエメラルドが多かったもので。大事にします」
「私も、大切に使います」
そう言って微笑み合う。私たちも、周囲から見たら仲の良い婚約者同士——カップルに見えているのかしら? そんなことを考えて、少し頬が熱くなる。
「少しお顔が赤いですが、体調は大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です! ここ、少し暑くって……!」
「確かに、暖炉が近いせいか、少し暑いですね。冷たい水をもらいましょう」
「お待たせいたしました」
そこへ給仕が、アップルパイとミルクティーを持ってやってくる。アルベルトは給仕に冷たい水を頼むと、少し暖炉の火を加減するようにも言ってくれた。
「どうか、お気になさらず……召し上がってください」
「はい、それではいただきますね」
私が頬を手のひらで扇ぎながらそう言うと、アルベルトは艶々としたアップルパイに静かにナイフを入れる。サクッと、パイの切れる音。それから、シナモンと、バター、林檎の甘い香りが漂った。
家に帰ってから少しすると、冬の日はもう暮れてくる。私たちは、家族全員で馬車に乗り、王都の少し外れにある神殿へ向かった。王宮のそばにも神殿はあるのだが、王都に住む貴族たちが殺到するので、ものすごく混むからだ。
神殿に着くと、すでに入り口には人々が並んでいた。しかし、列はスムーズに進んでいる。私たちも列に並ぶ。
入り口を入ってすぐに、司祭様が立っていらっしゃる。父が家族の代表として、いくらか金貨を入れた袋を手渡すと、引き換えに人数分の麦の穂を渡される。金額は決まっていないそうなのだけれど、貴族としての矜持を見せる必要はあるので、相場はあるとのことだった。
父から渡された麦の穂を握りしめて、奥へと進む。元々、神聖な雰囲気のある場所だけれど、聖夜祭の今日は特に厳かな空間なので、基本的に私語はしない。
少しすると、大きな扉が開放されていて、その奥にそれほど大きくはない女神像があるのが見えた。人々は、女神像のある手前の台に麦の穂を積んでから祈りを捧げ、祈りを終えるとすぐに後ろの人に場所を譲る。台の上には、もうすでにそれなりの量の麦の穂が積み上がっていた。
私たちは、自分たちの順番が来ると同じように麦の穂を台に積み、祈りを捧げる。決まった聖句を唱えながらも、中身が日本人の私は、こういう時に、つい初詣の神社をお参りした時のことを思い出してしまう。初詣と同じく、祈りの内容はなんでもいい。この一年を無事に過ごせた感謝だったり、願い事を託す人もいる。
私は、波乱に富んでしまった今年の出来事を思い出し、この先の一年が平穏無事に過ぎるように祈った。
帰宅すると、普段の夕食よりも少し遅い時間になっていた。テーブルの上には、いつもよりも豪華な食事が並ぶ。
トマトやアスパラなど、季節外れの野菜が彩りよく使われた、野菜のゼリー寄せ。豚のテリーヌ。セロリとジャガイモのポタージュ。ふかふかの焼き立てパン。そしてメインはガチョウの丸焼き。
エドワードの家族と共に食べていたレストランのコースは、メインに一人に一羽ずつのウズラの丸焼きと、ローストビーフ、オマール海老といった豪華さだったけれども、うちの料理人だって負けてはいない。
私は今年初めて、林檎炭酸水ではなく林檎酒を飲ませてもらった。ルーカスが羨ましがるのを尻目に、ゆっくりと口に含む。生まれ変わってからは初めての酒精だが、思っていたよりも軽い口当たりで、いくらでも飲めてしまいそうだった。
私がそう言うと、母は「軽いからって調子に乗ってたくさん飲むと、後が大変なのよ」と注意をする。確かに酔っ払いにはなりたくはない。前世の飲み会を思い出して、私は今日はこの一杯だけで終わらせることにした。
食後には、居間に移動して家族同士の贈り物を広げて、おしゃべりをする。ルーカスからは白地にローズピンクのバラの刺繍が入ったシルクのリボン、母からはエメラルドのついた日常使いできそうな髪飾り、父からはエメラルドのブローチをもらった。私も、ルーカスには人気の冒険譚の装丁本、母には繊細なレースの白いハンカチーフ、父には仕事につけていけそうなクラバットを贈った。
贈り物の交換を終えると、カエレスティア・トルテという、刻んだ林檎とナッツ、干し葡萄がたっぷり詰まった、少し重たいケーキをいただく。シナモンやナツメグの効いた生地に、甘くない生クリームを添えて食べるのが伝統だ。好みで、サワークリームや、クロテッドクリームを添える家もある。
これだけ食べるとさすがに満腹で、私は居間のソファに少しだらしなくもたれかかった。明日の朝には、今夜食べ残したガチョウが出る。その後もサンドウィッチやサラダに姿を変えて、食べ切るまでの数日、ガチョウが続くことになるだろう。前世での海外の感謝祭でも、ターキーを焼くとしばらくターキー尽くしだと聞いた覚えがある。大きい鳥の丸焼きってロマンはあるけれど、現実に食べるとなるとこういうものなのだ。




