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七話 ヴィーナスとアドニス

撃ち抜いたのは、母の命と己の心。血と薔薇の匂いに囚われ、名もなき少年は「解離」の檻へと堕ちてゆく。

 1977年5月

 空が落ちてくるような朝だった。

 まだ薄暗い廊下を、26番は足音を立てずに歩いて行った。

 手洗いはわずかに許されている自由時間だった。

 その帰りには必ずこの中庭を通ることにしていた。

 きちんと整えられた庭園の、さらに奥。

 葉と葉の間に見えるレンガ道、大人なら身を縦にしてやっと入ることができる入口だ。

 そこは26番の秘密の花園だった。

 かつて誰かが入っているのを目にしたことがない。

 蔓薔薇がアーチに巻き付いて、小道を夜の暗さにしている。

 前見た時よりも蕾が膨らんでいるようだ。

 三つある内の手近な一つに爪を立ててその萼を剥いでみる。暗闇でもはっきり分かる、白薔薇だった。

 確認の代償として手に大きな棘がささっているのだが、26番は全く気付かない。

 奥へ踏み込むと噴水は動いていなかった。

 風もなく虫もいない、死んだように静まり返っている。

 しばらくして、建物と建物の隙間から朝日が差しこんできた。

 26番の一番好きな瞬間だ。


 ハッと気がついた。

 初めて見る物体が足元にある。

 白黒の世界に突如真っ赤なそれが現れた。強烈な印象だった。

 ここの管理をしている教官が植えたのだろうか。

 ゼンマイのように重たい頭を持ちあげている、なんとも奇妙な花だ。

 覗きこむとおしべとめしべの色が分かる。真っ黒だった。

 まるで死体から生えるキノコのようだ……。


 風が吹き抜けて花々と26番の髪を揺らした。

 そして長年閉ざされていた記憶が蘇った。

 ずっと何かに似ていると思っていた。

 ここはまるで「塔の街」のようだ。

 どうして今になって思い出したのだろう。

 この赤い花は向こうでも咲いていたのかな。

 そうか、コケの上に花が林立するこの風景が似ているのだ。


 あの時期、自分は何を考えていただろう。

 沢山の人に会った気がするけれど、よく覚えていない。

 いつもマーマを待っていて、とても寂しかった。

 草むしりをして、まわりに草の小山を作って、朝から夕日が暮れるまで。

 ドアの向こうからお化けが話しかけてくるので建物の中には入れない。

 かすかな可愛い女の子の声。

「ともだちだよ、おいでおいで……」

 なのにそいつは恐ろしく醜い顔をしている。

 暗闇に顔だけが浮かんで、ニタリと笑って自分を食べようとする。

 今思い出しても背筋が凍る。

 手洗いにも行けなくて、一枚しかない服を汚したのも苦い記憶だ。

 ここへ来て大勢と過ごすようになった。

 そのせいか、あのお化けをもう見ない。

 代わりに今、ドアの向こうから覗くのは大佐の顔だ。

 いつ声をかけられるか分からず恐ろしい。

 背後に立たれることは何より恐ろしい。

 男の声が、息が、背丈が、あまりに大きな手が……。

 自分もいつかああなるんだろうか……? 身体が女の子じゃないからなるんだろうか。

 女の子のように扱われるのも情けなくて嫌だけど、それも嫌だ……。

 あの塔の谷で暮らしていた頃に戻りたい。

 いつまでもあそこにいたかった。

 笑った記憶がいくつかあるから、お化けがいても、今より良かったんだ。


 涙の流れるにまかせて、26番は花壇にしゃがみこんだ。

 今は自分を可哀そうだと思いたかった。

 そういえばよく丘の上でマーマと一緒に花冠を作ったっけ。

 26番は花を摘んで、記憶を頼りに編み始めた。

 たしかこのクロッカス、カンパニュラと似ている花だった。

 シロツメグサも確かにあった。

 あっという間にできたそれを朝日に掲げてみる。

 逆光になった輪に虹がかかる。

 まるでボッティチェッリの絵画に出てくる、春の妖精たちの服だ。

 昔テレビで見たのかな? よく踊りの真似をしたことを覚えている。

 どうしてあの頃、抵抗がなかったんだろう?

 もらったレース編みのベールも大好きだった。

 丘の上で花冠をあげたおじさんは、恐らく大佐だった……。

 その時既に会っていたのか。

 マーマとどんな関係にあったのか、何も知らない。


 今日、初等教育の修了式が行われる。

 毎学期やってきた学芸会と似たようなものだが、4年間であげた成果を元保護者やオムスクの市民、それだけでなく行政の方々……いわゆる貴賓を招いて見てもらう大事な日だ。

 マーマが迎えに来てくれるとするとこの日しかない。

 居続けると中等教育、付属のКГБ学校に入学して、下手すると7年近く会えなくなる。

 そんなのいやだ。

 でも……。

 不安が26番の胸によぎった。

 もともと感じていたことだったが、今初めてはっきりと意識した。

 一体どんな顔をしてマーマと会えばいいのだろう。

 もう純粋に花冠を作っていた頃の自分じゃない。

 なんていったらいいのか。自分は何者……人形? 死体……。

 大佐と関係をもったことで、裏切ったことになるのだろうか。

 他に一体どうすればよかったのだろう。

 努力すれば避けられたのか。

 右手に残る古い傷痕が目に入って、思わず花冠を投げ捨てた。

 思い出したくもない!! 考えたくもない……!

 なのに毎日、苛立ちと劣等感に心を支配されている。

 実技の班でも不必要に偉ぶったり、嘘をついて、上手くチームワークを結べた試しがない。

 自分は身体だけでなく心まで腐っている。


 もしマーマに分かってもらえなくて、あるいは拒絶されて、この施設に居続けることになったらどうしよう。

 修了式に参加せずに隠れて待っていようか……。

 風がこっそりマーマを呼んでくれるかもしれない……。

 いきなり声をかけると気持ち悪いかな。

 まずこの赤い花を見せてあげよう。

 大丈夫だ。

 この場所なら、きっと昔のままの純粋な自分でいられる。

 毎日どうしてるか尋ねられたら、良い成績をとっていることだけを伝えよう。

 絶対にヒミツを明かしてはならない。

 ……自分は母親の顔を覚えていないのに、こんな妄想をするのか。

 そもそも、しっかり義務を果たさずにサボタージュするなんて一人前の兵士のすることじゃない。

 いつまでも母親のことなど考えるなと、いつだったか大佐にも叱られた。

 新しい人生を歩むんだと。

 誰かに期待しても何も良いことはない。

 待ちに待った日だけど、きっと何一つ望みは叶わない。

 26番は踵を返して、寮の方向へと続く飛び石をたどった。

 途中振り返って、風に揺れるアネモネとポピーを見た。

 噴水の中で散った花冠には目もくれなかった。

 足音が消えて5分も経たずに、ファンファーレが起床の時刻を告げた。


 今年の修了式は、創立10周年を記念して特に盛大だった。

 全校生徒が参加し、車両や大砲もありったけ並び、学校長の祝辞もまた長かった。

 勇ましい音楽が演奏される中、26番は先頭を歩いた。

 しかし誰かの管楽器のチューニングが合っていない。

 それが気になって仕方なかった。

 マーマが来ているかどうか確かめたいのに。

 しっかりと行進している様子を見てもらわなければならないのに。

 後ろの生徒に小突かれて、逆になっていた右足と左足を慌てて直した。

 26番が母親の姿を見つけられないまま行進は終わってしまった。

 中等教育修了生代表が前に出て宣誓をした。

「私たちは、我が偉大な父祖たちの希望を実現しなければなりません。

 あらゆる困難をのりこえ同志たちを守り、私たちの子孫にも栄え自由な強い国家を受け継がせます。

 ソビエト社会主義共和国連邦に栄光あれ!

 万歳ウラー!」

 全員、大きな声で共産党の賛歌を歌った。

 会場が最高潮まで盛り上がると、砲兵科が宙に向かって祝砲を放つ。

 歌のエコーにめまいがしていた26番は追い打ちをかけられて、思わず耳をふさいでしまった。

 最後に「コサックの子守唄」が演奏されて、観衆に退場を促した。


 いつもの教官の号令だけが響く夕方、26番は銃のベルトを探しに行った。

 耳をふさいだ時にはずれて、そのまま撤退してしまった。

 途中こっそり庭園を覗いてみたが、真っ赤な花が揺れているだけで誰もいなかった。

 ベルトは広場にぽつんと残されていた。駆け足で玄関まで戻ると、なぜか体育の教官が待っていた。

 他にも数名、呼び出しを受けたらしい生徒が並んでいる。

 教官は3分後、各々弾と自動小銃を持ってここへ集合するように命令した。


 どこへ行くのか分からないまま後をついてゆく。

 校門を出ると、季節外れの風花が舞い始めた。

 遥か北にそびえるウラル山脈から降りてきている。

 そんなばかな、こんな遥か離れた平野までと思いながら天を仰ぐ。今ごろ頂上は吹雪だろう。

 1時間ほど歩いたところで教官は立ち止まった。

 ここは北のタイガ。演習でよく使う場所だ。

 街からは反対側に位置しており、廃墟もあるので、本格的な模擬戦闘が行われた。

 ただしプラスチック製の弾で、今回渡されたような実弾ではなかった。

 それになぜ微妙な時間にここへ連れてこられたのだろう。

 演習は普通、攻勢の多い早朝か夜間だった。

 そして事前に何かしら作戦を聞かされるはずだった。

 ここに本物の武装集団がいるという話は聞いたことがないのだが……。

 隙間の多いカラマツが夕日をちらちらと分散させ、視界を悪くしていた。


 少しすると、崖の上に気配があった。

 ぬらりと背の高い人影に生徒たちは身がまえた。

 しかしその人物は手信号で「集合」を呼びかけた。

 学校の教官だ。

 全員心からほっとして崖を登って行った。

 26番だけが立ち止まったまま列を置いていかれる。

 その人影は大佐だった。

 行きたくない。

 でも行くしかない。

 必死で息を落ち付かせながら、重い足取りで急斜面を登った。

 崖の上に辿り着くと、そこは既に準備が整っていた。

 大佐の後ろにはトラックが二台と、複数人が背を向けて座っていた。

 他にも何名か位置についている。

 学校では見かけない顔ぶれだ。年齢も若く、下士官の階級章をつけている。

 座っている人々は目隠しをされ、両手を後ろに縛られていた。

 整列した子どもたちへ、大佐は感慨深そうに言った。

「君たちは選ばれた生徒だ。今から与える任務は貴重な学びであり、祖国のための致し方ない犠牲である。

 今日から君たちは銃を持つことを恐れなくなる。そして将来、必ず自信となって返ってくる」

 その任務は予想だにしないことだった。

 目の前に座っているのは強制収容所に送られる予定の罪人たちだという。

 26番は初めて犯罪者を見たが、昼間施設に集まった観衆と変わりがないことに驚いた。

 一般市民の服装をしていて、肩を息で上下させ、姿勢が辛いのか身じろぎしている。

 まるで先週習ったナチス・ドイツのゲットーのようだと思った。

 大佐は生徒たちを横一列に並ばせた。

 そして一人ずつ名前を呼び、罪人の背後に立たせた。

 26番は自分たちが今から何をするのか、ようやく気がついた。

 理解するのが早くても遅くても、避けることはできなかっただろう。


 26番が後ろに立った相手は、灰白色の髪の女性だった。

 右側の耳が見えるように髪を横に流していて、とても綺麗だと思った。

 森中の木々が(やめろ)と騒いでいる気がする。

 それは(やめて!)という悲鳴に変わって26番の頭の奥をしめつけた。

 一体誰の声?

 もう叫ぶのを止めて欲しい、命令が聞こえない。聞こえないと殴られてしまう。

 どの生徒も躊躇いが隠せず、「構え」の号令がかかっても銃を持ち上げようとしなかった。

 一人一人下士官が抑えて、わなわな震える筒先を正しい方へ向けさせた。

 26番の手をとった大佐は死体のような顔色だった。

「いいか、人を殺すことに慣れるのだ」

 周りを大人に挟まれた子どもたちに選択の余地はない。

「Огонь(アゴーニ)!」

 乾いた銃声が大気を貫いた。

 こだまが鳴りやむと、周囲が突然暗くなった。

 太陽が沈みきった。

 前に座っていた女性はなすすべなく銃弾を受け、倒れて動かなくなった。

 26番の目には、終始ゆっくりと、砂袋が崩れるように映った。

 しかし流れ出たのは砂ではなく、どす黒い液体だった。

 血とは粘着質なものなのかとぼんやり思う。

 前のめりに倒れたことで相手の両手がよく見えた。

 隠していたのだろう、何か光るものを握りしめている。

 下士官たちが罪人を片付け始めた。

 26番は急いで手を伸ばした。

 なぜそんな行動をとったのかというと、ハイになっていたとしか言いようがない。

 銃弾を浴びれば人は死ぬのに、目の当たりにしても実感がなかった。

 しゃがむと香水の匂いがした。薬のようなツンとした匂い。

 ふと懐かしいと思った。そしてこれは薔薇だとも。

 心臓の音が乱れてうるさい。

 まだ暖かい指を開かせると見えたのは、暗闇でもよく分かる。金の腕時計だった。

 ベルトには凹凸の細工が施されている。

 自分はこれを知っている。

 触れた手が急激に冷えてゆくのが分かった。

 26番は、死ぬとはそういうことなのだとようやく理解した。

 じゃりを踏む音がして視線を上げると、大きな靴があった。

 大佐だった。

 どんな顔をしているのかまったく伺えない。

 何かを言おうにも肺がつぶれてしまって、声を出せなかった。

 大佐は腕時計を罪人の手から引き抜くと、宙に放り、拳銃で打ち抜いた。


 26番はマリーヤを殺した。


 夏期講習期間、一部の生徒に奇妙な変化が起きた。

 あるものは成績が急速に伸び、あるものは最下位になった。

 26番はちぐはぐだった。

 実技試験は優秀で、判断にためらいがなくなった。

 筆記試験も完璧になった。

 ただ感情的になることが減った反面、不気味なほど淡々と話すようになった。

 状況が分かっているのかいないのか、通りいっぺんとうな言葉を並べて、抑揚もおかしく、まるで機械が喋っているようだった。

 行動も融通がきかず、周りとズレている。

 目は凝視するが見えていない印象を受ける。

 チェス駒のように指示に従うので兵卒としては問題ないが、良い指揮官になれるかは心配だ。

 身体検査の結果も芳しくなく、ねじが切れたように突然倒れることが多かった。

 ただこれらの欠点は前々からの性質が顕著になったようにも見えた。

 元々理屈屋で、数学や幾何学に興味を持ち、周囲との協調性や共感能力に乏しいところがあった。

 教諭たちは一部の生徒たちの変化を、初等教育の修了生にはよくある、思春期の症状の一つだと思った。

 26番は自身が今どういう状態にあるのか、よく分からなかった。

 なぜ自分でも驚くほど実技ができるようになり、代わりに同胞との会話は上手くいかなくなったのか。

 集中力は技術にのみ発揮された。

 しかしそれは始めだけで、覚えてしまうと”慣れた道をいつの間にか歩いていた”というように、途中から意識がなかった。

 今日何をしたか質問されても答えられない。

 教室に座って講義を受けている間も、寮にいる時も、いつでも薄い膜が張ったような感覚で、

 どんなに破ろうとしても外界から隔たれていた。

 大佐に酷いことをされても全く何も感じない。痛みがなければ辛くもない。

 以前は許しをこいだり、手洗いで「殺してやる」と叫んでいたりしたけれど、今はもうその必要を感じない。

 ただ力でねじ伏せることしかできない大佐が憐れだった。

 一方で、大佐の自分への執着が薄れてゆく気配も感じていた。

 このままでは居所を失う。

 26番は呼び出しを受けていない日も校長室へ行き、「ご用はないですか」と壊れたレコードのように繰り返した。

 全てがガラス戸の向こうだった。

 この場にいる自分は人形で、その背中を後ろで見ているのが本当の自分だと思っていた。

 26番は幽体離脱が得意だったが、制御できていたはずだった。

 自由に宇宙のかなたまで抜け出したり、戻ってくることができる。

 今まで他人にそれを言うと笑われるので隠していたが、事実できる。

 でも”あの日”以来、離脱状態から元の身体に戻ることができなくなってしまったと思う。

 どんどん身体と魂……本当の自分との間の、見えない障壁が分厚くなってゆく。

 このままだと一体どうなるのだろう。

 自分の身体は勝手に動き続けたまま、本当の意識は宙を漂って、大佐にも同級生たちにも気付かれず、置いていかれるのだろうか。

 ずっと一人きり……。


 26番が得意の幽体離脱とは「解離症状」だった。

 生き延びるために意識を二つに引き裂き、後ろで見ている生存者の自分と、痛みを引き受ける身体に分かれる。

 深層心理が行う防衛とは未完成なもので、しばしば目先のことしか防衛の射程に入らず、皮肉な結果を生みがちだ。

 そのため患者の多くは苦しんで、重症になると自傷行為に及んでしまう。

「解離性障害」や、「解離性同一性障害」に進んでしまう。

 26番もその例外ではなかった。


 夕日が沈むと必ず母親を殺す瞬間を見た。

 初めて見た時、”あの日”に戻ったのかと錯覚した。

 灰白色の髪から黒い血が飛び出る。

 倒れて血だまりを作ると、その人の姿はもうない。

 むせかえるような薔薇の香りだけが漂っている。

 それは鼻から脳まで、顔の皮膚の下をゾワゾワと登ってゆく。

 虫が這うかのように。


 課外授業中でも、教室で座っていても、布団を被ってうずくまっていても、お構いなしに幻覚が見えた。

 目を閉じているにも関わらず強制的に映像が流れ込んでくる。

 大佐の号令とともに始まり、そして終わる。

 自分が銃を撃つ背中を見ることもあった。

「お前の罪を認めろ」と誰かが責め立てている。

 見たくないのと裏腹に、その幻覚は日に日に鮮度を増してゆく。

 薔薇の匂いが肺の奥深くに絡みついて息ができない。

 体中を虫が這いまわっている。とれない苦しさは何と言えばいいのか。あまりに恐ろしくて正気ではいられなかった。


 一体どうしてこんなことに。

 "あの日"自分がもう少し気をつけていれば、ベルトを落とさなければ、避けられたのだろうか。

 誰かのせいにできたらどんなにいいか。

 大佐のせいだ……銃を抑えて動かせないようにした……。

 そんなの大した言い訳にならない!

 一体何度あの人を殺しただろう。

 死んだはずなのに翌日また……。

 これは夢だ。

 自分がやっているんじゃない。ほら、背中が見えるじゃないか。あいつのせいだ。

 これは不当な仕打ちだ。

 窓の外でざわめきがして、顔を出すとタイガの森が広がっていた。

 後ろ手に縛られた人々が横一列に並んでいる。

 名前を呼ばれて返事をすると、声が二重になった。

 もうひとりの自分が向こうへ歩いてゆく。

 そして……。

「誰かあいつを捕まえて! こんな映写機止めて!!」

 毎夕、金切り声をあげて暴れる26番に、医務官も他の教師たちも手を焼いていた。

 この時子どもでは考えられないほどの力を出すので、抑えるのがやっとだった。


 どうにかこのガラス戸の世界に出口はないか、26番は焦りきっていた。

 朝も昼も夜も光の速さで過ぎていってしまう。

 学校中を探し回ったけれど触れるドアはどこにもなかった。

 手首を斬り裂いてみたが、血の色さえ分からなかった。

 噴水の修理に訪れた教官が26番を発見し、驚いて花を踏んでしまった。

 危うく二度と忘れられない光景になるところだった。

 助かったから良かったものの……。

 アネモネとポピーの花が、血を吸い上げたように満開だった。



次回でいったんこの小説は区切りとなります。

最後までどうぞよろしくお願いします。

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