6話 Очи красные(赤い瞳)
名前を奪われ「26番」となったシベリアの孤児院。母の迎えを信じる少年を待っていたのは、大佐の歪んだ「愛」と地獄だった。
中佐は大きな荷物を副官に頼み、スーツケース一つで鉄道に乗りこんだ。
彼女には自宅となる集合住宅へ先に行ってもらい、オムスク駅で落ちあう約束をしていた。
吹雪で予定より遅れそうなので、部屋に電話をならしてみた。
しかし、同じく先に転居先で待機していた老人は「マリーヤ様はまだおいででない」と言った。
何か口ごもる気配があったが、「お気を付けて」とだけ言い残して通話は終わった。
到着して駅構内を探したものの、大勢の中にそれらしき人はいなかった。
掲示板にも彼女の文字はなく、次々と消されては新たに書きこまれていった。
入れ違いになってはいけない。中佐は表の広場からすぐ戻った。
駅員が半日うろうろしている将校を気にかけて、職員専用の部屋にある暖炉に招いてくれた。
部屋の窓から構内へ片時も目を離さずにいたが、極寒の夜が訪れて、朝日が昇っても、見知らぬ人々が行き交うばかりだった。
中佐は、自分の申し出を受けてくれた時の彼女の表情を思い出して、不安をかきけした。
もしかすると今頃、転居先に来ているかもしれない。
やっと立ちあがって駅を後にした。
川沿いの集合住宅は、建物の外観からものものしい雰囲気が満ちていた。
しかし木陰からアコーディオンの音が聞こえてくる。
ここには軍部の人間だけではない。その家族が暮らしている。
下見に来た時など輪になって手を叩きあい、踊りを楽しんでいた。
一般市民の入りにくい場所ではないのだが……。
自宅となるフラットに向かうと、玄関に小柄な人物が立っていた。
ようやく知っている顔に会えた。
「准尉殿!」
中佐がスーツケースを大きく振って駆け寄ると、老人も片足を引きずりながら階段を下りた。
その手には一通の書簡があった。
彼は元赤軍の傷痍軍人で、昔から何かと世話を焼いてくれた人だった。
糊で固められたような顔は出逢った時から変わらなかったが、今日は案じる色があった。
書簡はマリーヤからのもので、中佐にはすまないと思っていることと、しばらく一人でいさせてほしいということ、信頼して子どもの世話を頼むという三点が書かれていた。
まるで業務上の書類のようだった。
中佐は誰もいない室内に目を写して途方に暮れた。
翌日、学校を訪れた中佐はクラスをひとつひとつ見て回った。
保健室にマリーヤの子どもがいた。特徴的な癖っ毛なのですぐに分かる。
制服の採寸をしている最中だが、その背中に声をかけた。
子どもは中佐を覚えていないようだった。何しろ半年以上前なので無理もない。
目の色はウサギのように不安を一杯にたたえている。
母親と同じ形の眉が寄せられた。
「マーマはね、りっぱなへいたいさんになったら、おむかえにきてくれるの」
やはりこの子どもは親の行き先を聞かされていないのか。
書簡は約束を一方的につづってあり、遠回しに連絡を拒絶していた。
養い親の老人が言うには、留守の間に郵便受けに入れられていたとのことだ。
子どもは別れの日を思い出したのか、か細い声で泣き出した。
まだ友だちも作れていないらしい。寮は年齢ごとに部屋割りされているのに。
彼女が何を思ったのかは知れないが、恩を仇で返された。
子どもを体よく捨てたということだ。自分はただの受け皿だ。
何かが澱のように積もってゆく。
それを「憎悪」と呼ぶのだと、この時まだ彼は自覚していなかった。
「静かにしたまえ! 見なさい、他の学童はもう次の授業に行っている。泣いてばかりでは置いていかれる」
「……うん……おじちゃん、マーマにね、いいこにしてるっていってね」
子どもは涙を拭きながら訴えかけた。
「目上の者を親しく呼ぶべきではない。
私は君の養育者だが、ここにいる他の大人と同じように父称で呼びたまえ。
いいかね、自分より年齢の高い人間には、敬意を払って父称を加える」
ロシア語において、父称とはミドルネームのことを指す。
父親の名前を引き継ぐので、父称という。
名前の後に父称を付けることで、日本語における”さん”や”様”に代わる呼び方となる。
例えばロマノフ朝最初の君主「ミハイール・ヒョードルヴィチ・ロマーノフ」は「名前・父称・姓」の順であり、「ミハイール・ヒョードルヴィチ」で敬称となる。
中佐はアムザ・ギブロヴィチ・ガクリアといった。
そのためアムザ・ギブロヴィチと呼ばなければ失礼になってしまう。
6歳にしかならない子どもには難しかったようで、注意がそぞろになっていた。
「ここでは何と呼ばせる」
中佐が児童の制服を片付けていた将校に尋ねた。
「パーパ、マーマと」
「えらく親の多い学校だ。まぁいい。ここは新しい人生の始まりということだ。もともと私が君を通わせるよう薦めたんだ。実の母親のことはもう忘れなさい」
マリーヤの書簡は中佐には突然すぎた。だが十分予測できる事態だった。
もともと一方的な一目惚れだったのだから。
彼は信念に基づいて行動し、それをかえりみない人物だった。
自分は何の非もないと思うために、婚約を破棄された理由について、心当たりがあっても頭の隅に追いやった。
КГБ赤旗学校(9年制)1967年創立。
そこはただの小・中学校ではなかった。
エリートを目指す学校は他にも複数あったが、ここは実験に選ばれた学校でもあった。
1学年30名、全学年270名。
全生徒が普通学校と同様に初等教育7教科を勉強する。
7教科とは、ロシア語、数学、自然、美術、音楽、体育、労働のことを言う。
それに新しいカリキュラムが加えられた。
1年生の初日に特殊なテストを受けて、その結果をもとにクラス分けされた。
能力や興味に応じて専門知識を磨くクラス、生存術や軍事教練に比重を置くクラス、文武両道のクラス……。
児童の自由な外出は不可で、名前の代わりに一人ずつ番号を与えられた。
マリーヤの子どもは26番だった。
所属は一日の3分の2が軍事教練をしめるクラスになり、銃火器の種類でキリル文字を覚えた。
最初の数年は基礎体力をつけるメニューで、しだいに大人の新兵が受けるものにシフトしてゆく予定だった。
残り3分の1の初等教育においても、ソ連全土の小学校がそうだったのだが、いつでも愛国精神と共産党の理念をうたい上げていた。
中には優秀で、10歳にして士官学校の段階を超える児童もいた。
26番はどれもついていくのがやっとだった。
来たばかりの頃はまだまだ甘えん坊で、辛くなるとすぐ母親を呼んで泣いてばかりいた。
1年目には仲の良い友だちが何人かできて、寮の中ではお互いに本名で呼び合ったり、秘密基地を作ったりした。しかしその下位の成績だった子どもたちは、一人ずつ静かにクラスからいなくなっていった。
26番は耳が良かったので、通信と語学の授業でなんとかしがみ付くことができていた。
ある日こうした”間引き”寸前の状況から脱出する。
26番は目を覚ましたように順位を上げた。
ここが生半可でなく厳しい場所で、ミスは死に直結するのだと思い知ったためだった。
きっかけはヒシクイの死骸を見つけたことだった。
その日、友だちと「学校の外へ埋めに行こう」とこっそり話し合った。
以前課外授業で沼に出かけ、生態を習ったことがある。
ヒシクイの繁殖地はタイガやツンドラだが、夜間は大きな水場に集まるらしい。
仲間の多い場所が良いだろう、もしかしたら泣いてくれるかも……という発想で行くことにした。
北のはずれの森は怖いので、南に2キロ行った先にある沼が良かった。
夜、ヒシクイを水際に置いて戻ると、校門が騒々しかった。
ライトがまぶしく自分の顔を照らしつけた。
どんなに謝っても許してもらえなかった。
集まった教官たちをかき分けて、中佐が26番の手を引き、手洗いの個室に閉じ込めた。
腕を抑えられて、もがいても振りほどけない。
どんなにやめてと訴えても何も状況は変わらなかった。
中佐は26番の右の掌に、自分の名前のイニシャルをナイフで掘った。
まるで事付けを忘れないように万年筆で書くような気軽さだった。
叫び声を上げると、屋根が落ちて戸や壁やタイルが歪んだ気がしたのに、意識が戻ると個室はまったくの無傷だった。
ここで生き残るためには、大人の命令に従い、成績をあげるしかない。
中佐は大佐に昇進し、学校の最高責任者となった。
将校たちにとって重大な人物であるだけでなく、児童たちにとっても最高の敬意を払うべき存在だった。
朝・夕礼に加えて、教壇にも立ってソビエトの歴史を教え、共産主義の理想を説いた。
マリーヤにはコーカサス出身で迫害を受けてきたと言った大佐だが、ここでは正反対のことをしている。
どちらの顔の、どこまでが真実だったのか、伝聞では見えてこない。
彼は置かれた立場に合わせて仮面を被ることで、生き延びてきた人なのかもしれない。
しかし26番に対しては、一見冷静な姿勢を崩さないでいつつ、屈折した感情をぶつけ始めた。
大佐にとってこの子どもは彼女の置き土産であり、何もかもを失敗に導く存在と感じていたようだった。
成績の悪い児童の一人でしかないのに学校全体の危機ととらえて、事あるごとに忠告したり、試験の前々月から補講を行うなどした。
子どもの一言一句が、母親の口癖、教わった内容をなぞっていた。
その言葉を聞くたびに大佐は苦虫をかみつぶしたような表情をした。
例えば大祖国戦争についての授業において、26番は「マーマのパーパはね、わるいせきぐんとたたかって、かったんだって!」と空気を読まずに声を張り上げた。
子どもは彼女の分身だった。
二度と母親のことを話さないよう、時に罰を与えることもあった。
叩く程度だったものが、月日を重ねるにつれてエスカレートしていった。
26番が放課後、いつものように呼び出しを受けて校長室へ行くと、大佐が先週の試験結果を広げて待っていた。
用紙から目を離さないまま、大佐は祖国の国歌が変更された理由について尋ねた。
それはごくごく最近だったので、26番は覚えることに手いっぱいで、理由まで記憶していなかった。
ひとまず変更前と後の2種類を歌って、違っている項目を細かに並べた。
大佐は聞いているのかいないのか、黙って頬杖をついていた。
26番が話し終わると同時に、ポケットから煙草を一本取り出して火をつけた。
これから何をされるか分かっていたので、26番はシャツをまくり背中を向けた。
白い背中にタバコの火が押しつけられた。
「熱い」という感覚はしなかった。
意識が遠くへ離れていく感覚の方が早かった。
きっと強くなっているのだと思う。
どんなに痛いことも、どんなに延々と続くかに思える怖い時間も、こうして心を後ろに飛ばしてしまえばあっという間に終わる。
もうほぼ平気だった。
大佐は未来の優秀な職員を育てるという目的とは別に、個人的な執着で26番を在学させつづけていた。
その子どもとの関わりには性的な接触も含まれていた。
誰かに見られた時、あくまで彼は「落ちこぼれへの罰だ」と説明していた。
虐待や暴力は軍隊の伝統であったために、徴兵された経験のある者はそのことへ口出しをしなかった。
しかし従軍経験があっても、職員ではない本職の教諭たちは、
組織が組織であるだけに表立って反対することができないが、
密かに学校長を嫌っていた。
大佐は26番のどこがいけなかったのか、タバコ一本につき一つずつ説明して、燃え尽きるとすぐに氷をあてがった。
時折離しては、大きな指で傷痕をなぞる。
少年の身体の出来栄えを確かめるように。
「私の心境をまだ分からないだろうが、学業ぐらいはしっかりして欲しい」
母親から引き離されたための問題行動なら、周りの大人が代わりに埋め合わせてやればいい。
大佐はそのまま「愛している」と26番を優しく抱き寄せて、誰もいない部屋へ連れて行った。
26番は、自分がダメな子だから体罰を受けるのだと思っていた。
タバコをあてがわれるのは当然のことで、疑問に思ったこともなかった。
誰もいない部屋で恐ろしい行為をされた時は、さすがに耐えられないと思ったが、
その後を思うと逆らうことができなかった。
劣等生であるためにお叱りを受けて、言う通りの良い子になれないからぶたれてしまう。
ぶった後大佐があんなことをするのも、自分のせいで不安定にしてしまったからだ。
でも大佐は「愛している」と言う。
こんな痛い思いをして、自分の意志などない物として扱うようなこれが「愛」だと言う。
「お前は可愛い」と言う。
「そのガラス細工のような瞳も、蜘蛛の糸のような髪も、触れると破れて血を噴きそうな肌も、
お前の意志も、全てだ。全て私だけのもの」
「美しいだけではいけない。もっと賢く優秀で、中身が伴わなければ」
そして従順な裸の人形になるよう促す。
服を着ている間も常に監視されている。
殴られたり、傷つけられるのが嫌で、大佐の顔色をうかがいつづける自分がいる。
こんな、ばかな話があっていいのか!?
なんでもするから許してなんて……とうとう言ってしまって。
記憶をたどればそうかもしれないと思った。
「愛している」とは「苦痛を与えるぞ」という予言であり、自己の死であり、犠牲と献身を求める言葉だ。
非力な自分には悔しさも憎悪も殺意も無力だ。
できるのは心をどこか遠くに飛ばして、避難することだけだった。これだけはバレない。
痛めつけられている自分を外側から見ていて思う。
子ども相手に本気の涙を見せて、無防備なかっこうをする、そんな大佐が憐れに感じられ始めた。
ここでは一番偉いのに。
自分の前でだけ、この人は愚かになる。
ただ物理的に弄ぶことしかできない大人だ。
せいぜい憐れんでやればいいんだ。
26番は、この学校の中にいなければ死が待っている、という思い込みの中にいた。
だからサディストの欺瞞を信じていた。
自分はもう以前までの自分とは違う。
汚れてしまった。なんて汚い身体なんだろう……!
他の皆はこんな屈辱に耐えて、日々何事もなかったように笑っているのだろうか。
言えるはずがない。誰にも知られるわけにはいかない。
自分が情けないためにこんな目にあっているなんて。
とにかく一晩身を捧げることで、明日もとの寮生活に戻れるのなら、それで良かった。
誰にも本心を打ち明けられず、26番は同級生の信頼を失うばかりだった。
常にどこかで見られている気がしてオドオドしていた。
背後の気配に敏感で、肌の露出とスキンシップを極端に嫌った。
今にも噛みつきそうな顔と目で仲間の手を払いのけるなどして、せっかくできかけた友人を失った。
授業では女性の教師の前では偉く見せようと振舞い、大人の男性の声が聞こえると途端に押し黙る。
まず挙手をしない。それでも当てられると、蚊の鳴くような声で喋った。
嘘をつくかと思えば真面目で、失敗を過度に恐れる神経質な少年だった。
原因を知らない同級生や教師たちからすると、ただ緊張を解くことが苦手な、臆病な性格ととらえられた。
退学するその日まで、26番は苦しい出口のなさと、劣等感にさいなまれつづけることになる。
ひとまずこの時点、1977年春まで、
26番の心の支えとなっていたのは「母親がいつか迎えに来てくれる」という約束だった。
初等教育と軍事教練を全て終えて、大佐の「愛」をやりすごし、修了式になったら、きっとあの温かくてやわらかい手が抱きしめてくれる。
こんな汚れた自分でさえも。
マーマはおおらかだから、花に沢山囲まれた美しい人だったから、許してくれるに違いない。
そしてここでの全てを洗い流すんだ……!
学校は仮の場所で、いつか帰る日が来ると思っていたから耐えることができていた。
26番にとって母親との思い出は、顔を覚えていないだけに、エデンの園に近いもののように記憶されていた。
ある夜、一人膨らませていたその心の内を、よりによって大佐にこぼしてしまった。
隣でシャツの襟を直していた大佐は、呪いをかけるような目でじっと26番を見た。
それから数週間、校長室に呼び出しがなかった。
ある教官の話によると、大佐は外で多忙を極めているという。
26番は保護者のいないことへの言い知れない安心を抱いた。いや、罪悪感をより強く。こんな思いを抱いてはいけない、大佐は自分のせいで忙しくなったのかもしれない。きっとそうだ。
戻ってこられたら、想像だにしないような、もっと酷い目に遭うかもしれない。
少しでも罰を軽減してもらうために必死で学業に励むんだ。
次回は子供の想いの話となります。
最後までどうぞお付き合いくださいますと嬉しいです。




