4話 百万本の薔薇
我が子への、初めての誕生日プレゼント。国境の将校との再会と、有無を言わさぬ謎の招待状。
貧しい暮らしが尚も続いていた。
ソ連国民は全員が貧しいが、彼女には最低限の生活も保障されていない。
住む場所は友人にかくまってもらうばかりだった。
そして部屋を提供してもらう礼に客からの貰い物を渡した。
かくまう側とすると、行列に並ばなければ手に入らない品物が定期的にやってくることになる。
発覚すると事だが歓迎してくれた。
結局、母が強いられた生活をマリーヤはなぞっていた。
もうすぐ12月。子どもは6歳になる。
この夏からの反省をふまえて、何か買ってあげようと街中を歩いた。
冷え込んだ日だったが商店はどこも開いていて、一軒一軒を見て回ることができた。
こんなにゆっくり昼間の街を散策したのは初めてだった。
外出というと、いつもは仕事の行き帰りか、相手に付き合わなければならない場合に限られていた。
今日一人になれる理由は他でもない。
財布が良い塩梅だし、何より新しい家にはテレビがある。
以前まで子どもは帰るとしがみついて離れなかったが、今は全く手がかからない。
何が面白いのか、似たような映像をただじっと見ている。
砂嵐にまで張り付いているので、たぶん意味を分かっていない。
(大丈夫だろうか?
ひとまず、テレビにとられた分、今日は名誉回復といこう。何か良い物を選んで……)
子どもの喜ぶ顔を思うと疲れも気にならなかった。
世話するものがあるというのも悪くないと、マリーヤは思い始めていた。
他に比べて華やかな店先に足を止めた。花屋だ。
花冠でも作ってあげようと思ったが、値段を見てやめにした。
あの子が好きな大輪の花はどれも手が届かない。
服もお下がりばかりなので買ってあげたいが、売っている服はどれも地味なシャツばかり。
すぐに大きくなるのでどうしよう。
これなら今は貰いものの民族衣装の方が良かった。
(外に出す予定は今のところ皆無だし……)
オセチアでゆずってもらった民族衣装は、オセット人の由緒正しき装飾が施されていた。
オセット人はアラン人の末裔であると自負している民族だった。
半年前、一家に出会ったマリーヤはあまりの偶然に震えが止まらなかった。始終笑い通しだった。
その衣装を着せてもらって、カメラの前に立つ子どもがどれほど誇らしかったか。
懇意になった老婦人は「娘が帰って来た」と涙を見せていた。
マリーヤは、何をあげれば子どもが一番喜ぶのか分からなかった。
きらきらと耳をなでる金属音がして、その方向に近づいてみた。おもちゃ屋だった。
そうだ、分からなければ選ばせればいいじゃないか。
でも先月のことを考えると気が進まなかった。
ただでさえ目立つ衣装で、また警察に見つかってしまったら。
あれこれ悩んでいるうちにガラス張りの店内に人影があって、見られていることに気が付かなかった。
「久しいですね、何かお探しで」
話しかけられて振り仰ぐと、先月国境沿いの丘で出会った将校がすぐ隣にいた。
声がのどに張り付いた。
「娘さんへのプレゼントですか」
「……娘ではありません」
あの時も民族衣装を着ていたためだろう、将校の見間違いにやっと返答できた。
「では、息子さんだったので?」
「……性別を決められなかったんです」
乾いた笑いを見せて、将校は「失礼」と頭を下げた。
子どもに関することへは人間味を見せるのか、とマリーヤは思う。
傷のある暗い目元とやつれた顔から実戦経験があり、スイカのようにコサックを撃ってきたのだと思っていた。
まだ子どもへのプレゼントは決まっていないが、とにかく早く退散したい。
将校は「良い品がある」と言って店内に入って行った。
今立ち去ると怪しまれると思い、マリーヤも後に続いた。
おもちゃ屋の中は別世界のように華やかだった。
ポーンが兵士の帽子で、ナイトが戦車の形……というチェスボードや、乳幼児をあやすための鈴、知育の積み木、ぬいぐるみたちが所狭しと並んでいる。
マリーヤはこれほどの数のおもちゃを見たことがなかったので、どこからこの世界に入って行けばいいのか視線も足も定まらなかった。
人形の棚で将校が立ち止まり、声をかけた。
「ほら、あの子が好きなものが揃っている」
将校の視線をたどると、動物を模した奇妙なデザインの人形が飾ってあった。
大きな耳をした猿と、二足歩行するカエルのようなワニは知っている。
子どもがこのごろテレビで見ている番組のキャラクターだ。
「なぜ……」
将校はマリーヤの言いかけた疑問を先取りして答えた。
「会った時、歌を歌っていたので」
そうだっただろうか。
よく独りごとを言っているが、耳を澄ませて聞いたことはなかった。
それにこのキャラクターが出てくるアニメーションは、この街へ来て初めて見たはずだ。
いや確か、テレク川沿いに家々を訪ねて回った期間、どこかの居間のテレビで目にしていたのかもしれない。
「どんな歌を……?」
マリーヤは手提げ袋を持って家路を急いだ。
店を出ると雨が降り始めていた。抱いた包み紙を濡らしてしまいたくなかった。
この中にはアイスをどっさり(木製だが)つめた水色のヘリコプターの模型と、アコーディオンを手にしたワニの人形が入っていた。
将校は思っていたよりも良い人だった。
子どもの歌に合う人形を選んでくれた上に、代金を肩代わりしようとしてくれた。
さすがにそこまでは遠慮したが、マリーヤは自分でも警戒心が解けてゆくのが分かった。
歌を聞いただけでアニメーションを当てられるとは、同年代の子どもがいるのだろうか。まずい状況かもしれない。
雨の中、警察の背中が走って行くのを見た。歩きだしてほんの10分の間に取り調べを受ける市民を何人も見かけた。
あの将校がこの街にいたのも偶然だろうか。
監視が強くなっている……。
集合住宅の一室に帰ると仰天した。郵便受けに黄色い薔薇の花束が挿されていた。
マリーヤが玄関に入ると、また同じ種類の花束が走ってきた。
よくよく見ると子どもが抱えていた。
嬉しそうに満面の笑みで持ち上げて、自分に見せてくる。
その拍子に手に納まりきらない分の薔薇が、ばらばら落ちた。
「お前、それ誰から受け取ったの」
言い終わるか終わらないかのところで扉を叩く音がした。
マリーヤが細く開けると黄色い花が目に飛び込んできた。
持っていたのは見知らぬ紳士で、年齢は60歳ほど。手元とは不釣り合いな無表情でそこに立っていた。
「帰って下さい、全部お返しします」
扉をがばりと開けて、既に家の中に入っていた花束を突き返した。
乱暴に手元から抜き取られて子どもが大きな声で泣き出した。
それから、自分が誕生日のお祝いにもらったんだ、とマリーヤの足を叩いた。
「職員を呼ばれたいのであれば、このまま引き返しましょう」
その言葉に背筋が凍った。職員とは秘密警察のことだった。
老紳士は忙しい主人に代わって使いで来たということだった。
(なぜ子どもの誕生日を知っているのだろう? しかもまだだ。今日ではない。
おもちゃ屋での会話を職場の客に立ち聞きされたのだろうか。気が早い金持ちもいたものだ)
名前を伏せて経緯を説明されたので、ますます不気味でしかなかった。
老紳士はマリーヤに翌日主人と会う約束をさせて、住居をあとにした。
タイプライターで約束の日時と場所の書かれた紙が、計三つの花束全てに入っていた。
「そろそろ機嫌を直してくれないか」
子どもがシャケの缶詰をほじっては、口に入れずにばら撒いた。
「明日はニシンの缶詰にするから」
冷蔵庫にいっぱいだったシャケの缶詰は、翌日からニシンの缶詰にとってかわられた。
次回はマリーヤにある気づきが訪れます。
どうぞお楽しみに。




