迷い込んだ少女
透は、何から聞けばいいのか分からなかった。
ダンジョンのことですら、まだ分からないことばかり。
階層、魔物、魔力、スキル、ステータス。
どれも、ようやくぼやけた輪郭が見えてきたくらいだった。
今、目の前に角の生えた赤髪の少女がいる。
知らない言葉を話し、知らない国を名乗り、頭の中に直接声を響かせている。
分からないものが、また一つ増えた。
しかも今度は、今までのどれより人間に近かった。
透が尋ねる。
<俺たちはグラウディ帝国もルーヴェン家も聞いたことがない。少なくとも、この世界にはそういった名前の国はない、と思う>
<それに、その見た目。その髪色も染めているようには見えない。角だって額から直接生えているように見える。それは、なに?>
グレアの戸惑ったような声が響く。
<聞いたことがない、だって?ルーヴェン家を知らないのはまだしも、グラウディ帝国は世界で一番大きな国。知らないはずが…>
混乱しているグレアに、慧が言った。
<おそらく、別の世界から迷い込んだ、だろうな。落ち着いて聞け。ここは日本の神奈川県川崎市にあるダンジョンの中。この世界には角の生えた人間はいない。落ち着いた場所で会話をしたいが、その恰好のまま外に出たら騒ぎになるのは確実>
<そうだね、出来れば地上に戻ってゆっくり話をしたいところだけど…登録されてない人間、そのうえ、この格好の人間が外に出るとなると…>
<それだけじゃない。俺たちはおとなしく話を聞いたが、こいつが攻撃のために送られたダンジョンの先兵である、という可能性も捨てきれない。別の世界から来たという話を信用したとして、侵略者でないという保証はどこにもない>
グレアは震えた声で返事をする。
<先兵?侵略者?私はルーヴェン騎士爵家のグレアだ。誇りにかけて、借りを受けた相手に仇なすことはない>
信じてもいい、と透の直感が告げている。
<俺は、信じてもいいと思う。確証はないけど>
<分かった、完全には信じない。ただ、ここで疑っても埒が明かないのは確かだ。外に出るとして、協会に説明するかどうか…だな>
慧は続ける。
<グレアの存在を協会が隠したとて、政府や裏の社会の人間とかから狙われる羽目にはなるだろう。国内だけじゃない。各国の機関が動いても不思議じゃない。魔法、魔力の情報は、それだけ大ごとだ>
<ちょっと待ってくれ、隠れることならできるぞ。これで外に出れるか、確認してくれるか?>
グレアがそう言うと、グレアの気配が、薄く、空気に溶けていく。
よく見るとちゃんとそこにいる。
それなのに、認識できない。
慧の顔に驚きが浮かんでいる。
<何だそれ>
<これは気配遮断。魔力を使って空間に気配を溶かす。戦闘の技術の一つ、だ>
<これなら…行けるかも>
じっくり、注意して見ないとわからない。
これなら誰にも見つからずに外に出れる。
慧は尋ねる。
<それは、どれぐらい持つんだ?>
<私はまだ、一時間ちょっとが限界。もっとちゃんと、鍛えていれば…>
<十分だな。八層までは避けようと思えば人を避けながら進める。一層に飛んでから気配遮断すればいいだろ>
<そうだね、それじゃ、行こうか>
三人は立って、階段を上り始める。
出来る限り戦闘は避けて、他の探索者に遭遇しないように。
数回の戦闘はあったが、ほかの探索者と会うこともなく、八層の転移陣まで来れた。
<気配遮断使って、ついてきて>
三人は転移陣を踏む。
陣が光って、すぐに目の前の景色が変わる。
<これは、転移か?こんな魔法、どうやって…>
目の前にはいつもの草原。
慧は数秒だけ、不思議そうな顔で転移陣を見つめた。
三人はネズミを無視してゲートに向かって走る。
ゲートを出て換金をする。いつも通り二分割。
いつもと同じ手順。かかる時間も同じなのに、今日は少しだけ長く感じる。
グレアは部屋の中、少し離れた場所に立っている。
角が生えた赤い髪の軽装。
街中を歩くだけで皆が振り返るはずの容姿。
それなのに誰も彼女に反応しない。
気配遮断の恐ろしさを身に染みて感じる。
透と慧はいつも通りドアを開けて協会を後にした。
グレアは静かに二人の後ろをついてくる。
グレアは外にでてきょろきょろしている。
心配した透はグレアに横を歩くように言った。
<車、危ないからこっちおいで>
<あ、ああ、これは、すごいな>
三人は透の家に向かうが、その間もずっとグレアは街の様子に忙しく目を動かしている。
慧はその間、ずっと何かを考えている用だった。
透は玄関のドアを開ける。
「ただいま」
「お邪魔します」
母が出てきた。
「あら、お帰り、いらっしゃい」
「先に上がって部屋入ってて、飲み物とかとってくる」
透は慧を先に部屋にあげてリビングに向かった。
ちょっとした軽食と飲み物をもって部屋に入って、地面に腰掛ける。
<それで、何を聞かなきゃいけないんだっけ?>
透の言葉に慧が反応する。
<聞きたいことは山ほどある。今重要なのは、俺たちに害をなすのか、帰る手段に心当たりはあるのか。それと、魔力の扱いについて。だ>
グレアは少し緊張した面持ちで慧の話を聞いている。
<ダンジョンの中でも聞いたが、お前は害ある存在か?お前の目的はなんだ。何をしにきた>
グレアは少し困った顔をして答える。
<二人に害を与えるつもりはない。目的、というのもわからない。あの鎧の目の前にいた直前の記憶が全くないんだ。私の最後の記憶は…街に買い物に出かけたところ、だ。>
<この世界に来た方法もわからなければ、帰り方もわからない。私は…これからどうすればいいのだ>
<そうだよね、知らない世界に一人で投げ出されたんだ。不安、だよね>
<グレアはこれから、どうしたい?>
透の質問に、グレアは寂しそうに答える。
<私は…家に帰りたい>
いつもの自分の部屋に、いつもと違う異質な少女。
それでも、彼女の言葉は、ひどく普通だった。




