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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
4章

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始業式、可能性

四月の朝は、少しだけ柔らかい。


冬の硬さが抜け、窓の外が白く光っている。


透は制服のボタンを留めながら、机の端に置かれたスマホを見た。

時刻。天気。通知。

隣に置かれた、手書きのメモ。


十三層。槍、盾の組み合わせに苦戦。


文字にすると、たったそれだけだった。


階下から食器の触れる音がする。

味噌汁と炊いた米の匂い。

普通の、いつもの朝だ。


透は鞄を持って部屋を出た。


台所では母が立っていた。

澪はすでに座っている。髪を結びながら、スマホを見ていた。


「おはよ」


透が言うと、澪が顔を上げる。


「おはよ、今日から学校だよね?」


「うん、澪は入学式まで休みかぁ」


高校三年。


言葉にすると、妙に軽い。

これまでならもっと重かった気がする。

受験。進路。最後の一年。気にしなきゃいけない話が山ほどあったはずだ。


今は、少し違う。


母が味噌汁を置く。


「学校、無理しないでね」


透は少しだけ笑った。


「学校で無理することなんてないよ」


言ってから、ほんの少しだけ間ができる。


母は何も言わなかった。

澪も黙ったまま、箸を動かす。


学校で無理することはない。

勉強も、スポーツも、進路も、命はかかっていない。


透は味噌汁を飲んだ。

熱い、いつもの味。


外へ出ると、風はまだ少し冷たい。

冬の終わりの冷たさではない。春の朝の、残りもの、みたいな冷え方。


通学路には人がいる。

同じ制服。会社員。散歩中の年寄り。

何も変わっていないように見える。


けれど、聞こえる会話はこれまでとは違う。


「昨日のニュース見た?」

「また協会がどうとか」

「ランク制って実際どうなんだろ」

「弟が今年から高校生で、ダンジョンに行くってうるさくて」


前までなら、芸能人かテストか部活の話だった場所に、ダンジョンの話がある。

それがもう当たり前だった。



学校へ着くと、昇降口の空気は新学期らしく少しざわついていた。

クラス表の前に人が溜まっている。

名前を探す声。笑い声。文句。

それを透は少し離れたところから見る。


去年は自分も、もっと近くで探していた気がする。

誰と同じか、席がどうか、担任が誰か。そういうことを。


今も気にならないわけじゃない。

ただ、優先順位が変わった。


教室に入ると、机と椅子の位置が微妙に変わっていて、それだけで新鮮に映る。

担任が何か話している。進路。提出物。面談。

周囲の声も自然とそちらへ寄っていく。


大学。専門。就職。推薦。模試。


自分に関係のない話ではない。

それでも、現実味がない。


その間にも、頭のどこかで別のことを考えている。

十三層の石兵の間合い。

槍持ちのゴーレムを守るように動く盾持ちのゴーレム。

十四層の、あの細い影と威圧感。


昼休み、廊下で立っている慧に近づく。

向こうもすぐに気づく。


「同じクラスじゃなかったね」


透が言うと、慧が頷く。


「そっちのクラスは?」


「前とそんな変わんないかな」


短いやり取りだった。

そのまま沈黙が落ちる。


透は窓の外を見ながら言った。


「次の土曜」


「ああ」


それで通じる。


「十三までは行ける」

慧が言う。

「でも、その先がまだ遠い」


透は肩を壁に預けた。


「石兵は何とかなるんだけどね」

「何とかなるけど、あれ抜けた後にボスはちょっとね」


慧も同意した。


「消耗が重い、数が多い上に、武器の組み合わせが悪い」

「十四をやるなら、十三をもっと軽く抜けないといけない」


透は目を閉じる。

思い出すのは、広間の向こう側だ。


一体だけいた。


細い。

人の形をした鎧。

剣を持って立っているだけなのに、嫌な威圧感を放っていた。


大きくもない。重そうでもない。

なのに、今まで見てきた何より勝てる絵が浮かばなかった。


「これまでの敵とはあまりに違う、よね」


透が言う。


「たぶん、普通に無理だ」

慧は少し考えてから答えた。

「今のままなら」


否定はしない。

可能性がないわけじゃない。それでも命を懸けるには薄い。


今日は始業式が終わって、昼には下校。

透は急いで家に帰る。

家に寄って着替えだけ済ませて、慧のところへ向かう。


休日しか潜れないなら、平日にやれることをやるしかない。

今、前に進んでいるものがあるとすれば、それは魔法だった。


机の上には、ノートと温度計と計量カップが並んでいた。

理科の実験みたいだと一瞬思って、すぐに思い直す。


慧が空の容器を置いた。


「まず、普通の」


手をかざす。

ほんの短い間の後、水が生まれる。


落ちる音。透明な揺れ。

見慣れてきた光景、それでも、やっぱり少しおかしい。


透は容器の中の水を見た。


「湿度は変わらないね」


「ああ」

慧が言う。


「じゃあ、どっから来てるんだろう」


「分からん」


それだけ。

分からないものを、分からないまま使っている。

今のところは、それが一番正しい。


慧が次の容器を置く。


「今度は冷やす」


同じように水が満ちる。

温度計を入れると、室温より低い。


さらに、もう一度。

今度はかなり冷たい。


慧がわずかに眉を寄せた。


「……これは、だいぶ重い」


透が顔を上げる。


「魔力?」


「おそらく。温度差が大きいほど、消費が増えてる感じがする」


透は冷えた容器の外側に触れた。

少し水滴がついている。


「逆もできるよね?」


慧が頷く。


「できる」


次の水は、触れた瞬間に分かった。

温かい。

さらに上げると、さっきよりはっきり疲れた顔をした。


透が言う。


「水を出してるだけじゃないね」


慧はノートに何かを書き込む。


「物質だけじゃない、熱量にも干渉してる」


透は机に置かれた容器を見た。

冷水。常温。温水。


「じゃあさ」

透が言う。

「それ、水魔法っていうより、もっと別の何かなんじゃないの」


慧が少しだけ顔を上げて口角を上げる。


「たとえば、なんだと思う?」


「水魔法で熱を操作できるなら、それは火魔法にもなるんじゃないか、ってこと」


慧はすぐに答える。


「……俺も、そう思ってた、魔力には無限の可能性がある」

「俺は水魔法をオーブを通して手に入れた。魔法は、魔力を上手く扱うためのツールにすぎないんじゃないか」

「まだ、仮説だけどな」


またノートへ視線を落とす。


透は椅子に深く座った。


少しずつ前には進んでいるはずだ。

まったく止まっているわけじゃない。

十三層で足を止めても、休日しか潜れなくても、何もできていないわけではない。


ただ、それが十四層を越えるための突破口になるかは、まだ分からない。


窓の外は赤く光っている。

春の夜は来るのが遅い。

それでも、夕方は終わる。


高校三年の四月が始まった。

始まったはずだった。


それでも、新しい一年が始まった感覚より、次の土曜まであと何日あるかの方がずっとはっきりしていた。


十三層を楽にする。


そのままの状態で、四月だけが先に来てしまった。


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