閑話、双方向転移と自衛隊
ダンジョンの一層は、常に日が高い。
それでも調査員の森下は、どこを見ればいいのかわからない。
明るさの話ではない。
草の生えた地面が続いている。
傾斜もない。岩もない。
ただの一層の地面だ。
だが、その「ただの床」の一点を、自衛隊の四人は見ていた。
一ノ瀬が立ち止まる。
二階堂が端末を見下ろす。
三条が周囲を流し見る。
四宮だけが、少し前のめりに興奮していた。
森下は言った。
「……本当に、ここなんですか」
四宮がすぐ答える。
「ここっす、見えますよ」
森下は黙った。
見えていないのは自分だけだ。
上から渡された事前資料は、簡潔に書かれていた。
一層と八層をつなぐ双方向転移陣。
発見は民間探索者。
調査隊は確認できず。
自衛隊に協力を依頼。
紙では読んだ。報告も聞いた。
だが現地に来てみると、余計に分からない。
森下の目には、ただの地面しかない。
一ノ瀬が足元を見たまま言う。
「まず二名で確認する」
「俺と四宮で入る」
「了解っす」
四宮がすぐに返した。
森下は一歩引いた。
調査員が前に出る場面ではない。
一ノ瀬と四宮が、何もない地面の一点に並ぶ。
森下には、少し間を空けて立ったようにしか見えない。
二階堂が足元を見て言う。
「形状、一致しています」
「歪みも報告通りです」
三条が続ける。
「外周の欠けもあるな」
「見え方にズレはない」
四宮が短く頷く。
「こっちからも同じっす」
森下は答えなかった。
答えようがない。
四人は、こちらには何も見えない場所を見ている。
しかも、全員が同じものを見ている口ぶりだった。
一ノ瀬が言う。
「報告によると転移するはずだが…」
二階堂が端末を構える。
「時刻、記録」
「一次確認、開始」
森下は息を詰めた。
何も起きない、と脳が判断しかけた、その瞬間だった。
「お――」
四宮が短く声を漏らす。
次の瞬間、一ノ瀬と四宮が消えていた。
森下は言葉を失った。
本当に、消えた。
何かに隠れたわけでもない。
床が割れたわけでもない。
目の前にいた二人だけが、そのままいなくなった。
二階堂は端末から目を離さない。
三条は、消えた場所を見つめている。
「消失確認」
二階堂が言う。
「記録継続」
森下は喉の渇きを無視して言った。
「無線、途絶しています」
草の揺れる音だけが残る。
足元は相変わらず、何もない地面にしか見えない。
森下は腕時計を見た。
三十秒。
五十秒。
一分。
知識としては聞いていた。
双方向だと。
戻れると。
だが、実際に目の前から人が消えた後では、その知識は頼りない。
一分を少し回ったところで、森下は足元の空気がわずかにずれるのを感じた。
風ではない。
振動でもない。
何かの境目だけが、ほんの一瞬だけ近くなる。
その次の瞬間、一ノ瀬と四宮が戻ってきた。
四宮が着地と同時に息を吐く。
「……八層っすね」
一ノ瀬は周囲を一度だけ確認してから言う。
「向こう側にも陣があった。復路として利用可能だ」
森下は息をついた。
短く、浅く。
二階堂が端末を見ながら言う。
「およそ一分で往復確認」
三条が一ノ瀬を見る。
「どうでした」
「戦闘接触はなし」
一ノ瀬が言う。
「洞窟だったし見覚えのある道もあった。八層でよさそうだ。」
四宮が少し硬い声で言う。
「分かってても、やっぱり変な感じっすね」
森下は二人を見た。
外傷はなく、呼吸も乱れていない。
だが、目の前から消えて戻ってきた人間を見る感覚に、頭が追いつかなかった。
二階堂が言う。
「次、全員で確認します」
森下はそちらを見た。
三条が肩を回す。
「全員、か」
「はい」
二階堂が答える。
「一ノ瀬さんと四宮で反応した以上、私たちも対象か確認します」
「森下さんには反応するのか、というのも確認するべきです」
一ノ瀬が短く頷いた。
「行くぞ」
五人が並ぶ。
森下の目には、やはり何も見えない。
「記録、継続」
二階堂が言う。
「開始」
今度は、森下にも少し分かった。
四人の輪郭が、ほんのわずかに揺れる。
次の瞬間、森下の横にいた四人の姿が消えていた。
残ったのは森下だけだった。
森下は反射で一歩引いた。
だが何もない。
足元の地面は、相変わらずただの地面のままだ。
森下は小さく呟く。
「……俺だけ残されたか」
同じ場所にいた。距離も近かった。
それでも、自分は残った。
この現象は移動手段である以前に、選別そのものだった。
森下は、四人が消えた場所を見た。
何も見えない。
それでも、もうただの地面とは思えなかった。
模様があると言われても、認識できない。
線が走っていると言われても、ない。
光っていると言われても、ない。
なのに四人とも、同じものを見ていた。
四人が戻ってきたのは、一分も経っていない頃だった。
空気がわずかに揺れ、次の瞬間にはそこにいた。
四宮が息を吐く。
「……戻りました」
二階堂が周囲を一度だけ確認する。
それから森下を見た。
「向こうは八層でほぼ間違いありません」
森下はすぐに問う。
「断定はできますか」
二階堂は答える。
「地形、空気、通路形状、既知情報との一致率から見て、高いです」
「ただし、滞在時間が短い。最終断定までは保留が妥当かと」
三条が言う。
「保留にしても、まあ八層だろ」
四宮も頷く。
森下は視線を落とす。
足元には、やはり何も見えない。
「条件は」
一ノ瀬が短く答える。
「七層突破者、だろうな」
「少なくとも、そこが一つの線になっている可能性が高い」
二階堂が補足する。
「未突破者には不可視、無反応。同位置に立っても同行しない」
「今回の結果だけなら、そう整理できます」
森下は黙って頷いた。
四宮が言う。
「いやーこれ、便利っすねぇ」
「これなら一層探索中に初心者が誤って踏んじゃう、とかもないでしょうし。安全といっていいんじゃないっすかね」
一ノ瀬は答える。
「今のところは、そうだな。それでも情報の規制は必要だろう」
一層と八層をつなぐ道はある。
だがその道は、誰にでも開かれているわけではなかった。
次回から四章に入ります。四章開始は数日後になると思います。




