オーク肉、食卓
居間に入ると、匂いが先に来た。
甘い。
でも砂糖じゃない。脂の匂いだ。
焼けた生姜と、少しの醤油。
台所で母がフライパンを振っていた。
澪は箸を並べている。
父は椅子に座って、テレビを見ている。
母が透を見る。
「今日ね、あのお肉、使ってみたのよ」
透が言う。
「……オークの?」
母が頷く。
「そうそう、透がダンジョンから持って帰ってきてくれたやつ」
「普通の豚と同じように扱っていいのか分からなかったんだけどね。見た目は豚肉っぽいから、似た感じの料理にしてみた」
澪が言った。
「さっきから台所の匂い、すごいよね、お腹が減ってくる」
母が笑って、皿を運んでくる。
まず大皿。
生姜焼きみたいな照り。
次に汁物。具が多い。
それから小鉢が二つ。
「豚汁っぽいの」
母が言う。
「それと、煮物も」
「最初は焼くだけにしようと思ったんだけど」
「もったいなくてね」
「もったいない?」
澪が聞き返す。
母が頷く。
「脂がきれいなのよ」
「普通の豚肉だと、ここまで透明にならないからね」
父が何も言わずにテレビの音を少し下げた。
母が言う。
「まあ、食べてみてよ」
透は箸で一枚持ち上げた。
見た目は豚肉だ。
でも脂の色が違う。白いというより、透けて見える。
肉の繊維も、妙に整って見える。
口に入れる。
一瞬、言葉が出なかった。
柔らかい。
柔らかいのに、薄くない。
噛むと、甘い。脂が甘い。
臭みもない。重さがない。
舌に残るのは脂じゃなく、旨さだ。
澪が先に声を出した。
「……なにこれ」
「うま」
母が透の顔を見る。
「どう?」
透が言う。
「これは、やばいね」
父は一口食べて、しばらく黙っていた。
それから箸をもう一度動かした。
「これは、うますぎるな」
澪が汁物を飲んで目を丸くした。
「これもやばい、なんか旨みが濃いよ」
母が言う。
「出汁、ほとんど入れてないのよ」
透も汁を飲む。
確かに濃い。濃いのに重くはない。
口の中がべたつかない。
飲んだあとに、もう一口、手が止まらない。
澪が煮物をつついた。
「これ、角煮?」
母が首を振る。
「角煮っぽい味にしたのよ」
「これだけ柔らかいから、煮たら崩れるかも、とか思ってたんだけどね」
「箸で切れるのよ、これ」
澪が一口食べて、目を細める。
「……え、これも肉なの?」
「箸で切っても、ほとんど抵抗ないよ」
母が小さく息を吐く。
「ね」
「私もびっくりした」
透は皿を見た。
“持ち帰る”って決めたのは正解だったかもしれない。
売って終わりにするには惜しい。
澪が言う。
「明日もこれ、食べれる?」
母が答える。
「んー、透が持って帰ってきてくれた分、ほとんど使い切っちゃったのよね」
父が短く言った。
「こんなのに慣れたら、他の肉食べられなくなるぞ」
母が笑う。
「そうね、たまに、にしましょう」
テレビの画面が切り替わる。
競技場。笑い声。
バラエティ番組だ。
司会者が大げさに言う。
「いやー、まさかこの企画、こうなるとは!」
「今日のゲスト、探索者の方です!」
画面の端に「探索者」の肩書き。
若い男。Tシャツ。笑ってる。
隣にスポーツ系の解説者っぽい人が座っている。
机の上にストップウォッチ。
「じゃ、軽く100m、走ってみましょう」
「タイム、出します!」
よくテレビで見るような陸上トラック。
探索者の男がスタート位置でぴょんぴょん跳ねている。
スタート。
走る。
速い。
地面を蹴ってないみたいにも見える。
それなのに前に出る。
ストップウォッチを見たスタッフが、口を開けたまま固まっている。
8.7秒
司会者が笑いながら言った。
「え、これ本当に今の!?」
「非公式だけど世界記録じゃない!?」
探索者が苦笑いする。
「どうでした?」
次は別の種目。
走幅跳。
助走の一歩が長い。
踏切で、身体が浮く時間が長い。
着地が遠い。
司会者が手で口を押さえている。
笑うより先に、引いている。
澪が箸を止めた。
「……これさ」
「スポーツ、意味なくなるんじゃない?」
母が澪を見る。
「そういう言い方は、ねぇ……」
澪が口を尖らせる。
「だって、勝てないじゃん」
「普通の人じゃ」
父がテレビを見たまま言った。
「分かれるか、ダンジョンに潜った人は出場できなくなるか、どっちかじゃないのか?」
澪が「分かれる?」と聞き返す。
父じゃなく、母が続けた。
「競技として別で枠が作られるんじゃないかな?」
澪が画面を見る。
司会者はまだ笑っている。
透は肉を噛みながら、テレビを見る。
今、探索者が握力計を壊しそうな勢いで握っている。
スタッフが慌てて別の機械を持ってくる。
澪が、透の方を向いた。
「……お兄ちゃんも、ああいうの出来るの?」
箸の音が止まった。
母も止まる。
父も止まる。
テレビの音が響く。
透は澪を見た。
澪はまっすぐ見ている。冗談を言う目じゃない。
透は一拍置いて言った。
「さぁ、やったことないからわかんないな」
澪が言う。
「ふーん、出来るんだね?」
母が澪の名前を呼びかけて、やめた。
透は箸を動かしたまま答える。
「速いとかは」
透が言う。
「……分かんないな」
「ダンジョンの中と、外は違うから」
澪が納得してない顔をする。
「そっかぁ?なんかごまかされてる気がする」
父は透に向かって言う。
「あんまり、目立ちすぎるなよ」
透が頷く。
「うん、分かってる」
母が、皿の端を押さえながら言った。
「明日も、これ使う?」
「少しだけあるし」
透は少しだけ笑って言う。
「……明日のご飯にして」
「弁当でもいい」
母が頷く。
「分かった」
「味、変えてみるね」
澪がまだちょっと不満そうに肉を食べる。
「……これ、うますぎ」
小さく言って、結局もう一枚取った。
テレビでは、探索者がまた何かをやらされている。
笑い声が起きて、拍手が起きる。
でも、その拍手の中に、変な熱が混ざっている。
透は肉を噛んだ。
家の中まで、ダンジョンが入ってきている。
そんな、味がした。




