体育の時間、実感
体育の授業は、久しぶりだった。
休校が明けて、授業が戻ってきても、体を動かす時間だけはまだ別物に感じる。
男子だけ教室に集まって、ジャージに着替える。
冬の空気は乾いている。人の話し声はするが、誰も大声を出さない。
校庭に出る。
先生が笛を鳴らした。
「外周。三周!」
「だらだら走るなよ」
クラスメイトたちはぐちぐち言いながら走り出す。
外周は一周約四百メートル。
いつもの線。いつもの距離のはずだった。
走り出す。
透は、普通に走った。
息が上がらない程度。
なのに、前が空いている。
隣を走っていたやつが後ろに引っ張られていく。
視界の端で、集団がずれていく。
慧が透の横に出た。
「おい、速いぞ」
慧が言う。
「いつも通りだろ?」
透が言う。
「後ろ、見てみろよ」
慧が返した。
慧に言われて後ろを振り返ってみると、透と慧はクラスメイトの集団のだいぶ前を走っていたことに気が付く。
透は少しだけ落とした。
落としたつもりなのに、まだ前にいる。
三周して戻ると、先生が腕時計を見て顔を上げた。
「お前ら……速いな」
目の奥に少しの驚きが見える。
透は返事をしない。慧も同じ。
後ろから、遅れて何人も戻ってくる。
その中に、少しだけ速い連中がいた。
透と慧ほどじゃない。けど、他とは明らかに違う。
息を整えていると、声をかけられた。
「なあ」
同じクラスの男子。
体育のときだけ声がでかくなるタイプ。後ろにもう一人ついている。
「お前らさ」
「探索者、やってるだろ」
透は一瞬だけ顔を上げた。
慧は表情を変えない。
「なんでそう思うんだよ」
透が言う。
「走り方」
男が言った。
「あと、なんか身体の感じ」
「普通じゃねえだろ?」
後ろのもう一人が、小さく笑う。
「俺らもやってる」
「最近、六層まで行った」
言い方が自慢だった。
胸を張るほどじゃないのに、胸を張っている。
「六層、やばいよな」
前の男が続ける。
「弓と、石飛ばしてくるゴブリン」
「マジで痛い」
透は頷いたふりをした。
慧は目だけで透を見た。
後ろの男が言う。
「で、お前らどこまでいってる?」
透は少し間を置いた。
素直に伝えるわけにはいかない。
「まだ、慣らしかな」
透が言った。
「最近は、タイミング合わなくて」
「慣らしってどこよ」
前の男が食い下がる。
慧が言った。
「六層はちょっと見たよ」
嘘ではない。
六層はちょっと見た。
「ふーん」
前の男が笑った。
透は肩をすくめた。
「でも、転移とか怖いからな」
男が乗ってくる。
「転移、やばいよな」
「下層に飛ばされたら終わるって」
「協会が注意出してたな」
後ろの男が言う。
「だから、最近は慎重にやってる」
慧が短く言った。
「慎重が一番」
先生の笛が鳴る。
次は野球だ。
男が最後に言う。
「まあ、また今度聞くわ」
「六層、世界変わるぞ」
透は返事をしない。
慧も返事をしない。
――――
グローブが配られる。
ボールが投げられる。
白い線が引かれて、簡単なダイヤができる。
体育の野球は雑だ。
でも今日は、投げるやつが違った。
野球部。
フォームは綺麗で、腕も速い。
本人も手を抜く気がなさそうだ。
先生が言った。
「怪我、気をつけろよ」
ピッチャーが頷く。
透の打席が回ってくる。
バットを握る。
軽い。体育の金属バットは軽い。
ピッチャーが振りかぶる。
ボールが離れた。
透は、遅いと思った。
遅いというより、間がある。
ボールが飛んでくるまでに、考える時間がある。
回転が見える。縫い目が見える。
「……え」
声には出さない。
でも目が一度だけ瞬いた。
ここまで遅いのか。
透は振り遅れそうになって、慌ててバットを振る。
無理やり力ではじく感覚。
当たった。
乾いた音がした。
ボールが伸びる。伸びすぎる。
外野が下がる。
下がって、さらに下がる。
透はバットを下ろして、黙った。
そこまで力は入れていない。それなのに…
透はホームベースを踏んだ。
慧が笑って、すぐ真顔に戻る。
「……やばいな」
小さい声だった。
透は頷いた。
速く走れる。
ボールが遅く見える。
ダンジョンで強くなった、で済ませたくはない。
でも、説明できない。
次の打者を呼ぶ。
体育の授業は続く。
校庭はいつも通りのはずなのに、距離感だけがずれていた。




