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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
3章

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十一層、残骸

一層の草原に、薄い輪郭が残っていた。


透は足元を見る。

慧も同じ場所を見ている。


「……まだあるな」

慧が言う。


透が頷く。


「消えてないね、転移陣」


輪郭は濃くない。

でも見失うほど薄くもない。

草の上に、線だけが置かれている。


二人は円の中心に並んで立った。

息を合わせるほどのことじゃない。

ただ、同時に乗る。


空気が一枚めくれる。


光も音もない。

次の瞬間、冷たい湿り気が戻る。


八層の小部屋だった。


慧が息を吐いた。


「……やっぱ便利だな」

「階段、馬鹿らしいな」


透は返さない。足元の円を見る。

こっちは地面に焼き付いたみたいに残っている。


「行きも帰りも、これでいい」

慧が言う。


透が言った。


「便利すぎるのが怖いね。まるで何かが深層に誘ってるみたい」

「まあ、使うんだけどね」


二人は小部屋を出た。


壁の向こうは、いつもの洞窟だ。

湿っていて、音が返る。


十層までは、止まらずに進んだ。


九層の棍棒。

十層の刃物。

一戦ずつこなして体を慣らす。

黒い靄が溶けて、道が空く。


階段を見つける。


十一層。


降りた瞬間、洞窟の匂いが変わった。

同じ洞窟なのに、空気が重い。

湿り気が皮膚にまとわりつく。


慧が言う。


「……なんか、嫌な空気だな」


透は頷く。

壁の色が少し暗い。

天井が近い気がする。

音も変だ。返りが遅い。


数歩進んで、透が止まった。


「糸」


慧が目を細める。


最初はただの影に見えた。

ライトを斜めに当てると、白い線が浮く。

一本じゃない。何本も。

通路の端から端へ、薄く張られている。


慧が言う。


「蜘蛛か」


透が言う。


「たぶんね」


避けようとするが、避ける場所がない。

糸はまとめてあるわけじゃない。

高さもバラバラだ。足元だけじゃない。胸の高さにもある。


慧が息を吐いた。


「切ってくれ」


透がマチェーテを出した。

刃を当てて、押す。


切れない。


刃が入る。

入るのに、切れない。

粘っこい。伸びる。絡む。


透がもう一度引く。

糸が刃に張りついて、ついてくる。

切れた端が、ぶら下がって戻ってこない。


「……これ」

透が言う。

「きれいに切れないね」


慧が言う。


「最悪だな」


透が刃を振っても、糸が残る。

残ったまま、別の糸とくっつく。

束になる。どんどん太くなっていく。


慧が言った。


「ある程度はがして進もう」


透は頷いた。


もう少し進む。


通路の角に、落ちているものがあった。


前腕プレート。片方だけ。

破れた手袋。

折れたライト。


慧がしゃがんで、ライトを近づけた。


床に、血がある。


鮮やかな赤じゃない。赤黒い。

乾いている。少し古い血。


慧が言う。


「……ちょっと前だな」


透は何も言わない。

声にしたくない。


慧がプレートを指で避けて、血の筋を見た。


引きずった跡。

そこから、糸が絡んでいる。


慧が言った。


「転移罠か」

「……どっかから飛ばされてきたやつかもしれないな」


透は頷いた。

ここに飛ばされた時点で普通の探索者は詰む。

僕らが十一層まで来れてるのは、普通じゃない。


慧が立ち上がる。


「行くなら、早く行こう」

「ここに長居したくない」


透も頷いた。


糸の間を、ゆっくり抜ける。

足を上げる。引っかからないように。

でも糸は見えにくい。角度で消える。


透の膝に、何かが触れた。


一瞬遅れて、引かれる。


「っ」


透の足が止まる。

足首に糸が巻き付く。

粘っこくて、剥がれない。


慧が言う。


「動くな、絡むぞ」


透は止まったまま、刃を当てる。

切れない。糸が伸びる。

伸びる糸が、さらに絡む。


その時、天井の暗いところが動いた。


脚。


長い脚が一本、下りてくる。

続けてもう一本。

静かに、確実に。


胴体が見えた。

人の胴くらいの大きさ。

脚はそれより長い。

赤く薄く光る眼。

こっちを見ているのが分かる。


慧が息を吸う。


「……来る」


蜘蛛が糸を引く。

透の足首がもう一度引かれる。


透が言う。


「糸、切れない」

「だから――」


慧が言った。


「本体を潰す」


慧が前に出る。

鈍器が落ちる。

蜘蛛の脚に当たって、黒い靄がにじむ。


蜘蛛が脚を引く。

同時に別の糸が飛ぶ。

透の足首の糸とつながる。


透が歯を食いしばる。

動けない。動けば絡む。


慧が二発目。

今度は胴体へ。

鈍い音。黒い靄。


蜘蛛が体を持ち上げる。

脚が透の方へ伸びる。


透は腕を上げる。

前腕プレートに糸が当たる。

べたっと張りつく。

剥がれない。


透は刃で糸を払おうとする。

糸が刃に絡む。刃先が重くなる。


「……くそ」


慧が言う。


「透、動くな」

「引っ張られるなら、引っ張られたまま耐えろ」


透は頷いた。


慧が三発目。

蜘蛛の胴に鈍器が沈む。

蜘蛛が揺れる。


透はその揺れに合わせて、脚へ刃を入れた。

黒い靄がにじむ。


蜘蛛が脚を引く。

糸がさらに伸びる。

伸びた糸が床を這って、別の糸と絡む。


慧が舌打ちした。


「こいつ、めんどくさいな」


慧が一歩寄る。


蜘蛛が胴を下げる。

噛みつく動き。


慧は避けない。

鈍器を落とす。

顎のあたりに当たる。黒い靄。


蜘蛛が止まる。

止まった瞬間、慧が胴体へもう一発。

今度は深い。


蜘蛛が、崩れた。


黒い靄が溶ける。

ほどける。

消える。


同時に。


透の足首の糸が、ふっと軽くなった。

張りついていた糸が、力を失って落ちる。

床に落ちた糸も、壁の糸も、同じように薄くなっていく。


糸は消える。

消え方は靄と似ている。

空気に溶けるみたいにほどける。


透が足を引く。

ようやく動く。


慧が息を吐いた。


「本体、だな」

「本体が死んだら、糸も消える」


透は足首を押さえた。

皮膚が赤い。擦れた跡。

血が少し滲む。


慧が言う。


「大丈夫か」


透が頷く。


「……いける、これぐらいなら回復できる」

「でも、糸は火が欲しいね」


慧が笑った。


「火魔法、欲しいな」


蜘蛛が消えた場所に、残っているものがある。


魔石。

色が濃い青。

今までのオークのやつより深い。重い。


それと、糸。


さっきの粘っこい糸と似ているのに、手に取れる。

束になっていて、べたつかない。“材料”だけが残ったみたいだ。


透が言った。


「……ドロップだね」


慧が頷く。


「新しいな」

「十層までとは違う」


透は落ちていたプレートと手袋に目をやった。

血は乾いている。

でも、ここで時間を使う気になれない。


慧が言う。


「持ち帰って協会に渡す」


透は頷いた。


「うん」


二人は短く動いた。

ライト。手袋。プレート。

血がついたものは布で包む。

全部、自分の袋に入れない。別の袋に分ける。


慧が言う。


「十一層、こういう層だな」

「蜘蛛と糸、狩人、って感じがする」


透が言った。


「これまで以上に、きついね」


慧が頷く。


「今日は帰る、対策をたてる」


透も頷いた。


「帰ろう」


帰り道の糸は薄くなっていた。

蜘蛛が死んだからだ。


透は一度だけ、天井を見た。

同じのがもう一体いてもおかしくない。

でも、今はいない。


慧が言った。


「火があれば、糸は楽かもな」

「次のゲームチェンジャーは火、かもしれないぞ」


透は答えなかった。

火が欲しいのは同じだった。


でも、欲しいからって手に入るわけじゃない。

そういう世界だ。

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