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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
3章

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53/80

転移陣、報告

八層の洞窟は、帰り道でも湿っていた。


十層で回して、拾って、休んで、また倒して。

体も重くない、まだ動ける。

二人とも、余計な会話はしなかった。


九層を抜ける。

棍棒を持った豚――オーク。

当たらなければ、どうにでもなる。


八層に戻る。


混成の層。

ゴブリンと、素手のオーク。

固まって出てくる。


透は、いつも通りに脚を削る。

慧が止めて、落とす。

黒い靄が溶けて消える。


そのまま階段へ向かうつもりだった。


透の足が、ふっと止まった。


視界の端に、何かが引っかかった。


階段の方向ではない。

洞窟の奥でもない。

壁のはずの場所。


岩肌は続いているのに、そこだけ、何か薄い感覚。

危険の匂いじゃない。

嫌な感じもない。


「……慧」


慧がすぐに顔を向ける。


「何」


透は指で示した。

壁にしか見えないところ。


「こっち」

「変だ」


慧が眉を寄せる。


「ただの壁だろ」


「分かってる」

透が言う。

「でも、なんかある気がする」


慧が一歩近づいて、手を伸ばしかけて止めた。


「触るぞ」

「罠だったら殴るからな」


「殴っても遅いだろ」

透が返す。


慧が舌打ちして、ゆっくり指を伸ばした。


指が、岩に触れない。


触れるはずの場所を、指が抜けた。


慧が目を丸くする。


「……は?」


透も同じように手を入れる。

腕が半分、向こうへ抜けた。


「行けるね」

透が言う。


二人で慎重に“壁”を抜けた。


向こうは小さな空間だった。

洞窟の裏側みたいな場所。

天井が低く、空気が冷たい。


床に、薄い輪郭がある。


円。

細い線が重なっている。

焼き付いたみたいに、淡い。


慧が言った。


「……転移か?」


透は頷く。


「たぶん」

「……罠って感じでは、なさそうだね」


慧が一歩引く。


「嫌な記憶しかないぞ」

「踏んだら飛ぶやつだろ?」


透はしゃがんで線を見る。

近づくと、空気が少し動く。

吸われる感じがある。


危険はない。

少なくとも、今の二人にはそう感じた。


慧が言う。


「試す?」

「危険な感じではないよ、多分ね」


透は一拍置いた。


「……一人で乗るのはやめよう」


慧が頷いた。


「そうだな」

「ダンジョンではぐれるべきじゃない」


二人は円の中心に立った。


光はない。

音もない。

ただ、空気が一枚めくれる。


次の瞬間、草の匂いがした。


草原だった。


風が頬を打つ。

視界が開く。

遠くに入口が見える。


慧が、まず周りを見る。


「……一層?」

「まさかな」


遠くにネズミの魔物が見える。

透が頷く。


「一層、だね」


足元を見ると、薄い輪郭が残っていた。

八層で見たのと同じ円。

草の上に、淡い線。


慧が言う。


「これ、双方向か?」


透は答えず、円の端に足を置いた。

何も起きない。


慧が言う。


「乗るなら、ちゃんと乗れよ」


透が円の中心に立つ。

慧も並ぶ。


また、空気がめくれる。


八層の小部屋に戻った。


慧が短く笑う。


「……双方向だ」

「まじかよ」


透は息を吐いた。

笑うより先に、頭が働く。


一層からここまで、階段で降りるのに時間がかかる。

一層につき三十分は見ていた。

それが六層分。

さらに七層の広間も、状況次第では止まる。


それが、今は。


「……やばいな」

透が言った。


慧が頷く。


「探索時間、増やせるぞ」

「より、下を目指せる」


二人はもう一度、一層へ戻った。

戻れることを確かめてから、地上へ向かった。


協会の臨時支部は、まだ慌ただしかった。


受付で名前を言う。

到達階層を言う。

回収物を出す。


いつもの流れの途中で、透が言った。


「八層で……変なのを見つけました」

「転移っぽいの」


係の人の手が止まる。


「転移?」

「トラップですか」


「分かりません」

透が言う。

「でも、踏んでも危険な感じはなかった」

「一層に飛ばされました」

「戻れまた、双方向でした」



係の人が奥を見た。

別の職員が来る。

端末を持ってくる。


質問が増える。


「場所は」

「八層、一層のどこですか」

「階段からの距離は」

「入口は」

「印は」


透と慧は、覚えている限りを答えた。

壁みたいに見えたこと。

抜けたこと。

小部屋だったこと。

床に薄い線があったこと。


職員は頷きながら入力する。


「まだ八層には入れませんが、一層の転移に調査を入れます」

「本日は情報、ありがとうございます」

「——現場はできるだけ、触らないでください。使用自体は問題ありませんが、今後は協会管理になります」


「分かりました」

透が言う。


係の人は言葉を選んでいた。


「……その、転移陣については」

「確認でき次第、共有させていただきます」


透は頷く。

慧も頷く。


手続きが戻る。

回収物の確認。仮査定。サイン。


今日の分は、まとめて四十万くらいになった。

オーク肉は持ち帰り品として受け取る。


透は金額を見て、紙を折った。

悪くない。

でも、前より少し落ちている。


慧が小声で言う。


「ポーション、下がったな」


透が頷く。


「出てきたらしいよ」

「少しずつ」


最初の頃みたいな“未発見品”じゃない。

それだけの話だ。


外に出ると、空が少しだけ赤みがかっていた。

受付の声が、さっきより遠い。


慧が言う。


「これで、洞窟まで楽になるな」

「帰りも」


透が頷く。


「探索時間が増える」

「それだけでもデカいね」


慧が一瞬だけ、協会のプレハブの方を見る。


「調査、どうなるかな」

「多分、すぐ人入るだろ」


透は答えない。

あの円が、二人だけのものじゃなくなる。

そういう流れはもう見えている。


慧が言った。


「じゃ、今日は解散だな」

「明日、また連絡する」


透が頷く。


「うん」

「気をつけて」


慧は手を上げて、家の方へ歩いていった。


透も反対に歩く。


オークの肉。

明細の紙。

今日の二十万。


家に着いたら、オーク肉の話をしよう。

今日はもう夕飯作ってくれてるだろうし、明日の晩ご飯にでも使ってもらおう。

そういう使い方のほうが、家っぽい。

なんだかファンタジーの生き物が、より、生活に近づいてきた気がする。


透は歩きながら、短く息を吐いた。


「オーク」


口に出すと、少しだけ現実になる。

それでも、まだ慣れない。


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