広まる噂、学校
教室に入った瞬間、空気が違った。
いつもなら眠そうな顔が並んでる時間なのに、今日は声が多い。
「見た? やばくない?」
「日本でも出たって」
「場所どこだよ」
「どうせ釣りだろ」
「いや、国が動いてるって言ってた」
透は鞄を机の横に置いて、座った。
みんなの声が上滑りしている。怖いのか、面白がってるのか、どっちにも聞こえる。
スマホが震えた。
『見た。近づくな。』
慧からの返信だった。
朝送った『ニュース見た?』への返事。遅いくせに、内容は秒で終わる。
透は思わず笑いそうになって、やめた。
「……近づくな、って。お前さ」
顔を上げると、慧はすでに席にいた。
いつもの顔。いつもの温度で、机に肘をつきながらスマホを見ている。
「返信、短すぎだろ」
「要点だから」
慧は画面から目を離さずに言った。
ホームルームが始まる直前、担任が教室に入ってきた。
いつもより顔が硬い。
「朝から騒いでるのは分かるけどな。まず言っておく」
担任は黒板にチョークで短く書いた。
――危険区域に近づくな
――デマを拡散するな
「昨日から、妙な映像が出回ってる。面白半分で近づくな。仮に本物でも、なおさらだ」
教室のどこかで「はーい」と間延びした返事が上がる。
担任はそれを無視して続けた。
「何か見かけたら、勝手に撮るな。勝手に触るな。勝手に入るな」
“入るな”という言葉だけが、妙に強く耳に残った。
授業は進んだはずだった。
でも黒板の文字が頭に入らない。
休み時間になると、話題が一斉に戻ってくる。
「なあ、これってさ、マジのやつ?」
「日本のやつ、もう封鎖されてんだって」
「地図出回ってる」
「うそだろ」
「ほら、これ」
画面には、地図アプリのスクショ。
赤い丸がいくつか付いていて、コメントに「ここ」「ここも」と雑に書かれている。
透はそれを見て、すぐに目を逸らした。
信じるのも、疑うのも、どっちも怖い。
「透」
慧が小さく呼んだ。
透が顔を向けると、慧はスマホを伏せた。
「一応、整理しとく」
「……なにを」
「現時点の情報」
慧は、まるでノートの要点を読むみたいに淡々と話した。
「海外で最初に拡散。階段とか穴とか、入口が固定っぽい。膜の向こうが別空間。草原っぽい映像が多い」
「日本でも複数。都市部の路地、山、工業地帯っぽい場所。国が封鎖し始めてる」
「映像に“生き物”が映ってる。ネズミっぽい」
透は喉が鳴った。
「……角みたいなの、あったよな」
「ある。あと、動きが変。普通の動物じゃない」
慧はそこまで言って、少しだけ間を置いた。
「だから、近づくなよ」
「分かってる」
昼休み。
透はスマホを開いた。規制線の写真が流れている。
『これ、近所じゃね?』
『パトカーいた』
『マジで封鎖されてる』
『デマなら訴えられるぞ』
『でも見たって人いる』
投稿の中には、川崎の文字も混じっていた。
あくまで“らしい”程度。断言はない。
でも、地図の端に見覚えのある駅名が一瞬映って、透の指が止まった。
放課後。
透と慧は並んで校門を出た。
いつもの帰り道。
住宅街へ続く道。コンビニ。公園。細い路地。
――人だかりがあった。
遠目でも分かる。
立ち止まってスマホを構える人がいて、誰かが「やっぱこれだって」と興奮気味に言っている。
その向こうに、白いテープのようなものが見えた。
透は足を止めかけた。
慧が、先に口を出した。
「行くなよ」
「……まだ何もしてない」
「行くな」
慧の声は低かった。いつもより。
透は唇を噛んで、視線を逸らした。
近づけば、何かが分かる気がする。
でも、分かったところで、どうすればいいのか分からない。
二人は人だかりから距離を取って、反対側の道へ曲がった。
曲がり角を曲がる瞬間、透は一度だけ振り返った。
人の頭越しに、路地の奥が見える。
暗い。
行き止まり。
その奥が、やけに“黒い”。
慧が、歩く速度を少し上げた。
透も、黙って横をついて行った。




