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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
3章

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慧の決意、選択

ホームルーム。


黒板の横に立った先生は、出席簿を閉じてから、教卓に手を置いた。

教室の空気が落ち着くまで、何も言わない。

それから、短く咳をした。


「……色々あった。けど、世界は待ってくれない」


誰も笑わない。

先生も笑わない。

言葉だけが、そこに落ちる。


「あと四ヶ月で、お前らは高三だ」

「受験する学校。科目。推薦にするか一般にするか。家の事情も含めて、今のうちに詳細を決めておけ」


先生は視線を走らせた。

空いている席を避けない。


「災害が収まったって言われてる。でも、収まっただけだ」

「進路も、生活も、勝手に決まってはくれない」


チョークが鳴る。

「進路希望調査 提出:来週」

雑な字。いつもの字。


透はノートを開いたまま、文字を見ていた。

“あと四ヶ月”という言い方が、妙に具体的だった。


ホームルームが終わる。

椅子が机を引っ掻く音。

教室が、少しだけ戻る。


透が立ち上がろうとしたとき、前から声が来た。


「透」


慧だ。

いつも通りの顔。

でも、いつもより近い気がする。


透が顔を上げる。


「……何」


慧は一瞬だけ、周りを見た。

誰もこっちを見ていないのを確かめる。


「ちょっと、いいか」


透は頷いた。

理由は聞かなかった。

聞かなくても、だいたい分かる。


放課後。


階段の踊り場。

人の通りが少ないところ。

運動部の声が遠い。


慧は壁にもたれず、立ったまま言った。


「……大学、行かずに」


透の目が少し細くなる。


慧は続けた。


「探索者にならないか」


透は、すぐに返せなかった。

言葉の意味は分かる。

でも、今その形で出てくると思ってなかった。


「……急だな」


慧が、肩をすくめる。

いつもの動き。

でも、目は逃げない。


「急じゃない」

「ずっと、考えてた」

「“考えてないふり”してただけだ」


透は黙る。


慧が言う。


「俺、医者になると思ってた」

「一番安全で、それが最善だと」


慧がこんなことを言うのは、意外だった。


「保険もきく。道もある。勉強すれば届く」

「……前向きっていうより、それが一番マシだった」


透は息を吐く。

慧の言葉は、いつも“割り切り”だった。

その割り切りの中に、今日は違うものが混ざっている。


「でも、ダンジョンを見た」

「転移も見た」

「下層を見た」


慧の声が少しだけ低くなる。

見たものが、まだ胸の中にある声。


「それで——」

慧は言葉を探した。


「……知りたいと思った」


透は、それを聞いて、目を逸らせなかった。

ここまで口数が多い慧は珍しい。


慧は続ける。


「俺のスキル。危機察知」

「小さい頃から、たまに勝手に発動してた」

「理由は分からない」


透は覚えている。

災害の日、家で慧の感じた違和感のこと。

その説明が曖昧だったこと。


「それが、レベル十になって“スキル”として出てきた」

「……なぜ今なのか」

「なぜ、そういう形で出たのか」


慧は、自分の指先を見た。

掌じゃない。指先。

“感覚”に近いところ。


「この世界には、何かある」

「ダンジョンが湧いた理由も、転移がある理由も、俺は知らない」

「でも、知らないまま目を背けるのは……」


慧は言葉を切った。

“逃げ”と言いそうで、飲み込んだ。


「医者が安泰ってのも、もう言えない」

「ポーションが見つかった」

「回復が“物”になるなら、次は何が出る」


透の胸が、少しだけ動く。


慧は、透を見る。


「透、お前の回復魔法」


踏み込んでくる。


透は頷かない。

否定もしない。


慧が続ける。


「もしそれで、お前の親父さんの足が治るなら」

「……それが、答えなんじゃないか」

「現代医学ではどうしようもない怪我、病気が、もし、どうにかなるのであれば」


透の喉が鳴る。

父の左足。

少しだけあった反応。


「回復で無理でも、“より強力な”ポーションが出るかもしれない」

慧は淡々と言う。

淡々と言いながら、そこに期待が混ざっている。


「それを探せるのは、医者じゃない」


透はようやく言った。


「……でも、まだ俺たち、潜れない」


慧が頷く。


「分かってる」

「家族が止めてるのも」

「協会が動いてるのも」


一拍。


「だから、今のうちに決めたい」

「大学に行くか」

「潜るか」

「……両方か」


透は少しだけ笑いそうになって、やめた。

両方。

それは欲張りだ。

でも、慧がそう言うのは珍しい。


透は言う。


「……慧が“やってみたい”って言うの、初めて聞いた」


慧が目を逸らした。

逸らしてから、戻した。


「……そうかもな」


透は、手を握る。

掌の奥が、熱を思い出す。


父の足。

世界。

自分の中の回復。


そして、ヒールポーション。


透は、まだ答えを出さない。

でも、答えの形は見え始めている。


「……協会、行かなきゃいけない」


透が言うと、慧が頷いた。


「ああ」

「神奈川支部。もう一回呼ばれてる」


透は、視線を落とす。

現実の線引きが、そこにある。


「そこで、金額も出る」

「ドロップの話も」

「……肉も、あの瓶も」


慧が短く言った。


「ちゃんと聞かなきゃいけない」

「俺らは、知りすぎた」


透は頷いた。

頷くのが、少しだけ重い。


校舎の向こうで、チャイムが鳴った。

帰りの時間を知らせる音。


透は思った。


世界は待ってくれない、と先生は言った。

その言葉が、こんなところで効いてくる。


待ってくれないなら。

待つか、追うか。

それを選ぶのは、自分たちでありたい。

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