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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
2章

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回復魔法、聴取

鍵を回した。


中の音が、一拍だけ薄くなる。

テレビ。台所。足音。

透が扉を押すのと同じタイミングで、全部が揃って止まったみたいに感じた。


玄関に母がいた。

その後ろに澪。

父は居間の椅子に座ったまま、こちらを見ている。


母の視線が、透の腕で止まる。

裂けた袖。乾いた赤。焦げた布。


母は一歩寄って、透の手首を掴んだ。強くない。けれど離さない。


「……遅い」


透は靴を脱いだ。

床が冷たい。

冷たさが足から上がってきて、ようやく帰ってきた気がした。


澪が透を見る。


「どこ行ってたの」


透は口を開けた。

喉が空回りする。

出てきたのは短い言葉だけだった。


「……慧と」


母の指が袖の裂け目に触れかけて、止まる。

その下の皮膚は、塞がっている。


母が透の腕を持ち上げる。

光に当てるみたいに角度を変える。


「……何があったの」


透は自分の腕を見た。

今は、普通の腕。


「……色々」


父が言った。


「座れ」


透は言われた通りに椅子に落ちた。

リュックが床に当たって、鈍い音がする。


母がタオルを持ってくる。

水。消毒。


澪がぽつりと言った。


「……もう、行かないで。しばらく」


母も短く頷く。

父は透を見たまま言う。


「今は、家にいろ」


透は小さく頷いた。


それから、透の目が父の左足に吸い寄せられた。

父はいつも通りの顔をしている。


透の胸の奥が、きゅっと縮む。


気づいたら、透は立っていた。

父の前にしゃがんでいる。


父が眉を上げる。


「何だ」


透は答えずに、左足へ手を伸ばした。


「……ちょっと、触らせて」


掌を当てる。

皮膚は温かい。

なのに、奥が薄い。遠い。届かない感じがする。


透の中に残っている。

昨日の、あの感覚。

熱が走って、裂けたものが戻った感覚。


理屈じゃない。


透は息を整え、掌の奥に熱を作った。

それを、流そうとする。


掌の下で、微かに何かが跳ねた気がした。


母が息を呑む音。

澪が不思議そうに瞬く。


父が自分の足を見る。

視線が透の手に戻る。


「……今の、何だ」


透はもう一度、同じように流そうとした。

熱は出る。

でも——届かない。


透の掌が止まる。


「……だめだ。治らない」


透の声がかすれた。


父はしばらく黙っていた。

それから透の手首に触れた。


「……透。何をしてきた」


透は首を振った。


「……わかんない」

「でも、回復……みたいなの」


母の手が透の肩に置かれる。

掌の重みだけが伝わる。


澪が小さく言う。


「……魔法、ってこと?」


透は頷きかけて、やめた。


「……たぶん、また、後で話すよ」


掌を離した。

指先がまだ熱い。


寝る直前、慧から短いメッセージが来た。


『親、どうだった』


透は画面を見て、短く返した。


『しばらく潜れない。止められた。』


すぐに返事が来る。


『了解。俺も同じ。』


透はスマホを伏せた。


翌日。


知らない番号から着信が入った。

透は出る前に一度だけ息を吸った。


「はい」


「観月透さんでお間違いないでしょうか」


女性の声。事務的。


「探索者協会、神奈川支部です。昨日の件で、事情聴取にご協力をお願いしたく」


透の背中が硬くなる。


「転移トラップの位置、発動状況、飛ばされた先の環境。確認された個体。回収物の確認もあります」


透は返事が遅れた。


「……今日ですか」


「可能なら本日中に。支部は現在、県庁別館の臨時フロアで対応しています。——案内を送ります」


県庁別館。

臨時フロア。

専用施設じゃない。間に合わせだ。今の社会らしい。


「……分かりました」


切ったあと、透は居間へ行った。


母がすぐ気づく。


「どこ行くの」


透は言った。


「協会。呼び出し」


澪が顔を上げる。


「……行くの?」


父が短く言う。


「行け。逃げると面倒になる」


透が頷く前に、父が続けた。


「ただし、今日は情報だけ出して帰れ」

「余計なことまで背負うな。家のこともある」


透は頷いた。


「わかった」


神奈川支部は、建物の中にあった。


県庁別館の一角。臨時の看板。簡易のパーテーション。

受付の机は急ごしらえで、ファイルが山になっている。


それでも空気は整っていた。

人の流れ。待機の椅子。案内の声。

“テント”よりは役所だ。けれどまだ基地みたいだ。


番号を呼ばれて、部屋に入る。


会議室。机。椅子。地図。

担当は二人。片方はメモ、片方は端末。


「本日はありがとうございます。いくつか聞かせてください」


声の温度が一定だ。

怖いほど落ち着いている。


「まず、転移トラップの位置から」


地図が出る。三層の草原。階段の位置。

透は指で示した。


「階段を下りて、しばらく右。草の中」

「犬型の魔物を倒したあと。——光って、次の瞬間、洞窟にいました」


担当者の顔が少しだけ動く。


「発動の合図は」


「分からない。一瞬」


「飛ばされた先は何層と判断しましたか」


透が横を見る。

慧が静かに口を開いた。


「段数を数えて上ってきた。十層だと思う」


担当の端末が動く。


「十層の環境は」


「広めの洞窟。天井が高い。湿ってる。空気が重い」


「確認した個体は」


慧が淡々と並べる。


「十層。二足歩行の豚。刃」

「九層。同じ系統。棍棒」

「八層。豚とゴブリンの群れ。ゴブリンは弓と、飛ばす石みたいなやつが混ざってた」


担当者が一度だけ息を吐く。


「七層は」


慧が少しだけ言葉を選ぶ。


「広間。段差があって、座ってるみたいな個体がいた。王みたいだった」

「横に大剣の個体。反対に杖っぽい個体。雑魚が多数」

「指示してる感じだった。群れじゃない動き」


担当者は“王”とは言わなかった。

代わりに確認する。


「指揮個体。……了解です」


透は口の中が乾く。


最後に、担当者が言った。


「回収物について確認します。未確認のドロップ品は研究に回します。その分は買取価格に上乗せします」



仮査定。記録。追加支払い。

淡々としているのに、協力的だ。

ちゃんと対価を払うという意思が見える。


最後に担当者が透たちを見る。



「……怪我は?」


透は一瞬だけ止まって、言った。


「大丈夫です」


慧も頷く。


担当者は深追いしなかった。

危険情報が優先だという顔をしている。


「分かりました。事情聴取はここまでです」

「結果が分かり次第、ご連絡します。ご協力ありがとうございました」


部屋を出る。


廊下の空気が薄く感じた。

疲労が遅れて来る。


慧が短く言う。


「しばらくはダンジョン、お預けだな」


透は頷く。


「……うん」


透はスマホを握った。

画面をつけないまま、父の名前だけを指でなぞった。


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