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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
2章

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43/80

閑話。淡く赤い瓶

ラベルは簡易的だった。

受領番号。階層。


「淡赤。瓶。匂いなし」


県庁別館。臨時フロア。

会議室を区切っただけの部屋に、ライトと机が並んでいる。

設備は足りない。紙束は多い。


瓶は小さい。

透明。中身は淡く赤い。濁りはない。

光に当てると、赤が薄い層になって、底に寄る。


担当の男は、袋のまま写真を撮った。

正面。側面。底。ラベル。

終わってから、ようやく袋を開ける。


キャップは普通のねじ式だった。

開けるときの音も、普通の音。


匂いはしない。

揮発もしない。

液面が揺れても、泡が立たない。


「……薬品じゃなさそうだな」


隣の女が端末に打つ。

《未確認液体:一次検査開始》


最初は“危険性の確認”だった。

酸性か、アルカリか。毒性か。腐食性か。

当たり前の手順を崩すと、事故につながる。


一滴だけ。

ピペットで吸う。


透明なチューブの中で、淡赤が細く伸びた。

水に近い。

でも、水じゃない。


試験紙。変化なし。

金属片。腐食なし。

アルコール反応なし。

糖反応は、薄い。


女が小さく言う。


「……血液でもない」


男は瓶を見た。

小さい。


「使い道、分からないな」


女が頷く。


女は端末の項目を横に流していく。

既知の薬品。既知の血液製剤。既知の消毒液。

どれにも引っかからない。


「名前、無いね」


男が瓶を軽く傾ける。

淡い赤が、ガラスの内側を薄くなぞる。

粘度は低い。水に近い。

それでも、ただの水に見えない。


「色、沈むの早いかも」


女がライトの位置を変える。

赤が一瞬だけ濃く見えて、すぐ薄くなる。


「温度で変わるか見よう」


女は小さい保冷剤と、ぬるい湯を入れたカップを机の端に置いた。

試験管を二本並べる。

どっちにも一滴ずつ。


数十秒。

色は変わらない。匂いも変わらない。


男が短く息を吐く。


「……余計分からなくなった」


男は一滴を試験管に落とす。

もう一滴を別の試験管へ。

最後の一滴を、保留にした。


その時、女が自分の指を見た。

紙で切ったみたいな細い傷。

さっきホッチキスを外した時についた。


女は何も言わなかった。

指先を擦って、血が出ていないことを確かめる。

それから、保留していた一滴へ視線を落とす。


男が気づく。


「やめとけ」


止める声。短い。


女は頷いた。

代わりに、培養皿を引き寄せる。


傷をつけた組織片。

昨日、別件で使っていたもの。

“生きているもの”に触れさせるなら、まずそっちだ。


男が一滴を落とす。


落ちた瞬間——


組織が、動いた。


傷口の縁が寄る。

寄って、塞がる。

境目が薄くなっていく。


凝固でもない。

縫合でもない。

ただ、戻る。


女が息を止める。

男のピペットが宙で止まる。


タイマーの数字が進む。


五秒。

十秒。

二十秒。


傷が、消える。


女が言った。声が小さい。


「……なにこれ」


男がタイマーを止めない。

目だけで数字を追っている。


女が皿を裏から見た。

光に透かす。

境目が、ほんとに無い。


「……塞いだ、っていうより」


言葉が続かない。

“戻った”が一番近い。


男がピペットを置いて、メモを取る。

書き方が雑になる。


「濃度」

「量」

「時間」


女が言う。


「薄めてみよう」


男が水を出す。

一滴を二滴に割って、さらに割る。

透明が増える。赤が消える。


女が新しい皿に、同じ傷を作る。

さっきより深く。

手元が早い。呼吸が浅い。


「……いくよ」


落とす。


今度は遅い。

でも、寄る。

寄って、塞がる。

さっきみたいに一瞬じゃない。

それでも、確かに進む。


女が培養皿を覗き込む。

顔が近い。


「……消えた。傷、消えた」


男が笑った。堪えきれないやつ。


「やば。やばいって」

「もう一回」


女がすぐ手を伸ばす。


「待って、記録」

「……でも、もう一回」


男は頷きながら、もう一枚皿を引き寄せた。

傷をつける手つきが雑になる。

焦ってる。


「いや、落ち着け」

女が言う。声は落ち着いてない。


「落ち着けないだろ」

男が言って、ピペットを握り直す。


一滴。


また、寄る。

また、塞がる。


女が息を吐いた。


「……ポーションだ」


男が、笑いながら頷く。


「ポーションだな。これ」

「まるでファンタジーじゃないか!」


女が端末を叩く。

送信先が増える。文字が増える。指が速い。


男は瓶を見たまま言った。


「残り、どんだけ入ってる?」

「……待って、すぐ測る」


女が立ち上がる。椅子が鳴る。

机の端に置かれていた受領票を引き寄せる。

番号を指で押さえて、声を落とす。


「……これ、追加で回収、あるかな?」

「同じの、他にも出てくるかな?」


男は笑いながら首を振った。

笑いのまま、息が浅い。


「今は一本」

「……でも、一本で十分だろ」


棚が一段上がる。

手順書が一枚増える。

部屋の外の足音が、近づいた。


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