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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
2章

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38/80

ゴブリンの集団、玉座

透は鉈の柄を握り直した。


「行くしかない」


慧が短く返す。


「登る。足、擦らないようにな」


二人は一段ずつ登った。

置く。離す。置く。離す。

急がない。


途中で止まる。

耳を澄ます。


上から聞こえるのは、声じゃない。

弦を撫でるような小さな音。

金属が擦れる音。

息の数。


——多い。


段の終わりが見えた。


透は一度だけ息を吸って、吐いた。

空気が少し軽い。肺がまだ動く。

それでも岩の匂いが濃い。


階段を上がり切った瞬間、視界が開けた。


広間。


天井は高い。

苔の光は薄く、影が厚い。

床は岩肌のまま、ところどころ削れて平らだ。


そして、左手。


段差の上に、石造りの“玉座”があった。


椅子の形をしている。背もたれがある。肘掛けもある。


そこに——王が座っていた。


背は低い。ゴブリンより少し大きい程度。

でも、威圧感が違う。


腕を肘掛けに置いて、こちらを見下ろしている。

まるで、ここが自分の場所である、と主張するかのように。


王の左に、大剣を持ったゴブリンが立っていた。

ゴブリンより一回り大きい。肩が張っている。

剣は長く、幅がある。刃は欠けているのに、重さが伝わってくる。


王の右には、ローブを着たゴブリン。

杖みたいな木の棒。

杖を地面につけ、動かない。規則的に呼吸をしている。


遠くで、弓がわずかに軋む。

高い位置に影が散っている。

弓がいくつも。位置が違う。


床のあちこちに近接の影。

短い剣、欠けた刃、棍棒。

数が多い。玉座を囲って半円みたいに広がっている。


慧が低く言った。


「……多い、な」


透は唾を飲み込んだ。


階段は背後。

でも——背後にあるのに、逃げ道に見えない。


王が座ったまま、こちらを見ている。

その視線だけで、足が重くなる。


最初に動いたのは、雑魚だった。


近接のゴブリンが、前へ出てくる。

走って、詰めてくる。


透が一歩下がりそうになって、止めた。

下がり続けたら、階段に押し込まれる。


慧が短く言う。


「壁、取るぞ」


二人は階段脇の壁へ寄った。

背中を守れる角度。

包囲されないために。


弦が鳴った。


きゅん。


矢が岩に刺さる音。

狙いは二人じゃない。足元だ。逃げ道が削られる。


「弓がいる」


透が言うと、慧は答えない。

答えないまま、前を見ている。


近接が来る。


透は鉈を当てて引いた。

振り回さない。

切る、止める、離れる。


霧。


一体目が消える。


すぐ二体目。

横から入ってくる。


慧がバールを短く当てて離れる。

受けない。押し込まない。

当てて、体勢を崩す。


透が足を切る。

浅く、確実に。


霧。


二体目。


息が熱い。

でも、身体が動く。

Lv10の数字が、確かに身体に乗っている。


三体目。四体目。


二人の動きはまだ粗い。

でも、止まらない。


切る。離れる。

当てる。離れる。

背中を取られない。

それだけ。


霧が床に落ちるたび、広間の空気が少しだけ変わる。


王は——座ったままだった。


動かない。

ただ、見ている。


「……余裕そうだね」


透が呟くと、慧が低く返した。


「なめられてるな」


弦が鳴る。石礫が飛ぶ。

矢が岩を叩く。粉が散る。


透は角度を変える。

慧が位置をずらす。

背中が壁に擦れる。呼吸が浅くなる。


それでも、倒せる。

雑魚は倒せる。


——倒せるのに、一向に状況は良くならない。


階段の方へ視線をやると、分かる。


背後に、近接の影が回り込んでいた。

階段の“入口”を、半分塞ぐ形。


降りる道は見えている。

でも、戻れない。


戦いが始まった瞬間、階段は既に出口ではなくなる。


透の喉が鳴った。


「……戻れないな」


慧が一瞬だけ頷く。


「前だけ見る」


透は鉈を握り直した。

指先が冷たい。

手袋の中で汗が滑る。


その時だった。


王が、ゆっくりと肘掛けから腕を外した。


ただそれだけで、広間が静かになる。

弦の音も、足音も、一瞬だけ薄くなる。


王が立ち上がった。


立っただけで、背が伸びたように見える。

玉座の段差の上で、こちらを見下ろしている。


王が口を開いた。


「ぐぎゃ……」


言葉じゃない。

でも号令だと分かる。


空気が、変わった。


温度が下がったわけでもない。

匂いが変わったわけでもない。


なのに、圧が増える。


雑魚の足音が揃う。

踏み込みが一段、速くなる。

弓の間合いが嫌になる。矢が“近い”。


透は息を飲んだ。


「……やば」


慧が言った。声が低い。


「ここからだ」


王の右のローブが、微かに揺れた。

揺れたのに、動かない。

杖の先が床に触れたまま、離れない。


何をしているのかわからない。

でも、なにか“役割”がある。


王の左の大剣を持った側近が、一歩だけ前へ出た。


たった一歩。


でも、それだけで線が引かれた。

ここから先に来るな、という線。


剣がゆっくり持ち上がる。

いつでも振れる高さで止まる。


透は思った。


あいつは“門”だ。


王に近づく道を、あいつが塞いでいる。

王は立ったまま、動かない。

動かなくても、戦場は王が支配している。


近接のゴブリンが一斉に詰めてきた。


数が多い。

一体一体は強くない。

でも、数が多いと動けない。


透は鉈を当てて引く。

慧が当てて離れる。

倒す。倒す。倒す。


それでも押される。


背中の壁が近い。

階段の段差が視界の端に入る。

逃げ道じゃないものが、近くにある。


慧の声が速くなる。


「透、下がるな」


透は歯を食いしばった。

階段に押し込まれたら、二人は縦に並ぶ。

そうなったら、矢も石も避けられない。


王がもう一度、低く鳴いた。


「ぐぎゃ」


雑魚の動きが揃う。

まるで、ひとつの生き物みたいに。


透の胸が詰まる。

息が浅い。

でも、止まれない。


透は鉈を握り直した。

刃が苔の光を拾って、鈍く光る。


慧が言った。


「押し返す。まだ、死ねない」


透は頷いた。


「……うん」


王は立ったまま、こちらを見ている。

大剣側近は、門のまま動かない。

ローブは、動かない。


——逃げ道は、もう無い。


透は、階段の闇を背にして前を見た。


戦いは、始まったばかりだ。


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