感じる成長、肉
走って、角を曲がって、また走って。
洞窟の青白い光が背中に流れる。
さっきの金属音は、もう聞こえない。
遠ざかったのか、止まったのか。
どっちでもいい。今は、止まって確かめたい。
慧が手で合図した。
「……ここなら」
壁の出っ張りの陰。
苔の光が届かない場所。
暗くて、息の音だけが大きく感じる。
透は頬が熱いのに気づいた。
さっき、石がはじけた時のかすり傷だ。
指先で触れる。
ぬるい。少しだけヒリつく。
でも、指に赤はつかない。
血は止まっている。
透は息を吐いた。
「……大丈夫だ」
慧が短く言う。
「それだけで済んだ、運が良かった」
「うん、本当に」
透はリュックを下ろして、奥に瓶をしまい込む。
小瓶。淡い赤。
硬い透明で、ガラスじゃないみたいな冷たさ。
布で巻いて、押し込む。
揺れないように、隙間を詰める。
慧が見ている。
「それ、何なんだろうな」
「さぁ、でもなにか、貴重な物の気がする」
慧が壁沿いに視線を走らせた。
「階段、探すか」
「……あるかな」
「ある。ないなら死ぬ」
慧は淡々と言う。
もう死んでいてもおかしくない。ここはそういう場所だ。
二人は立ち上がった。
足音を殺す。呼吸を浅くする。
耳を澄ませて、一歩ずつ進む。
壁沿い。
迷わないため。
洞窟が広いほど、壁を頼るしかない。
しばらく歩いて、透は気づいた。
不自然な岩の並び。
段みたいに削れている。
平らすぎる。規則的すぎる。
慧も同時に止まった。
「……ここだ」
石の段。
上へ続いている。
透は喉を鳴らした。
嬉しい。
でも、階段の先に何がいるか分からない。
二人は顔を見合わせる。
慧が言う。
「音、殺して行くぞ」
「うん」
透は頷いた。
階段を登る。
一段ずつ。靴底を置く角度まで気をつける。
石に当てない。擦らない。
敵が来るかどうかなんて、知らない。
静かにするしかない。
途中で何度も止まる。
耳を澄ます。
長い。
数えない。数えたら余計に遠くなる気がする。
ようやく段の終わりが見えた。
空気が少しだけ変わる。
湿気はある。苔の光もある。
でも、さっきより息がしやすい。
「……また洞窟、か」
透が小さく言うと、慧は頷く。
「上には近づいてる。だが、まだ深い」
二人は、すぐに壁に寄った。
目を慣らす。匂いを嗅ぐ。
土と鉄。
それに、獣の匂いが濃い。
——来る。
透がそう思った瞬間、影が動いた。
二足。
でかい。
腹が厚い。
さっきの“刃”じゃない。
手にあるのは、太い棍棒。
木というより、石みたいな黒さ。
豚が低く唸った。
慧が言う。
「剣のやつより遅いな。念のため、当たるなよ」
透は鉈を握り直す。
足が、まだ震えている。
でも、動く。
棍棒が振られる。
大きい。
遅い。
その分、範囲が広い。
透は横へ跳ぶ。
風が頬を撫でた。
当たっていないのに、怖い。
慧が入る。
バールを短く叩き込んで、離れる。
透が足を狙う。
鉈を当てて引く。浅く。確実に。
豚の踏み込みが鈍る。
慧が角度を変える。
棍棒が壁に当たって軌道がずれる。
透がもう一度入る。
豚が崩れた。
霧みたいに薄れて消える。
透は息を吐いた。
「……さっきより、全然いけるね」
慧が言う。
「落ち着け。二体目が来る」
——来た。
足音が重なる。
さっきより近い。
同じ形の豚が、棍棒を引きずるように歩いてくる。
透は思った。
さっきの“刃”のやつに比べると、怖さが薄い。
体が動く。
これが、Lvの恩恵か。
さっきまでの息苦しさが、少しだけ遠い。
二体目も、同じ手順で倒した。
挟んで、当てて、離れて。
棍棒の振り終わりだけを狙う。
霧が消えた場所に、石が落ちた。
魔石。
少し青みがかっている。
透は拾って、リュックに押し込む。
小瓶が割れていないか、触って確かめる。
大丈夫だ。
「……二つ目」
透が言うと、慧は短く頷いた。
「持って帰ろう」
三体目。
少し奥へ進んだ場所だった。
苔の光が薄い。影が濃い。
棍棒が影の中から出てくる。
手順を守って、戦う。
棍棒の軌道を見て、角に誘導する。
壁に当たった瞬間だけ距離が生まれる。
その一瞬に、切る。叩く。離れる。
倒した。
霧が消えたあと、落ちていたのは——石じゃなかった。
透は一瞬、固まった。
透明な袋。
空気が入っていない。ぴったりくっついている。
中には肉。
赤い。
冷たそうな色。
でも、湯気もない。腐臭もない。
まるで、真空パックだ。
「……は?」
透が声を漏らす。
慧も見た。
一瞬だけ眉が動いた。
それだけ。
「何だ、これ」
「……肉?食えるのかな」
「知らん。まあ、持って帰ろう」
透は袋を掴んだ。
手袋越しでも、妙に現実的な感触がする。
魔物が落としたものなのに、スーパーで見る肉みたいだ。
怖い。
でも、捨てたくない。
リュックの中で小瓶に当たらないように、肉を横に滑らせる。
布で仕切る。押し込む。
四体目。
もう、動きが読めていた。
棍棒の重さ。振りの遅さ。
その代わり、一撃の重さ。
当たるな。
それだけ。
慧が短く言う。
「最後。倒して引く」
「うん」
豚が来る。
棍棒が振られる。
透が避ける。慧が当てる。
透が切る。慧が押す。
霧になって消えた。
石が落ちた。
魔石だ。
透は拾って、息を吐いた。
胸が熱い。肺がまだ痛い。
でも、立っていられる。
視界の端で、数字が動く。
【観月 透】
【Lv】8→9
【MP】95→105
【筋力】28→30
【敏捷】30→33
【魔力】25→28
慧も同じように数字が変わっていた。
慧は見ただけで、すぐ前を見る。
「……あと一匹」
透が漏らす。
慧が言った。
「欲張るな。帰る」
透は口を閉じた。
慧の言い分は正しくて冷たい。
二人は壁際に寄って、短く息を整えた。
透は頬をもう一度触る。血は出ていない。
指先を見る。赤はない。
リュックを確かめる。
小瓶。割れていない。
魔石。いくつか。
真空パックの肉。ひとつ。
胸の奥が妙にざわつく。
不自然すぎるのに、確かに“得”だ。
透は思った。
ここなら、戦える。
少なくとも、あの刃のやつよりは。
慧が低く言う。
「上を目指す。静かにいくぞ」
透は頷いた。
「うん」
透はリュックの肩紐を握り直した。




