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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
2章

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35/81

迷い込んだ洞窟、豚戦

刃が上がった。


青白い苔の光を拾って、四角い刃が鈍く光る。

中華包丁みたいな、幅のある金属。

欠けた刃先が黒く汚れている。


二足で立つ豚が、一歩踏み出す。

石が鳴る。腹の肉が揺れる。

呼吸が、湿って聞こえた。


透は鉈を抜いた。

手袋越しに柄が滑りそうで、指に力が入る。

刃が、自分の震えを映している気がした。


慧が低く言う。


「受けるな。触れるな。避けろ」


「分かってる」


分かっているのに、身体が遅い。

視界が狭い。音が大きい。


豚が来た。


速い。

あの体で、こんなに速いのか。


刃が横に走る。


透は反射で前に出そうになって、止まった。

前に出たら、斬られる。


慧が引いた。


「壁!」


短い声。速い声。


二人は走った。

洞窟は広い。広いのに、逃げ場はない。

壁沿いに、岩の出っ張りがある方へ。


刃が岩に擦れる音がした。

背中が冷たくなる。


次の瞬間、刃が振られ、石に当たった。


ぎん、と嫌な音。

火花が散る。

刃が弾かれて、空気が震えた。


透の頬に風が当たる。

息が詰まる。


——当たったら、死ぬ。


透は歯を食いしばって走る。

慧が先に曲がる。透も続く。


壁際。狭い角。

岩の影が濃い。


豚が追ってくる。

足音が重い。なのに簡単に追いつかれる。


慧が言う。


「挟むぞ。透、右。俺、左」


「分かった」


言い終える前に、刃が来た。


透は壁に背中を擦りながら身を捻る。

刃が岩に当たって止まる。


豚の腕が太い。

力任せに押し込んでくる。


透は距離を切る。


慧が横から回り込む。

膝をめがけて、バールを短く振る。


叩く音。

鈍い衝撃。


豚の膝がわずかに沈む。

効いているのか分からない。

でも、続けるしかない。


透が入る。


鉈は振り回さない。

一瞬だけ、刃を置く感覚。


肉の感触。

硬い脂。刃が止まる。

透はすぐ引いた。


「浅い!」


透が言う。


慧が言う。


「いい。削るぞ」


削る。

動きを落とすため。

勝ち筋を作るため。


豚が唸った。

低い声。喉の奥で鳴る音。


刃が縦に落ちてくる。


透は跳ねるように下がる。

刃が石を削る音がした。

石がはじけて頬をかすめる。


指先が冷える。


慧が言う。


「次、俺が囮。足ねらえ」


透は頷いた。

息が浅い。


慧が前に出る。

豚の視線が慧に向く。

刃が慧を追う。


慧は引く。

角を使って、刃を振り切らせない。

壁に当たる。止まる。

止まった瞬間だけ、距離が生まれる。


透が入る。


足。


豚の足は太い。

筋が浮いている。

ここを落とすしかない。


透は鉈を当てて、引いた。

浅く切る。深くはいらない。

血は出ない。傷から黒い霧が出ている。

でも、切った感触は残っている。


豚の体が一瞬だけ沈んだ気がした。


「今の、効いたか?」


透が言うと、慧が答える。


「分からん。続けろ」


続ける。

走る。角を使って、当てて離れる。

それだけ。


豚は学ぶ。

二人の動きを追い始める。

刃の出し方が変わる。踏み込みが変わる。


一瞬の差が、死になる。


透が足を止めた。

止めたつもりはない。

足が、固まった。


刃が来る。

横。速い。近い。


視界が白くなる。


その瞬間、透の視界に文字が浮いた。


『跳べ』


透は考えなかった。

身体が勝手に跳ねた。


刃が、足元を通る。

靴底のすぐ下で風が鳴った。

刃が岩に当たって、また嫌な音がした。


透は着地して、息を吸った。

肺が痛い。

でも、生きてる。


慧が一瞬だけ透を見る。

その目が「今のは何だ」と言っている。

透は答えられない。


豚が刃を引き抜く。

腕の筋が盛り上がる。

刃がまた上がる。


慧が言う。


「次で決める。透、足をもう一回」


透は頷いた。


慧が囮になる。

豚が慧を追う。

刃が縦に落ちる。横に走る。

慧は壁際へ誘導する。

振り切れない角度に押し込む。


刃が岩に噛んで、動きが止まる。


透が入る。


足。

今度は止まらない。

鉈を当てて、引く。

深く、とは思わない。

ただ、確実に。


豚の体勢が崩れた。


膝が落ちる。

片足が踏ん張れない。

重い体が、傾く。


慧がバールを振った。


頭じゃない。

倒しきる一撃じゃない。


押す。


豚が横に倒れた。


透が一歩踏み込む。

距離が怖い。

怖いけど、ここで止まれない。


首をめがけて、鉈を振り下ろす。


刃が深く沈んだ。


次の瞬間、豚の身体が霧みたいに薄れて消えた。

残るのは、静けさだけ。


透は息を吐いた。

吐いた息が震えている。


慧も息を吐いた。

いつもより長く。


「……終わったか」


慧が言う。


「……生きてる、ね」


透は頷いた。頷けた。

足がまだ震えているのに、立っていられる。


視界が、揺れた。


文字が浮かぶ。


【観月 透】


【Lv】3→8

【MP】45→95

【筋力】15→28

【敏捷】16→30

【魔力】15→25


数字が増える。

項目が跳ねる。

身体が軽くなる。


さっきまで肺が小さかったのに、戻る。

胸の奥に空気が入る。


慧の方でも、同じように数字が変わっていた。

慧はそれを見て、表情を変えない。

変えないまま、短く言う。


「拾うぞ」


透は頷く。


霧が消えた場所に、落ちているものがある。


いつもより少し青みがかった魔石。


小さい瓶。

ガラスというより、冷たい鉱物みたいな質感。


中に液体が入っている。

淡い赤色。

光を吸って、ゆっくり揺れる。


透はそれを拾った。

手のひらの上で、やけに重く感じる。


「……何だ、これ」


透が言う。


慧が近づいて、一瞬だけ見た。


「わからん、だが、持って帰るぞ」


透は頷いた。

捨てる気なんて、最初からない。


その時。


洞窟の奥で、また金属が擦れる音がした。


さっきとは違う。

距離が遠い。

でも、同じ種類の音だ。


慧が言った。


「移動」


「……え、まだ」


「早く動くぞ」


慧の声が速い。

でも、いつも通り、冷静だ。


透は瓶を握りしめた。

手袋越しに滑りそうで、指に力が入る。


二人は走った。

青白い苔の光が、背中に流れる。


まだ終わっていない。

一匹倒して終わりじゃない。


——帰らなきゃ。


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