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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
2章

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34/80

罠、転移

翌朝、透と慧はまた膜をくぐった。

第1層は、薄かった。


草が揺れる前に、どこかで金属が鳴る。

叩く音が散っている。

人影が、遠いのに多い。


透はリュックを持ち直した。

魔石は増えない。

時間だけが溶ける。


隣で慧がバールを肩に乗せる。

顔はいつも通りだ。

いつも通りのまま、短く言う。


「二層、行くか」


「行こう」


階段へ向かう。

混雑の中心から外れるだけで、草の踏み心地が変わる。

足元が深くなる。視界が少し切れる。


石の段が見えた。

人工物みたいなのに、馴染みすぎている。


降りる。



第2層も、人がいた。


一層より近い距離で、叩く音がする。

走る影がある。

草が揺れているのに、そこへ辿り着く前に誰かが潰している。


透は息を吐いた。


「……結局、同じだな」


慧が淡々と返す。


「みんな、考えることは同じだ」


遠くで怒鳴り声がした。


「横取りするな!」

「俺らが先に追ってた!」


透は足を止めそうになって、やめた。

行っても何も変わらない。


「三層、いってみない?」


透が言う。


慧が時間を確認する。


「覗くだけだぞ」


「うん」


二人は、人影の薄い方へ歩いた。

草が深くなる。起伏が増える。

叩く音が遠のく。


それでも、完全には静かにならない。


起伏の陰に、また石の段があった。


降りる。



第3層も、草原だった。


空がある。

風がある。

匂いも、戻ってくる。


少しだけ安心して、すぐ気づいた。

人影がいる。

一層や二層ほどじゃない。けれど、いる。


「……ここも、ゼロじゃないな」


透が言うと、慧が頷いた。


「上よりはましだ」


二人は、叩く音のしない方へ進んだ。

人の気配が遠のいていく。


透は鉈の柄を握り直した。

刃の重みが、手袋越しに伝わる。

今日の目的は偵察のはずだった。

でも、ここまで来たなら——確かめたい。


草むらが揺れた。


低い。速い。

四肢が地面を掴む音がする。


犬型。


ネズミより、距離が詰まるのが早い。

目が合った瞬間、一直線に来る。


慧が言う。


「一体。落ち着け」


慧がバールを横に構える。

叩くんじゃない。

受けて、逸らす。


犬の軌道が外れる。

その一瞬で、透が踏み込んだ。


鉈は振り回さない。

手元で止める。


透は鉈を滑らせる。

刃が、肉を割った。


慧が間合いを詰める。

バールが落ちる。骨に響くような鈍い衝撃。


魔物の身体が霧みたいに薄れて消えた。

草の上に石が落ちる。


透は息を吐いた。

ネズミより重い。

でも、やれない相手じゃない。


「……いけるな」


透が言うと、慧は短く返した。


「調子に乗るな」


「分かってる」


分かっているのに、胸の奥が少し熱い。

下に来れば、狩れる。

その手応えが、ここにはある。


透は落ちた魔石を拾いに行こうとする。


——その時だった。


透の足元で、草がわずかに沈んだ。


柔らかい土だと思った。

違う。

靴底の下に、硬いものがある。


透が反射で足を引こうとした瞬間。


足元が、白く光った。


円。

線。

草の下から、青白い筋が浮かぶ。


「……っ」


声が出ない。


「……ちっ」


慧が短く舌打ちをする。


透は動けなかった。


光が一気に強くなる。


次の瞬間——。


世界が、ひっくり返った。



草原が消えた。


風が消えた。

空が消えた。


目の前にあるのは、岩だった。


透は立っていた。

立っている。


ただ、場所だけが変わっている。


洞窟。

ちょっと広い。天井が高い。壁が遠い。

湿った冷気が肌に張りつく。

土と鉄と、古い獣の匂い。


光はない。

真っ暗でもない。


壁のあちこちに、青白い苔が張りついている。

点々とした光が、影を作る。

濃い影が、空間を余計に広く見せる。


透は息を吸おうとして、咳き込んだ。

空気が重い。

喉の奥が乾く。


「……慧!」


透が叫びかけて、止めた。


同じ空間にいる。

そういう確信が、なぜかあった。


足音がした。


慧が、数メートル先に立っていた。

透と同じように、周囲を見回している。

すぐに状況を飲み込む顔だ。


「……何だ、これ」


慧の声がいつもより早い。


透は喉を鳴らした。


「……どこだよ、ここ」


慧は首を振る。


「分からない」


その言葉の意味は、透にも分かった。

戻り方がわからない。

草の匂いがない。


透の視界に、文字が浮かんだ。


『静かに』


一回だけ。

短い。

命令みたいな文字。


透は息を止めた。


慧が透の顔を見て、すぐに動きを止める。

慧には見えていない。

でも、透の反応で察する。


洞窟の奥で、何かが擦れる音がした。


金属。

石に当たる音。

重く、乾いた音。


次に、足音。


二本足。

ゆっくり。

けれど、確実に近づいてくる。


青白い苔の光の中に、影が滲んだ。


大きい。

肩が広い。

首が太い。


顔が見えた。


豚だ。


人の背丈より高い。

二足で立っている。

腹が厚く、胸が前に出ている。

鼻先が湿って光り、呼吸のたびに小さく動く。


そして——手。


太い腕の先に、刃物を持っていた。


中華包丁みたいな形。

四角く、幅がある。

刃の面が苔の光を拾って、鈍く光る。


刃こぼれがある。

欠けたところが黒く汚れている。

何かを切った跡の色。


柄は短い。

握りが太い。

力任せに振るための武器。


豚が一歩踏み出す。

石が鳴る。

腹の肉が揺れる。


刃が、空気を切って微かに鳴った。


透は鉈の袋に指をかけた。

指先が冷たい。

震えが止まらない。止めようとすると余計に震えてくる。


慧がバールを構える。

迷いがない。


豚がこちらを見た。


目が小さい。

でも、視線が刺さる。


透の視界に、最後の文字が浮かんだ。


『倒せ』


透は息を呑んだ。


慧が、低く言う。


「来るぞ」


青白い洞窟の光の中で、刃が上がった。


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