新しい武器、混雑
打撲は、二日でほとんど消えた。
最初の夜は、階段を降りるだけで痛かった。
次の日も、歩くとまだ鈍い違和感が残っていた。
なのに三日目には、もう走れた。
透はそれが妙に気持ち悪かった。
治ったなら喜べばいい。
でも、あの衝撃の後で、こんなに早く戻るのは変だ。
——ステータスのせいか。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。
強くなる、ってこういうことなのかもしれない。
「……今日も行くの?」
朝。
母は食器を拭きながら言った。声は淡々としている。
目は透の足元を一度だけ見る。
透は見なかったふりをした。
母も言わなかった。
「行くよ」
「どれくらい」
「短め。二時間くらい」
母は頷く。
「いってらっしゃい」
それだけ。
いつもならもう一言、あるはずなのに。
その沈黙が、透の背中に残った。
廊下の奥から澪が顔を出す。
「今日はいくら?」
「知らない」
「前より増える?」
透は少しだけ迷って、正直に言った。
「……増やしたい」
澪は満足そうに頷いた。
「じゃあ、早く強くなって」
透は苦笑いして、玄関で布袋を肩に掛けた。
中身は金属バット。予備。
もう一本、別の袋も用意した。今日、そこに入る予定のもの。
—
慧とはメッセージアプリで連絡を取っていた。
『今から出る』
『了解。ホムセン寄る』
『合流10分後』
『了解』
合流場所は仮支部の手前の交差点。
そこまでの道も、人が増えていた。
まだ街は戻っていない。
店は閉まっているところが多い。
でも、人の動きは戻ってきた。
歩いているのは、避難所帰りの人だけじゃない。
布袋を肩に掛けた人がいる。
手袋だけ妙に新しい人がいる。
スポーツウェアのままの若者もいる。
“ダンジョンに入る”が、普通になり始めていた。
仮支部の近くで、澪くらいの年の子がスマホを構えていた。
入口の膜を背に、ピースしてる。
透は視線を逸らした。
危ない、とは違う。
空気が軽すぎる。
狩場が混む。
効率が落ちる。
「俺が先に見つけた」「横取りだ」
争いになる。
透はそれが嫌だった。
でも、どうしようもない。
——上が混むなら、下に行くしかない。
慧が来た。
両手は空に見える。
でも肩の布袋が不自然に重そうだ。
「買うもの決めた?」
透が言うと、慧は頷く。
「バール」
「……バール?」
「ホムセンで買える。壊れない」
慧らしい。
派手さはない。
透は頷いた。
「俺は鉈にする」
慧が一拍置いて言う。
「刃は扱いに気をつけろよ」
「分かってる」
二人はホームセンターに寄った。
店は開いていた。
人が多い。いつもより明らかに。
工具売り場に、若い男が二人。
手斧を手に取って「これヤバくね?」と笑っている。
透は見ないふりをして、鉈を探した。
“園芸用品”。
そう書かれた棚に、鉈が並んでいる。
手に取ると結構重い。
透は一本を選んだ。
刃が真っすぐで、柄がしっかりしている。
ついでに厚手の手袋と、滑り止めのテープも買う。
全部で4000円強。
慧はバールを買った。80cmぐらいはありそうな、長いバール。
黒くて、無愛想で、確実に硬そうな一本。
レジ袋は使わず、布袋に入れる。
外から分からないように。
二人とも、バットは予備として持ってきている。
仮支部へ向かう。
テントの前は、昨日までより明らかに人がいる。
列まではできていないが、入口付近が埋まっている。
「だいぶ増えたな」
透が言う。
慧が淡々と返す。
「情報が回ったんだ」
「早いな」
「早い方が国は助かるんだろ」
慧の言い方は冷静だ。
透はその冷静さが少し羨ましい。
二人は受付でカードを見せて通る。
職員は相変わらず顔を上げない。
何も言わない。
テントを出て、数十秒。膜が揺れている。
入口の周りにも人がいる。
迷いながら覗き込んでいる人。
慣れた顔で入っていく人。
スマホを構えてる人。
透は、嫌なものを飲み込むみたいに息を吐いた。
「行こう」
慧が頷く。
「ああ」
二人は膜をくぐった。
草原の匂い。
風の向き。
空の色。
ここは相変わらず時間が動かない。
ただ、今日は違った。
遠くに、人影がある。
昨日まではほとんど見なかった距離に、何人もいる。
狩場が散っている。
「……薄いな」
透が言った。
慧が言う。
「取り合いになるな」
透は頷いた。
危険なのは魔物じゃない。
人間が焦り出すことだ。
最初のネズミが来た。
二体。低い突進。
慧がバールを振る。
叩く、というより押し返す。
一体目が弾けるように転がり、二体目が倒れる。
透は鉈を抜いた。
刃が光る。
自分の手が少し震えるのが分かる。
「足元、来る」
慧が短く言う。
透は一体を止めて、鉈の刃で叩いた。
魔物が霧みたいに薄れて消える。
草の上に石が落ちる。
透は拾って、リュックに入れる。
魔石。ひとつ。
「……明らかに、楽だね」
透が言う。
慧が淡々と返す。
「バットよりいいな」
確かに違う。
バールは重いのに、腕がぶれない。
鉈は短いのに、手元が強い。
二人の処理速度が上がる。
でも、すぐに途切れた。
ネズミがいない。
草は揺れない。
遠くで別の誰かが叩いている音だけが聞こえる。
透は舌打ちしそうになって、止めた。
「……前回は、もう少し来たのに」
慧が言う。
「人が増えた。上の方は薄くなってるな」
透は草原の奥を見る。
ここで無理に探して歩けば、他人の狩りを横切る。
横切れば揉める。
「効率、落ちるな」
透が言う。
慧はバールを肩に乗せて言った。
「だから下に行くやつが得をする」
透は黙った。
分かっている。
でも、まだ怖い。
鉈を握り直す。
手袋越しに柄が硬い。
それが少しだけ安心だった。
「今日は、試し」
透が言った。
「武器の試し?」
「うん。……混む前提で、動き方も」
慧が頷いた。
「無理に追わない。揉めない。欲張らない」
二人はそのまま数匹だけ狩って、戻った。
魔石は少ない。
でも、手応えはある。
入口へ戻る途中、草原の奥から怒鳴り声が聞こえた。
「それ俺のだろ!」
「先に触ったのこっちだ!」
透は足を止めた。
慧が言う。
「行くなよ」
透は頷いた。
「行かない」
揉め事は、もう始まっている。
命の危険じゃない。
でも、積み重なると厄介になる。
膜をくぐる。
仮支部で魔石を出す。職員が数える。
封筒が渡される。いつも通りの流れだ。
金額は小さい。
でも、今日の目的は違う。
外に出ると、入口の前の人はさらに増えていた。
カメラを回す声。笑い声。
布袋を肩に掛けた背中。
透は思った。
——一層は、もう狩場じゃなくなる。
慧が言った。
「次までに、決めるぞ」
「何を」
「どこまで行くか」
透は布袋の中の鉈を確かめた。
重い。
「……下だな」
慧が頷く。
「下だ」
二人は歩き出した。
混雑を背にして。次の段階へ行くために。




