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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
2章

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30/80

同意書、約束

帰り道、紙束が手から離れなかった。


同意書。支部一覧。注意事項。

薄い紙ばかりなのに、指が痛い。


もうそろそろ冬になる。日が短くなっていく。

空気が冷えて、空が低い。


玄関の前で透は一度だけ立ち止まった。

中からテレビの音が聞こえる。ニュースだ。


鍵を開ける。


「ただいま」


すぐ返ってきた。


「おかえり。遅かったね」


母の声。

廊下の奥から澪が顔を出す。


「おかえりー」


透が靴を揃えていると、澪が続けた。


「どこ行ってたの?」


母も同じ顔で透を見る。

遅かった、その中身を聞きたい。


透は紙束を持ったままリビングへ入った。

テーブルの上に置く。置いた瞬間、視線がそこへ吸い寄せられる。


「説明会」


「なんの?」


澪が身を乗り出す。


透は短く言った。


「探索者の」


母の手が止まった。

澪の目が一気に丸くなる。


「え、行ったの?」


母が小さく言う。


「……行くって言ってた?」


「言ってなかった」


透は正直に言った。

言えば止められるのが分かっていた。


母は紙束の上から一枚抜いた。

“同意書”の文字で止まる。


「保護者の同意……ね」


「15〜18歳は必要」


「透、いま何歳」


「17」


澪がすぐ言った。


「私も行きたい!」


透は即答した。


「だめ」


「なんで!」


「年齢。澪はまだ」


澪が不満そうに顔をしかめる。


「ずるい。私もあのとき——」


澪は言いかけて、口を閉じた。

あのとき。膜の前。走った道。体育館。避難。

澪も全部見ている。


母が澪に言う。


「澪はだめ。危ないし、年齢も違う」


「……わかってる」


「お父さんにも聞いてもらおう」



澪は唇を尖らせて、席についた。

視線だけは紙束から離れない。


その時、奥の部屋から椅子を引く音がした。

父がリビングに出てくる。スウェット姿だ。

ぎこちない歩き方。透の視線が落ちる。


「何だ、その紙」


母が言う。


「透が探索者の説明会に行ってきた」


父が透を見る。

怒鳴らない。


「……どこで」


「体育館。政府の」


父はテーブルに座り、紙を一枚取って読む。速い。

母と澪は黙って見ている。


透は言った。


「ダンジョンのやつ。魔物のやつ」


父が紙を置く。


「行く気か」


「行く」


「危険だ」


「わかってる」


透は否定しない。


母が言う。


「どうして言ってくれなかったの」


透は少しだけ目を落とした。


「止められると思った」


「止めるよ」


母の声が少し震える。


透は言った。


「止められても、結局誰かが行く」

「それで、また災害が起きたら、何もできない」


父が言う。


「災害は、国が対応する」


透は首を振る。


「この間、対応しきれてなかった」

「だから制度作ったんでしょ」


父は黙った。

テレビのニュース音だけが続く。


澪が小さく言う。


「……また逃げるの?」


透は澪を見た。

その言葉が刺さる。


「逃げたくない」


透は言った。


「次に起きたとき、何もできないのが嫌だ」

「この間は、走って、閉じ込められて、祈るしかなかった」

「それは、もう嫌だ」


母が言う。


「あなたが全部背負う必要ないじゃない」


透は首を振る。


「背負うんじゃない」

「……自分が弱いままなのが、何もできないのが…」


言葉にすると少しだけ呼吸が楽になる。

透は続けた。


「それに、金にもなる」

「買い取りだけだけど、回収物を売れる」

「最初は小遣い程度。でも、続けば生活の足しにもなるって」


母が透を見る。

責める目じゃない。


「お金が目的なの?」


「目的じゃない」

「でも、必要になる。装備もいるし」


父が腕を組む。


「学校はどうする」


「行く」


「本当に行けるのか」


「行く。欠席はしない」


父が言う。


「一人で行くのか?」


透が言う。


「一人では行かない。慧と行く」


父が少し考えてから言う。


「慧の親は?」


「同意書あるから、たぶん取る」


父は紙を指で叩いた。


「条件を決める」


透の心臓が一回強く打つ。

交渉の段階に入った。


父が言う。


「第一。学校優先。欠席が増えたら即中止」

「第二。週の回数を決める。毎日はだめ」

「第三。行き先と時間を毎回共有」

「第四。怪我をしたら治るまでは潜らない」

「第五。金の動きは全部記録」

「最後。絶対に生きて帰ってこい」


母が言う。


「危ないと思ったら引いて。絶対に」


透は頷いた。


「守る」


澪が口を挟む。


「じゃあ私も、帰ってきたら話聞かせて」


母が澪を見る。


「澪はまず宿題」


「わかってる!」


澪は言い返したが、少しだけ嬉しそうだった。

“帰ってくる前提”の話。


父が同意書を見る。


「書く」


ペンが走る。

父の字は迷いがない。

母も署名する。手が少しだけ震えていた。


同意書が完成した。

たった一枚。

でも、これがないと登録できない。


透は紙を受け取って、丁寧に折った。

折り目を揃える。破れたら終わりだ。



晩ご飯は、いつも通りだった。


味噌汁。白米。焼き魚。

テレビは相変わらずニュース。

「探索者制度」「支部」「買い取り」

今日聞いた単語が、画面の下を流れていく。


父が言う。


「支部はどこに行く」


透は支部一覧を広げた。


「ここ。前に封鎖線があった場所」


母が眉を寄せる。


「登録だけ」


透は言った。


父が言う。


「登録だけで済むか?」


透は返せなかった。

済まない。でも、今は言わない。


澪が言う。


「私、年齢足りないけど」

「行けるようになったら、連れてって」


澪が少しだけ胸を張る。


母は言う。


「それはまた、澪が行ける年齢になってから話しましょう。」


透は箸を置き、息を吐いた。

腹は満ちるのに、心は落ち着かない。



夜。部屋。


机の上に同意書を置く。

スマホを開く。慧に送る。


『同意取れた。条件付き。』

『了解。こっちも取れた。』

『明日、支部。』

『場所送る。』

『頼む。』


画面を閉じる。


布団に入っても眠れない。

目を閉じると草原が出てくる。

膜の揺れ。逃げる人。追う影。

そして、倒した瞬間に見えた数字。


次に災害が起きた時。

その時に、また何もできないのが嫌だ。


透は天井を見た。

いつも通りの白。

なのに、落ち着かない。


息を整える。

条件は守る。学校も行く。

その上で、強くなる。


透はそう決めて、ようやく瞼を重くした。


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