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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
1章

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28/80

閑話。日本政府

最初に流れてきたのは、海外のSNSの映像。


縦長の動画。風の音。

カメラの揺れ方が素人で、画面の端に指が入っている。作り物にしては雑すぎる。


階段の奥に、膜が立っている。


透明ではない。黒でもない。

水面みたいに、揺れている。

角度を変えるたび、向こう側の景色が少しだけ歪む。


その向こうに草原が見えた。

草が揺れている。空が高い。雲の流れが、こちらと違う。


コメントは軽い。


「合成」

「映画の宣伝」

「フェイクニュース」


似た動画が増えていく。

場所が違う。言語が違う。季節が違う。

それでも、同じように膜は揺れた。


連絡室の回線が鳴ったのは、その日の夜だ。


「国内でも確認。場所は——」


地図に丸が打たれる。

住宅街の外れ。畑の脇。人通りが少ない。

こういう場所から始まるのは、火事でも感染症でも同じだった。


官邸地下、臨時の連絡室。

官房の職員は、映像の前で言葉を選ばなかった。


「まず、近づかせるな。規制は最小でいい。数メートル。触らせない」


まだ分からない。

分からない段階でやり過ぎると、現場が枯渇する。


現場の映像が来た。


夜のライトに照らされた膜は、なおさら水面に見えた。

こちら側の光が、向こう側でわずかに歪む。

草原は確かにある。匂いまで届きそうだ。


警察官が棒の先で縁に触れた。

棒の先が、すっと向こうへ吸い込まれる。

破れる感じはない。濡れる感じもない。

ただ、境界を越えた。


「引きます」


棒を戻す。

先端は冷えていた。水に濡れたわけではない。

それでも、肌が冷たさを理解する。


「……中があるな」


誰かが言った。

誰も否定しなかった。


その時点で方針は決まる。

“膜が面白い”だけで近づく人間は必ず出る。

そして、最初の犠牲はいつだって、彼らだ。


——調査班を入れる。


翌朝、各地の警察・消防・自衛隊に同じ指示が飛んだ。

“膜状構造物”を見つけたら、最小規制で距離を取り、現場映像を確保し、調査隊を待て。


誰かが、調査はいつ行うのかと聞いた。

答えは単純だった。


「今すぐ」


未知の現象は、時間が経つほど“面白がった一般人”が近づく。

止める側の理屈は単純だった。——犠牲を出さない。


官邸の臨時連絡室は、そのまま対策本部になった。

役所は名札を付け替えれば体制になる。

現実は名札では変わらない。


——


最初に中へ入ったのは、自衛隊の偵察班だった。

“調査”の名目がついている。


入口の前で、隊員が確認事項を読み上げる。


「映像記録、開始」

「ロープ、固定」

「退避線、確保」

「外部班、監視」


無線が通じるうちは、いつも通りだった。

問題は、中へ入った瞬間に起きた。


「……通信、途絶」


声が落ちる。

こちらの世界にいる外部班の無線には、砂嵐が残るだけになった。


「中は——」


返事がない。


本部の机の上に、無線の沈黙が落ちた。

通信が切れる現象は、現場の不安を増幅させる。


「外部班。ロープの張力と、動きだけ記録。時刻を打て」


指示が飛ぶ。

ロープが動く。止まる。動く。

それだけで、本部は“中の進行”を把握する。


数分後、ロープが強く引かれた。


入口から隊員が出てきた。

泥の匂い。草の欠片。

向こう側の風を、少しだけ連れてきたように見える。


「……接触。生体反応あり」


偵察班の隊長が、短く言った。


「生き物?」


「……ネズミに近い。だが……違う」


言葉が曖昧なのは、観察が未完だからだ。

本部は曖昧さを許容しない。


「サイズ」

「数」

「攻撃性」

「動き」

「銃の有効性」


質問が飛ぶ。隊長は淡々と答える。

日ごろの訓練は、現象が異常でも裏切らない。


その日のうちに、複数地点の調査が始まった。

“入口は国内に複数存在する”。

それだけが確定事項だった。



そして、二日目。


最初の“討伐”が発生する。


調査班がネズミ型の生物に襲われ、撃つ。

銃は効いた。倒れる。


倒れた瞬間——隊員の一人が、短く言った。


「……何だ、これ」


「何が」


「文字。数字。目の前に」


彼らは、その一言で騒がない。

すぐに確認に入る。


「同時に見えている者、挙手」

「見えていない者は、同じ対象を見て確認」

「項目を読み上げろ。可能なら書き取れ」


映像には残らない。

隊員のヘルメットカメラにも、ドローンにも、スマホにも映らない。

だが、報告書には残る。


『視界上に情報表示(数値・項目)』

『討伐直後に発現』

『複数名で確認』

『表示内容に個人差(言語・順序)あり。ただし共通項目を含む』


“集団ヒステリー”ではない。

再現性があり、複数地点で同様に発生する。

国はそれを“現象”として処理する。


命名はまだしない。

名前を付けて理解した気になるのは、危険だ。


だから本部は、現象を内部用語で呼ぶだけにした。


『視界情報表示事案』


長い。味気ない。

だが、こういうのは、たいてい味気ない。



もうひとつ、同じくらい味気ない報告が追加された。


「……落ちてます」


現場の隊員が、倒れた個体のそばを指した。

そこに、石みたいな塊があった。

石“みたい”で、石じゃない。


拾い上げた瞬間、誰かが手袋越しに眉を動かした。


「……軽い?」


それは“危険物”の匂いではなかった。


本部は、すぐにそれを“回収物”として扱う。

袋詰め。ラベル。時刻。場所。討伐者。

そして——外に漏らさない。


外は混乱している。混乱の中で“価値のある事実”を流せば、犠牲が出る。


民間が知っているのは、せいぜい“揺れる膜”までだ。

面白がって近づく一般人がいる。

それを止めることが、まず第一の仕事だった。



調査は続く。

入口の向こうは、草原だけでは終わらなかった。


歩ける。

戻れる。

人は自由に出入りできる。


それは朗報にも見える。

だが朗報は、油断の入口でもある。


本部は忙しさを、段階で制御するしかない。


入口を“見つけ次第封鎖”では足りない。

だから本部は、自治体と警察に通達を出す。


“入口を見つけたら、距離を取り、映像を取り、一般人を止めろ。

止めるために必要なら、道路を切れ。

緊急車両の通行は絶対に止めるな。”


被害を抑える。

その一点だけが最優先だった。


内部調査は、そのための手段だ。


“危険度が分かれば、撤退線を決められる”

“通信用の工夫(有線・ロープ・中継)を積めば、事故りにくくなる”


国があるのは、こういう時のためだ。

好奇心で動くのではない、命のために。



二日目の夜から、班の動きが変わった。

最初は全員が慎重だったのに、三回目の帰投あたりから、明らかな違いが出る。


「……行けます」

そう言ったのは、最初に倒した隊員ではなかった。

息が上がっていない。声もぶれていない。


班長は頷き、確認をした。


「同じ距離でやれ。次は撃つな。制圧しろ」


ネズミ型が飛びかかる。

隊員は一歩だけ半身をずらして、銃床で弾き、首根っこを踏んだ。

明らかに早くなっている。


「今の、前は無理だったな」

隣の隊員が言う。


「……視界の数字が、最初より上がってる」


誰も騒がない。

現象が現実に追いついた瞬間、人は静かになる。


班長が短く言った。


「記録する。討伐回数、手段、距離。——変化の条件を洗い出せ」


その日から、調査は“中を知る”だけじゃなくなった。

——こちら側の人間が、向こう側に適応していく過程の記録になった。


——


三日目、四日目。


報告に、変化が混じり始める。


ネズミだけではない。

別の地点で、耳の長い個体。跳躍が強い。

ウサギに似ている。似ているが、ウサギではない。


さらに別地点で、犬に似たもの。

さらに別地点で、鱗のあるもの。


“層”という言葉が、現場の間で自然に使われ始める。

入口の向こうは一本の草原ではなく、段階を持った空間。

浅い場所と深い場所で、出てくるものが違う。


そして、五日目。

人型に似たものが確認される。


直立し、道具を持ち、群れで動く。

目が合う。

躊躇せず距離を詰めてくる。


負傷者が増える。

搬送が増える。


ここまで来ても、本部は“原因”を掴んでいない。

掴めないままでも、やることは変わらない。


——死なせない。


——


処理できなくなったのは、現場だった。


昼過ぎ、地方の交番から一本の映像が上がってきた。

入口の前に規制線がない。人影もない。

ただ、畑の脇に揺れる膜があって——その“こちら側”で何かが動いている。


ネズミに似たものが、膜を越えていた。

いや、“越えた”というより——出てきてしまっていた。


一匹ではない。

続く。続く。

画面の外へ散っていく。


「……溢れてる」


誰かが言った。

その言葉に、会議室は反応しない。反応する暇がない。


同じ報告が、続けて上がる。

次は県境の道路。次は河川敷。次は住宅街の裏。

そして、都心部にも。


人口が多い。

救急が詰まる。

一度詰まれば、怪我で死ぬ。


本部が切り替えたのは“原因追及”ではない。

優先順位だ。


「都心を守れ。救急導線を守れ。交通を止めるな」

「警察は外周。自衛隊は要所展開。消防は搬送路を固定」

「溢れた分を、殺し切る。——まず止血だ」


なぜこうなったかは分からない。

分からないままでも、止めなければならない。


銃は効く。

それが唯一の救いだった。


警察は、まず外周で止める。

自衛隊は、必要な地点に展開し、外へ出た個体を潰す。

消防は救助と搬送路の確保に張り付く。

医療は“入口周辺”という新しい前線に人員を割く。


そして気づけば、現場の一部は強くなっていた。

それでも、追いつかない。


出てくる。散る。追う。止める。——その間にも、別の地点でまた出る。

現場が一段強くなったところで、相手は数で上書きしてくる。


追いつく場所と、追いつかない場所が分かれ始める。

入口の近くで止められる地点。

住宅街に散ってから、やっと止まる地点。

そして、止められない地点。


隊員たちは、数字の変化を“希望”として見る余裕がない。

大事なのは、次の一匹に間に合うかどうかだ。


本部が見ていたのも、勝敗ではなかった。

“どこは守れて、どこは守れないか”。

その線引きが、地図の上で濃くなっていく。


指示は、綺麗にはならない。

「ここを捨てる」ではなく、「ここを後回しにする」

「全員を救う」ではなく、「救急導線を先に守る」


そうやって、氾濫の波が引くまで耐える。

強くなった分だけ、耐えられる場所が増える。

ただ、それだけだった。



そして、氾濫は——止まった。


正確には、“出てきた分”を倒し切ると、いったん収束した。

後続が延々と湧いてくるわけではない。

今回、出た分を処理し終えると、街は呼吸を取り戻す。


救急のサイレンが減る。

避難所の怒鳴り声が落ち着く。

道路の検問が縮む。


止まったからといって、安心はない。

止まった瞬間に、次の仕事が生まれる。


——次を起こさない。


本部は“事後の地図”を作る。

どこで溢れたか。どこで被害が大きかったか。

どこで封鎖が間に合ったか。どこで遅れたか。


地図は残酷に正直だった。


人が入って、内側で倒されていた地点ほど、外の被害が小さい。

逆に、見つからず、誰も入らなかった地点ほど、外で人が死んだ。


原因はまだ分からない。

だが“傾向”だけは、現場の血で書かれている。


「つまり……放置すると溢れる」


誰かが言う。


「溢れを止めるには、排除するしかない。外で対応すると、間に合わない」


別の誰かが言う。


本部の責任者は、しばらく黙っていた。

黙るのは迷いではない。

結論が、重すぎるだけ。


公の人員だけでは足りない。

自衛隊を増やすには限界がある。

警察も消防も医療も、無限ではない。


それでも入口は全国にある。


「……制度が要るな」


誰かが言った。

その言葉は、会議室に落ちてからゆっくり形を持った。


“中へ入る人間”を、増やす制度。

勝手に入って死なれるのではなく、入って戻ってこさせる制度。

武器と補給と救護と規律を、最低限渡す制度。


国家が有能でいるためには、民間を排除するだけでは足りない。

民間を“使える形”にするしかない。


本部は次の仕事を決めた。


——探索者。


スクリーンの中で、膜が揺れている。

向こう側の草原が、こちらを誘うように風を揺らす。


誘いに勝つ必要はない。

負けない線を引き続ける。


——次の氾濫を起こさないために。


そして、その内側に、これから“潜る人間”が増えていく。

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