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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
1章

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14/80

生き残るために、希望

夜が少しだけ薄くなった頃、玄関の向こうから人の足音がした。

一定の間隔。複数。走ってはいない、が、急いでいる。


慧が玄関へ寄る。透も息を止めた。


外の犬の呼吸が、一瞬だけ止まり、すぐに乱れた。


――ぜっ、ぜ。


次の瞬間、鼻を殴る匂いが扉の隙間から入り込んできた。

腐った肉と薬品を混ぜたみたいな、喉の奥が反射で拒否する匂い。

透は鼻を押さえたくなって、拳を握りしめた。動けば音が出る。


玄関の外で、低い声がした。


「……中にいる人、聞こえるか。大丈夫。開けなくていい」


命令じゃない。――それが逆に怖いくらい、ちゃんと人の声だった。

慧が扉に顔を近づけ、息だけで返す。


「います」


外の声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「よかった。怪我は? 家族は?」


「全員無事です」


「OK。よくやった。……そのまま静かにしててくれ」


外で、犬が低く唸った。


――グルル。


けれど飛びかかっていない。

呼吸が乱れて、踏み込む足が止まる気配だけがある。


その直後、一体だけ影が堪えきれないみたいに跳ねた。

低い影が、足元へ一直線。


「来る!」


声より先に金属が鳴った。

警官が短い棒で、叩くというより押し潰すみたいに犬を制圧する。

鈍い音が二度。影が地面に落ち、動きが止まる。


銃声はしない。

撃たないんじゃない。撃てないんだろう。音はやつらを呼ぶ。


慧が扉越しに、抑えた声で聞いた。


「……今、犬が嫌がっていた?あなた方のせいですか。この匂い……何を撒いたんです」


外で一拍、迷う沈黙。

言うべきかどうか。

でも、言わないとこの家は持たない。


「……上のほうのやつが落とす、液体だ」


声が少しだけ苦くなる。


「人型のやつ。臭いだろ。人間にとっても最悪だ。けど、こいつらはこれを嫌がるらしい」


透は息を止めたまま、喉の奥で“人型”という言葉を反芻した。


慧が続ける。


「それがあるなら……くれませんか」


外の声はすぐには返ってこなかった。

その沈黙は、申し訳なさじゃなく、現実の重さだった。


「……数がない」


短く言い切る。言い切ってから、すぐに補う。


「ドロップは出る。けど全員分には回らない。俺らも撒きながら歩いてる。撒かないと噛まれる。撒くと足りなくなる」


透は歯を食いしばった。

あるのに、もらえない。

その理屈が、むしろ分かってしまうのが腹立たしい。


外の声が、少しだけ強くなる。


「まだ、救助は回り切ってない。被害が多すぎる」


透の胃が沈む。

想像していた。でも言葉にされると現実になる。


「この辺だけじゃない。街中。県内。全国で同時だ。——だから、今すぐ助けるのは無理だ」


慧が喉を鳴らす。


「国は、何を——」


「動いてる。来る。手配してる。自衛隊。……要請もかけてる」


言葉が一瞬濁る。

政治とか手続きとか、そういう“上”が絡む言い方。


それでも、外の声は逃げない。


「ただ、来るまで時間がかかる。だから、何とか耐えてほしい」


“耐えてほしい”。

申し訳なさ、を飲み込んだ頼み方だった。


「やってほしいことは一つ。無事でいてくれ。音を出すな。窓もドアも開けるな。照明もできるだけ消せ」


隣の家のことが頭をよぎって、透の胸が詰まる。


外の声が少しだけ間を置いた。


「……誰かが助けを求めても、絶対に出るな」


辛い言葉のはずだ。


「……生きててくれ」


その最後の一言が、妙に温度を持っていた。

仕事の言葉じゃなく、人間の言葉。


「朝になったら、もう一度この辺を押さえる予定だ。連絡が遅れても落ち着け。今は耐えろ」


「……はい」


慧が短く答えた。透も頷いた。扉の向こうに誰も見えないのに。


外の足音が遠ざかる。

巡回は続く。ここに留まれない。


玄関の前に残ったのは、匂いと、遠いサイレンと、犬の呼吸。


――ぜー。


透はバットを握り直して、思った。


助けが来る。

でも、助けは“間に合う”とは限らない。


それでも、生き残るしかない。

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