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京加賀の外食の流儀【前編:サイゼリアの裏技】


四月の桜とともに始まった幸子の挑戦は、初夏の眩しい日差しが照り付ける頃、一つの大きな節目を迎えていた。


「…きたっ!」


脱衣所に幸子の弾んだ声が響く。体重計の液晶に表示された体重は『80.80kg』。寝巻の重さが『0.95kg』のため、実際の体重は『79.85kg』。

ついに90kg台から始まったダイエットは、70kg台という新しい大地に足を踏み入れたのだ。10kgという重みは、1リットルの豆乳パック10本分。それだけの塊が自分の身体から消えたのだと思うと、幸子は思わずその場で軽くステップを踏んだ。


その様子を目撃したのは、背後から声をかけようとした母だった。


「あらあら幸子、本当に別人みたくなって…。お母さんなんだか羨ましくなっちゃった。私もダイエット、始めようかしら」


リビングでその言葉を聞いた父と幸子は、無言で顔を見合わせ、にんまりと笑った。以前京加賀先輩が言った『家族の協力』が、『家族の連鎖』へと進化した瞬間だった。


「うん、お母さん一緒にやろうよ。お父さんもきっと喜ぶよ」


「うーん、でもお父さんは太ってる人が好みみたいだからねえ。ちょっと申し訳ないかしらねえ」


新聞を読んでいた父が、思わず新聞を落としてしまう。幸子はそれを見て笑いが抑えきれなかった。


「じゃあ幸子、お母さん明日からダイエットを始めるわ。だから、今夜が最後でしょ? 最後にパーッと思い出作りに行かない? 焼肉食べ放題!」


「焼肉、食べ放題…」


母の悪魔的な提案に、幸子の心は激しく揺れた。この3か月間、豆乳と板海苔で乗り切ってきた自制心が、網の上で焼かれるカルビの幻影に一瞬で焼き切られていく。


「カルビが、私を待ってる…」


「じゃあ行きましょ。『焼肉王』に♪」


そうして急遽出かけた焼肉の食べ放題。

網の上で弾ける脂、甘辛いタレの誘惑。母と競うように肉を頬張り、気付けばサイドメニューの冷やしぶっかけうどんと石焼ビビンバまで完食し、デザートに黒蜜きな粉アイスを3つも食べてしまった。


翌朝、おそるおそる乗った体重計は、冷酷な現実を突きつけた。


『82.15kg』 寝巻の重さを差し引くと『81.20kg』だった


一夜にして『1.35kg』の増量。たったの一食で、昨日までの努力が水泡に帰したような絶望感が幸子を襲う。


『先輩、家族で焼肉に行って、あっという間に80kg台に逆戻りしてしまいました』


幸子は藁をも掴む思いで京加賀にLINEを送った。

ついでに昨日までは10kgの減量に成功し70kg台の大台に乗った事も書き添える。数分後、京加賀から返信が届いた。


『1.35kg増だと? 安心しろ、それは単なる水分の停滞と塩分のむくみだ。脂肪が一日で1kg近く増える事は医学的にあり得ん。ほんの3,4日で元の体重に戻るさ』


相変わらずの冷静な分析。幸子はちょっとだけ安心した。


『そうなんですか。でも、外食って難しいですね。何かアドバイスはありませんか?』


『ない事もないが、あまり気にしなくていいと思うぞ。外食はエンタメだ。たまの外食なら体重など気にせず好きな物を食べて楽しむ方が良いと思うぞ。もっとも、週に何度も外食をして、外食自体が日常生活になっていたら問題だが、たまの外食なら問題ない。』


以前はポテトチップスを食べてもいいと言ったり、もっとストイックな性格なのかと思っていたら、意外にもかなり甘い。


『そうなんですか? 先輩ってもっと厳しい人だと思ってました。』


『最重要なのは日常生活だ。そちらがしっかりと守られているなら、たまにはハメを外したっていいだろ。』


『さっき、「ない事もない」って言ってましたよね。教えてください、外食の流儀を!』


『まあ、知識として教えてやる程度なら別に構わないが』


『それじゃ、10kg減報告も兼ねて、久々に会えませんか? 直接会ってお話を聞きたいです。』


『ああ、構わないぞ。それじゃ、今度の日曜日に、この前と同じサイゼリアでいいか?』


『はい! 是非!』


そうして日程が決まったが、生憎その日は瑠奈は『友達と夏休みに向けて水着を買いに行く』という先約があり不参加となった。図らずも、初めて会ったあの場所で、京加賀と二人きりで会う事になった。


当日、幸子は待ち合わせ場所の最寄り駅の一つ手前の駅で降り、あえて一駅分歩く事にした。

3ヵ月前なら、数分歩くだけで額に汗が滲み、呼吸が乱れて動けなくなっていた。けれど今は、夏の熱気を含んだ風が心地よいとさえ感じる。歩幅が広がり、地面を蹴る足取りは以前よりずっと軽い。


途中の駅ビル、ショーウィンドウを覗くと、鮮やかな水着が飾られていた。

流行のセパレート、大胆なカッティング。今の幸子にはまだ遠い銀河の出来事のように思える。


でも来年は…。


ウィンドウに映る、少しだけ顎のラインがスッキリした自分の姿を見つめる。

来年は瑠奈と一緒に、可愛い水着を選びたい。そして願わくば…。


「先輩も一緒だったら、嬉しいな…」


ふと口をついて出た言葉に、幸子は自分で自分の頬が厚くなるのを感じた。


「バカ、何を期待してるの私…」


大きく深呼吸をして初夏の空を見上げる。

目的地はもうすぐそこだ。あのドリンクバーを飲みながら、誰よりも真剣に自分に向き合ってくれた先輩のもとへ…。


幸子はサンダルの音を響かせ、サイゼリアのドアへと手をかけた。



カランコロン、と乾いたベルの音が響く。

冷房の効いた店内に足を踏み入れると、入り口の待機スペースで、腕を組んで座っている京加賀先輩の姿がすぐ目に飛び込んで来た。


「先、輩…?」


声を掛けようとしたが何か違和感を感じた。座って、いる…?

よく見ると少し椅子の上からお尻が浮いているように見えた。


いわゆる空気椅子、だろうか?

そう言えば以前瑠奈が『唐突に筋トレを始める。階段の踊り場でスクワットをやる』というような事を言っていたような気がする。これもその一環だろうか。


呆然と京加賀を見ていると、京加賀もこちらに気付いたようで、不意に幸子と視線がぶつかった。

ハッと我に返り、幸子は慌てて駆け寄った。


「せ、先輩! すみません、お待たせしました!」


その鋭い視線が、一瞬だけ幸子の顎のラインから肩先、そして足元までをなぞるように動いた。


「待ち合わせの五分前だ。謝る必要はない」


「でも教えてもらう立場なんだから、私の方が先に着いて待っているべきでした。その、ついうっかり…」


水着に見とれてました…、とは言えずに言葉に詰まってしまう。


「…ついうっかり、なんだ? 寝坊でもしたか?」


言葉尻を逃さず、京加賀は追及してきた。


「…その、外の陽気が気持ち良くて、何となく一駅前で降りて歩いてきたんです。そのせいで、少しだけギリギリで…、待たせてしまって、すいません…」


「ほう、どうやら意識レベルで改革が進んでいるようじゃないか。良い傾向だ」


京加賀は自分が待たされた事を全く意に介さず、幸子の変化を喜んでくれた。

それだけで、歩いてきた疲れが吹き飛ぶような気がした。


席に案内されると、幸子が腰を下ろすより先に、京加賀が二人分の水とおしぼりを持って戻ってきた。


「あ、ありがとうございます。何だか、申し訳ありません…」


「気にするな。うちは家族で外食をする時、何となくいつも俺が水分係になっていてな、何だか自然と身についてしまったみたいでな」


京加賀は幸子の向かいに腰を下ろすと、メニューを取り出して指先でトントンと叩く。


「外食の基本は『素材の形状』を残しているものを選ぶ事だ。肉ならステーキ、トンテキ、チキンステーキ。素材をただ焼くだけのものは、余計なつなぎや糖質が入り込む余地が少ない」


幸子は食い入るようにメニューを見つめた。


「和食なら刺身や焼き魚定食、焼き鳥がいい。ただし、焼き鳥の『タレ』は糖質の塊だ。迷わず『塩』を選択しろ。……と言った所で、この中から今の自分の最適解を選んでみろ」


試験を出すような京加賀の眼差しに、幸子はごくりと唾を飲み込んだ。

以前の自分なら、ミラノ風ドリアやパスタやピザなどをセットで頼んでいた。けれど今の自分なら…。


「辛味チキンや若鶏のグリルとかどうでしょう?」


「よし、いいだろう。あるいはステーキやラム肉なんかもあるが、やはり値段を考えるとチキンが最もコスパがいいな」


「サラダなんかはどうでしょう?」


「良いチョイスだ。だが、サラダには一つ条件がある。ドレッシングは『無し』だ。店員に直接言えば対応してもらえる」


「ドレッシング無し? 味、しなくないですか?」


京加賀はニヤリと、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。


「以前はサイゼリアにも醤油があったから、オリーブオイルと合わせて即席ドレッシングが作れたんだが、今は置いてない。だが、今でもやりようはある」


京加賀が卓上のオリーブオイルと塩、そして黒コショウのミルを手元に寄せた。


「軽くオリーブオイルを回しがけ、全体に馴染ませる。それから塩と黒コショウで味を整える。これだけで十分だ。ちなみにドリンクバーを注文している場合は、これにレモンポーションを加える事もできる。爽やかさがさらにアップするぞ」


「でも先輩、この前外食はエンタメだって言ってましたが、普段はドレッシングとかで食べてるんですか?」


「いいや、普段からこのスタイルだ。ドレッシングに含まれる果糖ぶどう糖液のベタついた甘さに邪魔されず、野菜本来の旨味が引き立つ。我慢や代用ではない、こちらの方が普通に美味いと思うぞ」


素材の味を楽しむ。かつての幸子にはなかった『贅沢』な考え方だった。


「面白そうです。やってみたいです」


幸子の言葉に京加賀は満足気に頷いた。そうして二人は若鶏のグリルとサラダを注文した。


「さて、料理を待つ間にもう一つ、面白いネタを紹介してやろう。とりあえず、まずは水を飲み干してくれ」


「あ、はい」


京加賀に言われ、慌てて幸子はコップ一杯の水を飲み干した。


「よし、ちょっと待っていろ。お代わりを持って来てやる」


「いえ、それなら私が行きます」


「いいから、ちょっと待っておけ」


そう言うと、京加賀はグラスを二つ持って、ドリンクのお代わりに出かける。そしてすぐにグラスを満たして戻ってきた。しかし、そのグラスはシュワシュワと気泡を発している。


「あれ、何ですかそれ? 炭酸? 私たちドリンクバー頼んでませんよ?」


「大丈夫だ。この炭酸水はドリンクバーを注文せずとも飲むことができる。そして炭酸水は腹で膨れる分、満腹感を得られやすいんだ。地味ながらダイエットをするなら覚えておいて損はないだろう」


「まさか、そんな裏技があったとは」


そうこうしている内に、店員が料理を運んできた。

鉄板の上でジュウジュウと弾ける鶏肉の脂と、ガルムソースの香ばしい匂いが一気にテーブルを支配する。ドレッシングのかかっていない真っさらなサラダも、どこか凛とした佇まいで並んでいた。


「わぁ、美味しそう…」


思わずフォークを手に取った幸子だったが、ふと思い出したように手を止めた。


「あ、そうだ。先輩、まずはサラダから食べなきゃですよね?」


「ほう、ベジファーストか」


「はい。野菜を先に食べると血糖値の上昇が抑えられて太りにくいって、ネットとかでも有名ですし、これも立派な『外食の流儀』ですよね?」


得意げに答える幸子。自分もようやく知識が追い付いてきた、という小さな自信が声に混じる。しかし、京加賀はフォークを持ったまま、冷徹なまでに平坦な声で言った。


「惜しいな太田。それは半分正解で、半分は罠だ」


「えっ、罠…?」


「いいか太田、一般常識を鵜呑みにするな。常識は時代と共にアップデートする。残念ながらもう、ベジファーストの時代は終わったんだ」


そう言うと京加賀は、サラダには一切手を付けず、真っ先にナイフで鶏肉の分厚い部分を切り裂いた。



続く☆


【サイゼリヤの炭酸水は無料か?】

原則的に全店舗で同一サービスだそうで、2026年2月現在は無料のようです。ただし、将来は分からないです。また、バイトなど経験の浅い従業員が知らず、注意をされたというケースもあるそうです。


毎回確認する必要はないと思いますが、皆様がよく利用される店舗は無料で炭酸水の利用が大丈夫か、最初に確認しておくと余計なトラブルに発展せずに済むと思います。

私個人はよく利用するところは炭酸水利用OKなので、ありがたく利用させてもらっています。

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