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豆乳の飲み方の最新バージョンと京加賀先輩の名前


京加賀からトレーニング日についてレクチャーを受けていると、お盆に乗せたグラスを鳴らしながら母が戻ってきた。


「はい、お待たせ。よく冷えた豆乳を持ってきたわよ」


お盆の上に並んだそれを見て、幸子は少しだけ呆れたような顔をした。


「お母さん……豆乳って。もうちょっと何か、こう、おしゃれな飲み物とかなかったの? せっかく先輩が来てくれてるのに」


「あら、ごめんなさいね。これが一番体に良いかと思って」


だが、幸子の不満とは裏腹に、京加賀は満足そうに目を細めてニヤリと笑った。


「いや、むしろ運動後のドリンクとしては最適ですよ。トレーニング直後のタンパク質摂取は、筋肉の修復において極めて重要だ」


お盆には、成分無調整の豆乳だけでなく、バナナ味や麦芽コーヒー味といった豆乳飲料も並んでいる。


「うむ……どうやら豆乳のミックスも続けているようだな。無調整で栄養を確保しつつ、フレーバー付きで飲みやすく調整する……。味と栄養のバランスを管理する習慣がついているのは、非常に良い傾向だ」


京加賀の言葉に、幸子は少し誇らしいような、けれどやっぱり少し気恥ずかしいような、複雑な笑顔を浮かべて冷えたグラスに手を伸ばした。


「あ、私が注ぎます」


幸子はまだ少し震える手で、ずっしりと重い無調整豆乳のパックを手に取った。


「先輩は確か、無調整が1に対して、豆乳飲料が3から4の割合でしたよね?」


「いや。1対2の比率で頼む」


注ごうとした手が止まり、幸子はパチクリと瞬きをした。


「あれ? そんな比率でしたっけ。もっと甘めがお好きだったような……」


「ああ。最近、気まぐれで1対2にしてみたら、これが意外にちょうど良くてな。今の俺の中でのトレンドは1対2なんだ」


「ええっ!? だったら先に教えてくださいよ。てっきり前の比率が『正解』なんだと思ってました」


少しだけ裏切られたような気分で唇を尖らせる幸子に、京加賀は喉の奥で低く笑った。


「こんなものに、決まった正解なんてない。その日の体調や気分で、自分の好みに調整すればいいだろう。……だがそうだな、せっかくの機会だ、お前にもう一つお勧めの飲み方を指導してやろう」


「面白い飲み方……ですか?」


「ちょうどおあつらえ向きに、バナナ豆乳と麦芽コーヒー豆乳があるからな」


京加賀は幸子に空のグラスを差し出した。


「まずこれに、無調整を1、バナナ豆乳を2の比率で、グラスの七分目くらいまで注いでみてくれ」


「はい、わかりました」


言われるがまま、幸子は慎重に液体を注ぎ入れる。無調整の濃厚な白と、バナナ豆乳の淡い白が混ざり合い、甘い香りがふわりと立ち上がった。


そこに、京加賀が麦芽コーヒー豆乳のパックを手に取り、仕上げとばかりにトクトクと注ぎ足す。


「バナナ無調整豆乳に、コーヒーの風味をプラスする。名付けて『バナナコーヒー豆乳』だ。こいつはあくまで風味付けが目的だからな。コーヒー豆乳がなければ、本物のブラックコーヒーを少し混ぜても構わないぞ」


差し出されたグラスを受け取り、幸子は一口含んでみた。


まろやかなバナナの甘みが広がった直後、コーヒーの香ばしさと微かな苦味が追いかけてくる。


「あ……美味しい! 甘いバナナ味に、ほろ苦いコーヒーが加わって、ほんのり深みが増した味になりますね」


「そうか。ダイエット中の食事制限はどうしても単調になりがちだ。味に飽きが来た時、こうやって少しの工夫で『味変』を覚えると、無理なく続けていけるぞ」


「はい!」


先ほどまでの地獄のような疲労が、冷たくて甘い一杯で少しずつ癒されていく。

母が豆乳を持ってきたときは拍子抜けしてしまったが、今思うと、最高のチョイスだったように思えてきた。


幸子は、自分の身体を管理することの「厳しさ」と、それと同じくらい大切な「楽しさ」を、京加賀から教わっているような気がしていた。




「……あ、そういえば京加賀さん」


お盆を片付けようとした母が、思い出したように足を止めた。


「下の名前は、なんておっしゃるの? いつも『京加賀さん』って呼んでるけど、気になっちゃって」


幸子の心臓が跳ねた。これまで自分もずっと疑問に思いつつ、鉄壁のガードを誇る先輩にどうしても聞けなかったことだ。


(お母さんナイス! よくやった!)


心の中でガッツポーズをしながら、幸子は固唾を飲んで先輩の反応を待った。

京加賀は一瞬、言い淀むように視線を泳がせた。いつもの理路整然とした彼からは想像もできないほど、わずかな沈黙。


「……ケンと申します」


「あら、ケンさん。素敵なお名前ね。どのような漢字を書くのかしら?」


「いえ。そのまま、カタカナで『ケン』です」


そう答える京加賀の表情には、どこか落ち着かない影があった。幸子は、確固たる証拠こそないものの、直感的にそれを察知した。


(……もしかして、嘘? 先輩、そこまでして隠したい名前なのかな……)


いつもの揺るぎない彼ではない、脆(もろ)い一瞬を見た気がした。

外はいつの間にか、燃えるような夕焼けが闇に溶け始めていた。


「では、そろそろおいとまするよ」


玄関先で丁寧な挨拶を交わし、京加賀が外へ出る。幸子はたまらず、その後を追って外へ飛び出した。


「待ってください、京加賀先輩!」


「ん、どうした?」


「その、駅まで送りますよ。まだ息も整ってないでしょうし」


「その必要はない。駅まで行けばそれだけ外も暗くなる。女性の夜道の一人歩きは危険だ」


「じゃあ、中間地点まで。実は、先輩にちょっと聞きたいことがありまして」


「……そうか。まあ、それくらいなら」


並んで歩き出すと、街灯が一つ、また一つと灯り始める。


「で、聞きたいこととは何だ?」


「……これは、ただの直感なんですが」


幸子は、アスファルトを叩く自分の足音に勇気をもらいながら口を開いた。


「先輩、さっきお母さんに偽名を使いませんでしたか?」


その瞬間、隣を歩く京加賀の肩がビクつき、足がピタリと止まった。


「…………なぜ、そう感じた」


「いえ、本当に何となく違和感があっただけなんです。強いて言うなら、いつもの自信に満ちた声が少し弱々しく聞こえたというか……視線が不安定だったというか。上手く言えないんですけど」


京加賀は立ち止まったまま、感心したように幸子を見つめた。


「……そうか。そう見えていたか。なかなか勘が鋭いな、太田」


「じゃあ、やっぱり」


「ああ、本名ではない」


観念したように息を吐くと、彼は再び歩き出した。


「強いて言うなら、『字(あざな)』と言ったところだな」


「アザナ……? 何ですか、それ」


「ニックネームのようなものだ。……お前、三国志は知っているか?」


「いえ、あまり詳しくは……」


「それでは、三国志で最も有名な軍師といえば誰だか分かるか?」


あまり詳しくない幸子でも、その名前だけはおぼろ気に知っていた。


「えっと、諸葛孔明……ですか?」


「正解だ。では、諸葛孔明の本名は分かるか?」


「え? 諸葛孔明が本名じゃないんですか!?」


思わず叫んだ幸子に、京加賀はわずかに口角を上げた。


「本名は諸葛亮(しょかつりょう)と言う。字が『孔明(こうめい)』だ」


「どうしてそんな、別々の名前があるんですか?」


「当時の中国には、親を尊び、親からもらった名前を神聖視する文化があった。だから、本名を誰彼構わず軽々しく呼ぶのは失礼にあたるとされていたんだ。その代わりに、他人が呼んでもいい名前を別に名乗った。それが字だ」


「じゃあ、先輩も、親からもらった名前を大事にしているから『ケン』って名乗ってるんですか?」


京加賀は少し考え、夜の闇を見つめて言った。


「いいや、俺の場合は逆だ。……本名があまり好きじゃないんだよ。だから俺は、将来は『ケン』という名で通そうと考えている」


「……あの、失礼なことをお聞きしますが。そんなに変な名前なんですか?」


「まあ、お前とも知り合ってもう随分経つしな。今さら隠し通すのも変な話か」




京加賀は自嘲気味に微笑むと、意を決したように声を落とした。夕闇の中、京加賀は静かに、けれど吐き捨てるように自分の名を口にした。


「俺の名前は『久志也』だ」


「クシヤ……先輩……」


幸子は思わず拍子抜けした声を漏らした。てっきりもっと風変わりな漢字が並んでいたり、あるいは信じられないような奇抜な読み方をする名前を想像していたからだ。


「ちなみに、久しいに、志(こころざし)に、也(なり)という字を書く」


「とっても素敵じゃないですか。古風で、強そうな響きで」


京加賀は少しだけ呆れたような顔をして、苦笑する。


「そうか。お前にはそう聞こえるのか……」


「……というのも、少し前にルナちゃんから『先輩が自分の名前にコンプレックスを持っている』と聞いていて。名前までは教えてもらえませんでしたけど、もっとこう……奇抜な名前なのかと考えていました」


「全く、細井が余計なことを……。まあ、名前単体ならどうという事もない。だが、フルネームになると最悪なんだ」


「フルネーム……?」


幸子は頭の中で、先輩の名字と名前を繋げてみる。


『京加賀……久志也』


京加賀久志也。


キョウカガクシヤ……。



(……キョウカガクシヤ……? 狂科学者……!?)


「あ……」


幸子の表情が、一瞬で驚愕に染まる。先輩がなぜ、あんなにも「名前」に対して頑なだったのか、全ての合点がいった。

京加賀は幸子の反応を見て、深く溜め息をついた。


「気付いたか。狂科学者、つまりはマッドサイエンティストだ」


彼は夜道を歩きながら、遠い過去を振り返るような目をした。


「おかげでガキの頃についたあだ名が『マッド』だ。どこに行っても、どんな自己紹介をしても、必ずその名で冷やかされた。理屈っぽい性格も相まってな……。いつしか、自分の名前を名乗ること自体が、からかいの対象になるようで嫌気が差したんだ」


京加賀は少し寂しげに、けれどどこか吹っ切れたような笑みを浮かべる。

名前の響き一つで人生が左右される――。完璧主義者の先輩が抱えていた、あまりにも人間臭い、そして切ない「秘密」に、幸子の胸はぎゅっと締め付けられた。


「だから俺は、大学を卒業したらアメリカへ行こうと考えている」


「えっ、アメリカ……? どうしてですか?」


街灯が作り出すオレンジ色の影の中、京加賀は変わらぬ冷静なトーンで理由を語り始めた。


「理由は二つある。まず、向こうでは名が先で姓が後だ。それだけでこの『キョウカガクシヤ』という並びから解放される。それに、アメリカではニックネームが事実上の準公用語として機能している」


「準公用語……?」


「ああ。就職した企業に正式に申請すれば、ニックネームを仕事上の名前として通せるんだ。普通の会話はもちろん、名刺に至るまでな。自分の名前の頭文字から派生させるのが一般的でな。例えば『ツヨシ』ならTから取って『テリー』、『シュウ』ならSを取って『スコット』、といった具合にだ」


「それで、先輩は『久志也』だから……Kを取って『ケン』なんですね」


「その通りだ。俺は将来、アメリカで『ケン』と名乗り、マッドサイエンティストという呪縛から完全に解き放たれるつもりだ」


理屈は通っている。完璧な計画だ。

けれど、それを聞く幸子の胸は、まるで鋭利な刃物で抉られたかのように痛みを感じていた。


(アメリカ……そんなに遠くへ、行ってしまうんだ……)


幸子にとって、男子はこれまで恐怖か、あるいは疎ましいだけの存在だった。虐め、蔑み、心を擦り減らすだけの対象。

だが、京加賀だけは違った。彼は初めて幸子を一人前に扱い、道を指し示してくれた、生まれて初めての「頼れる男性」だった。


これが恋という名前の感情なのか、それとも、たった一人で世界を歩く勇気がないだけの依存なのかは分からない。

ただ、確かなのは、彼がこの場所からいなくなってしまう――という事実が、幸子にとって耐え難いほどの不安と、言いようのない恐怖を突きつけているということだ。


「……ケン、さん」


小さく呟いたその名前は、夕闇の冷たい風にさらわれて、誰の耳にも届くことなく消えていった。

京加賀は幸子の反応を気に留める様子もなく、ただ前だけを見て、淡々と、遠い異国の地での未来を歩き続けている。


京加賀を何とかしてここに留めておきたい――。

その切実な祈りが、幸子の脳裏に一つのアイデアを閃かせた。


「あの、先輩! その名前、先輩の……強みにはなりませんか?」


「強み? どういうことだ」


京加賀が不思議そうに歩みを止める。幸子は呼吸を整え、必死に言葉を紡いだ。


「例えば将来、就職先で自己紹介をする時に『子供の頃は狂科学者と呼ばれてマッドというあだ名がついてました』なんて笑い話に変えてエピソードを添えたら、インパクトは抜群ですよ! 誰の記憶にも残るはずです。せっかくの強みを自ら捨てて、わざわざアメリカまで行くなんて、すごく勿体ない気がします!」


「……ほう、なるほど」


京加賀は立ち止まり、顎に手を当てて深く考え込んだ。

先ほどまでの彼がどこか冷たく、遠くへ消えてしまいそうな危うさを孕んでいたのに対し、今の彼は真剣に幸子の提案を分析している。


「確かにそうかもしれないな。コンプレックスを逆手に取ったセルフプロデュースか……。言われてみれば、メリットの方がデメリットを上回る可能性がある。……面白い」


幸子は小さくガッツポーズをした。この理屈屋の先輩に、少しでも「ここに留まる理由」を作れたような気がしたからだ。


「そうですとも! 先輩のその頭脳とタフネスなら、この『狂科学者』という肩書きすら、自分の武器として生かしきれるはずですよ!」


「そうだな。確かに、そうかもしれない」


京加賀の表情から、どこか硬かった鎧のようなものが少しだけ剥がれ落ちたように見えた。彼は夜空を見上げ、深く息を吐き出す。


「今までは『この名から逃げること』ばかりを考えていたようだ。困難をアメリカまで持っていって、そこで解決した気になっていただけなのかもしれない。ありがとうな、太田。お前のおかげで、一つ視界が開けた気分だ」


その笑みは、先ほどまでの自嘲を含んだものとは違い、どこか少年のような純粋さを湛えていた。


「いえ、お礼なんて……!」


おおよその駅までの中間地点。駅まではまだ距離があったが、二人はここで別れることにした。


「それじゃ、TABATA式トレーニング頑張れよ太田」


別れ際にそう言った京加賀に、幸子は思わず口を開きかけた。


「あ……」


(……久志也先輩)


その名前を呼べば、一気に距離が縮まるような気がした。けれど、喉まで出かかった言葉を必死に飲み込む。今の自分は、まだその名前を呼ぶにはあまりに不釣り合いな体型だと、鏡に映る自分を思い出して自嘲した。今の距離感のまま、軽々しく名前を呼ぶのは、きっと彼に迷惑をかけるだけだ。


「……どうした太田? 何か言い残したか?」


その問いに、幸子は少しだけ視線を泳がせ、けれど精一杯の勇気を振り絞って顔を上げた。


「……京加賀先輩、あの……もし私の体重が60kg、いえ、50kg台になったら、『久志也先輩』と呼んでもいいですか?」


京加賀はきょとんとした顔で、数秒の間、幸子を見つめた。


「……ああ。名前など公開情報だ、好きに呼べばいい。しかし、その条件付きは何のためだ?」


「それは……、ゲームです」


「ゲーム?」


「テレビゲームでは同じモンスターでも色が変わったりするだけでも、強い上位種になったりするじゃないですか。そんな感じで、自分の中で何となく『目に見える変化』があった方が、面白いかと……」


幸子の必死の言い訳に、京加賀はフッと細い目を細めた。それは冷徹な指導者の顔ではなく、どこか少年のような、柔らかい表情だった。


「ほう、なるほど。確かにそれは面白いかもな。自分に課した『変身条件』というわけか。いいだろう。それがお前のモチベーションに繋がるのなら、俺もそのゲームに乗ってやろう」


「……ありがとうございます!」


幸子の脳裏に、かつてAIに生成させた「痩せた自分」の姿が鮮明に浮かび上がる。引き締まったフェイスライン、軽くしなやかな肢体。50kg台という数字は、単なる減量目標ではない。あの時に見た「未来の自分」と、ようやく対等に並べるための到達点だ。


(あそこまで行ければ、きっと先輩を名前を呼んでも、迷惑じゃないはず……)


京加賀の姿が、暗闇に紛れて小さくなっていく。

その背中を追いかけて、幸子は拳をギュッと握りしめた。


冷たい夜風が吹き抜けていく。けれど、幸子の心には、先ほどまでとは比べ物にならないほど熱く、力強い炎が灯っていた。



続く☆




開始時の体重:90.80kg


現在の体重:75.75kg(-15.05kg)



 【後書き】


 皆さま悲報です。何と、マルサンのバナナ豆乳および紅茶豆乳が生産中止となりました。どうやらこれもナフサ不足が絡んでいるらしく、売られる商品は最小限の王道商品などに絞られるようです。

 しばらく、品薄感を感じていたのですが、マルサンのサイトにて3月に生産中止と告知されており、泣きたい気分です。最後に業務スーパーで在庫を買い占めた2箱(12本分)が手持ち最後です。(それももう、残り5本くらいしかない)

 最近では無調整豆乳を約半分、あるいは無調整7割で、バナナ豆乳を3割程度にまで減らして飲んでおりますが、無くなるのも時間の問題です。無くなったらもう無調整豆乳をストレートで飲む覚悟で、少しずつ舌を慣らしておこうという次第です。皆様も、無調整豆乳多めのダイエットライフに切り替える事をお勧めします。


 それにしても、早く再販されないかなあ。売ってない事がショックすぎて、どうやら私は豆乳に精神的にも強い依存していた事を思い知りました。



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