第9話 オークとの戦闘 谷の奥に残ったもの
オークの群れを見つけた翌朝、村長の家に調査隊と村の猟師たちが集まった。
ガルドが机に広げた地図には、森の谷が二つ描かれている。オークがいた広い谷と、その南につながる細い谷だ。
「こっちへ誘い込めれば、横に並んで進めるのはせいぜい二匹だ」
ガルドが細い谷を指でなぞった。
両側は岩の斜面になっている。上から弓を射る場所があり、谷底には燃え広がる草木も少ない。
「弓手を両側に置く」
エドガーが言った。
「王都の魔法使いは、オークが谷の中央に入ってから火魔法を放つ。弓と火で足を止める」
調査隊の魔法使いが地図を確かめた。
「問題は、狙いどおりに来るかどうかだ」
ガルドが言う。
「途中で引き返すかもしれん。斜面を登って弓手を襲うかもしれん」
レオンは前日に見た谷を思い出した。
「細い谷の入口に、二人が逃げ込むところを見せるのはどうですか。追ってきたら、中央まで引きつけて攻撃する。来なければ中止します」
「囮が危険だ」
「だからエドガーさんと護衛のお一人が担当する。僕は斜面の上から群れの動きを見ます」
エドガーは地図を見下ろした。
「囮の退路を先に確かめる。谷に入ったあとで出口を塞がれたら、作戦は中止だ」
話し合いは続いた。
レオンは右手首を上着の袖で隠した。
昨夜、古代遺跡で《発火》を覚えたことは、まだ誰にも話していない。使えるのは、触れたものに小さな火をつける術だけだ。魔法使いが放つ炎とは比べものにならない。
レオンは護身用に乾いた布を持っていくことにした。
◇
作戦は翌日の昼に始まった。
村からはガルドと猟師二人が参加し、王都の護衛が谷の入口と出口を固める。レオンはガルドとともに、斜面の上に伏せていた。
視界の向こうに、強い魔力がいくつも重なる。
【オークの群れ:接近中】
【対象数:判定不能】
一体ずつ数えることは、やはりできなかった。
遠くで枝が折れる音が聞こえた。
エドガーと護衛が広い谷の外れから走ってくる。その後ろをオークたちが追っていた。
一匹、二匹、三匹。
さらに大きな影が続く。先頭が細い谷へ入っても、ガルドは弓を引いたまま待った。
「まだだ」
エドガーたちは谷底の脇道へ飛び込む。オークが中央まで進んだ。
「今だ!」
両側の斜面から矢が放たれた。
先頭のオークが倒れ、後ろの数匹が足を止める。狭い谷では互いが邪魔になり、すぐには向きを変えられない。
二射目が飛ぶ。
続いて王都の魔法使いが杖を振った。
谷底で火が走り、オークたちの前に炎の帯ができる。逃げようと後ずさった個体へ、反対側の斜面から矢が降った。
「炎を右に寄せる! 左の弓手、下がって!」
魔法使いの声に合わせ、弓手たちが位置を変える。
オークの一匹が斜面の石を拾い上げた。
【左側のオーク:投擲の可能性】
【確度:高】
「オークが石を投げるよ! 左だ!伏せて!」
レオンが叫ぶと同時に、岩が頭上を通り、背後の枝を砕いた。
魔法使いは炎を維持しながら、徐々に位置をずらしオーク達を追い詰めていく。弓手たちは岩を避け、起き上がるたびに矢を放った。
しばらくして、谷の中の動きが止まった。
煙が薄れると、見えているオークはどれも倒れていた。
「終わったのか?」
護衛の一人が立ち上がりかけた。
その瞬間、レオンの胸を強い圧迫感が襲った。
【前方:強い魔力反応】
【危険度:高】
「まだいる!」
谷の奥で、大きな影が動いた。
倒れた仲間の下から、ひときわ大きなオークが立ち上がる。矢は肩と脇腹に刺さっていたが、動きを止めるほどではない。
前日、岩の陰にいた個体だ。
リーダーと思われるオークは、焼けた地面を踏み越え、レオンたちのいる斜面へ駆け上がった。
「こっちへ来る!」
ガルドの放った矢がオークの肩に当たる。魔物は片腕で顔をかばい、そのまま斜面を登った。
【次の動作:右腕による打撃】
【確度:高】
「右!」
ガルドは身を引いたが、オークの腕が弓を打ち砕いた。折れた木片が飛び、レオンの足元に刺さる。
ガルドが体勢を崩す。
レオンの腰には、細い縄で束ねた乾いた布があった。自分で火をつけられるか確かめるため、持ってきたものだ。
オークが再び腕を振り上げる。
レオンは布を握り、指先に魔力を集めた。
「《発火》!」
布の端に火が灯る。
レオンは燃える布をオークの顔の前へ突き出した。
大きな炎ではない。だが、目の前で突然現れた火に、オークは顔を背けて後ずさる。
「ガルドさん、下がって!」
レオンは布を捨て、ガルドの腕を引いた。
脇道から斜面を駆け上がってきたエドガーが、すれ違いざまに目を見開く。
「レオン、火魔法まで使えるのか!」
「今はこいつを!」
エドガーは頷き、剣を構えた。
オークはレオンの手元を警戒し、まだ体勢を立て直せていない。
エドガーの剣が、その首元をとらえた。
巨体は斜面を滑り落ち、谷底で動かなくなった。
◇
調査隊はすぐには勝利を告げなかった。
谷に倒れたオークの数を確かめ、周辺を見張る。魔法使いは谷底に火が残っていないか調べた。レオンの視界にも、近くの強い反応は現れない。
村へ戻る道で、エドガーがレオンの隣に並んだ。
「さっきの火には驚いた。いつから使えるようになったんだ?」
「昨日です。触れた布に火をつけるのが精一杯ですけど」
「一日で覚えたのか」
エドガーは感心したようにレオンの手元を見た。
「あの場では十分だった。ガルドも助かったよ」
エドガーはそう言って、前を歩く護衛たちにも声をかけた。
◇
村では帰りを待っていた人たちから歓声が上がった。
マーヤはレオンの顔と腕を確認したあと、火で指先を少し赤くしていることに気づいた。
「怪我をしないで帰ってきてって言ったのに」
「これくらいなら、すぐ治るよ」
「そういう意味じゃないわ」
レオンは黙って手を差し出した。マーヤが冷たい布を巻く。
◇
数日後、エドガーは調査隊を率いて王都へ戻った。
「オークの群れは討伐した。村の差し迫った脅威はいったん去ったと判断する」
ダレンと握手を交わしたあと、エドガーはレオンに向き直る。
「君の報告に助けられた。次に危険を感じたら、また知らせてくれ」
「分かりました」
「それと、身体を壊すまで力を使うなよ」
エドガーは笑ってそう言い残し、馬に乗った。
◇
それから一カ月、レオンは訓練を続けた。
朝は畑道を走り、午後はガルドに足運びを教わる。身体能力強化は数呼吸だけ使い、間に十分休む。無理に時間を延ばすことはしなかった。
《発火》も、小枝を相手に練習した。火をつけることには慣れたが、使った後は頭が重くなる。続けて使える回数は少ない。
魔力を増やす方法を世界の声に尋ねたとき、返事は慎重だった。
『魔力の使い方は改善できます。ただし、短期間で魔力量を大きく増やす方法は確認できません』
レオンは毎日の使用時間と疲れ具合を書き留めた。急に強くなった実感はない。それでも、一カ月前より長く走れ、力を解いた後に足を止めるのも上手くなった。
◇
北の森の奥深くに、日が差し込まない場所があった。
そこに立つ黒い影の前へ、小柄な魔物が駆け込んでくる。
「谷のオークが、戻りません」
黒い影は、すぐには答えなかった。
足元には、オークたちの魔力を示す小さな石が並んでいる。どれも光を失っていた。
「全滅したのか」
「はい。人間に討たれたようです」
「この近くに、オークの群れを倒せる人間がいたか?」
黒い影の声に、小柄な魔物は首を振る。
「少なくとも、ここ百年は」
影は地面に広げた粗い地図を見る。オークが倒された谷。その南にある、小さな村。
「人間の数を調べろ。王都の兵が来たのかもしれん」
「村を襲いますか」
「まだだ。まずは、何がオークを倒したのかを知りたい」
黒い影は木々の間へ歩き出した。
「私が行こう」
◇
その日の夕方、レオンは庭で訓練の記録をつけていた。
突然、右手首の銀色の線が熱を帯びる。
視界の端に、北の森から伸びる暗い光が現れた。以前より近い。
【北の森:強い魔力反応】
【アルネ村へ接近中】
【確度:中】
レオンは立ち上がった。
オークの群れを倒してから、これほど強い反応を感じたことはない。
「みんなに知らせないと」
レオンは記録を置き、村長の家へ走った。
ダレンに見張りを増やしてもらい、村人たちには夜間、森へ近づかないよう伝える。反応は途中で止まり、日没の頃には再び遠ざかった。
襲撃はなかった。
だが、何かが村の近くまで来ていた。
理由を探るため、翌朝、レオンは古代遺跡へ向かった。
中央の石に手を置く。
「昨日の反応は何だった? 北の森は、もう安全じゃないのか?」
光が石の溝を走る。
『オークの群れによる強い反応は消えました』
レオンは息を吐きかけた。
だが、声は続いた。
『森のさらに奥に、別の強力な魔力反応があります。昨日、村へ近づいた反応と一致します』
視界に森の輪郭が浮かぶ。オークたちがいた谷より、ずっと北。
そこに、一つだけ暗い光が灯った。
【対象:不明】
【魔力の強さ:非常に強い】
【確度:中】
「北の集落を襲ったのは、オークじゃなかったのかよ」
『現在の情報だけでは判断できません』
「昨日、そいつはどうして村へ近づいた?」
『目的は確認できません。村の手前でしばらく留まり、その後、森の奥へ戻っています』
レオンは石に置いた手を握りしめた。
オークを倒しても、森の奥にはまだ何かがいる。そして、その何かは村の近くまで来た。
村では、ようやく子どもたちが外で遊ぶようになった。マーヤも夜に窓を気にせず眠れるようになった。
その日常のすぐ北に、強い魔物が残っている。
レオンは暗い光から目を離さなかった。




