第7話 力の代償
目を開けた瞬間、レオンは呻いた。
腕が痛い。脚も背中も痛い。呼吸をすると腹の筋肉まで痛む。
「……オークは?」
声を出すだけで、首の辺りがつった。
「倒したわ」
寝台の脇からマーヤの声がした。
「そのあとあなたは気を失って、今まで眠っていたのよ」
窓の外は明るい。レオンは一晩中眠っていたらしい。
起き上がろうとして、すぐに諦めた。
「身体中が痛い」
「治療師は、大きな怪我はないと言っていたわ。筋肉をひどく傷めているから、しばらく休むようにって」
マーヤは水の入った器を持ち、レオンの背中を支えた。助けてもらって身体を起こす十五歳の少年に、昨日の勇敢な面影はどこにも残っていない。
「ありがとう、あなたに助けられたわ」
マーヤが静かに言った。
「でも、倒れているあなたを見たとき、本当に怖かった」
レオンは器を受け取ったまま、彼女の顔を見られなかった。
「ごめん」
「自分の命が一番大事よ」
「うん」
◇
昼過ぎに、ダレンとエドガーが見舞いに来た。
エドガーは寝台の横に立つと、挨拶より先に尋ねた。
「昨日の速さは、魔法か?」
「……魔力を使って、身体を強くしました」
「誰に習った」
古代遺跡のことを話して信じてもらえるだろうか。
「自分でも、よくわからないのですが」
エドガーはレオンの右手首にある銀色の線を見た。
「制御できていない力なら、なおさら無理はするな。命が一番大事だぞ」
エドガーはレオンの頭を軽くたたいた。
ダレンが口を開いた。
「調査隊は、いったん王都へ戻る」
「森の調査は?」
「オークが村に現れたことを報告する。北の集落の件と合わせて、こちらにもっと強い護衛を送るよう要請するそうだ」
エドガーが頷く。
「我々だけで森の奥へ進むべきではないと判断した。村には物資を残す。戻るまで、見張りを続けてほしい」
「どのくらいで戻れますか」
「王都での手続き次第だが、十日ほどを見込んでいる」
ダレンはレオンを見た。
「その間に、お前は身体を治せ。」
「分かった」
祖父は疑うような顔をした。
マーヤも同じ顔をしていたので、レオンは毛布を胸元まで引き上げた。
◇
最初の三日間、レオンは庭に出るだけで苦労した。
階段を一段下りると太腿が痛む。水桶を持とうとすれば腕が震える。
視界の端には、必要なときだけ文字が現れた。
【身体への負荷:回復中】
【身体能力強化の使用は推奨されません】
勧められなくても、使う気にはならなかった。
レオンは寝台で、昨日の戦いを何度も思い返した。
遺跡から村まで力を使い続けたのが、まずかった。速く走れたとしても、丘を下ってから休まず戦えば、身体がもたない。
もし次に使うなら、必要な瞬間だけにしよう。
五日目、ようやく普通に歩けるようになった。
レオンはマーヤと治療師に身体を見てもらい、庭で試す許しを得た。マーヤは「少しでも痛んだらやめる」という条件を三度確認した。
庭の端には薪が積んである。
レオンは細い薪を一本拾い、右手首を見た。
「身体能力強化」
銀色の線が淡く光る。
薪を持つ腕が軽くなった。
一呼吸。二呼吸。
すぐに力を解く。
【使用時間:短】
【身体への負荷:軽微】
「これなら……」
今度は庭の端から端まで、数歩だけ走った。加速する瞬間に力を使い、止まる前に解除する。
だが、勢いはすぐには消えない。足を滑らせ、柵に手をついてようやく止まった。
「レオン!」
家の中からマーヤが叫ぶ。
「転んでないよ」
「転んでからやめても遅いわよ!」
レオンは柵を直しながら頷いた。
力を解いても、速く動いている身体には勢いが残る。止まり方まで練習しなければ危ない。
◇
その後も、レオンは一日に一度だけ、短い時間で試した。
重いものを持つ。跳ぶ。走る。
筋力だけを強めることはできなかった。力を使えば身体全体が速く動く。集中している間は周囲の動きも追いやすいが、それで剣の扱いが上手くなるわけではない。
ガルドに木の棒で打ち込んでもらったときは、相手の動きが見えても、避ける方向を間違えて肩を叩かれた。
「見えることと、動けることは別だ」
ガルドは棒を下ろした。
「速く動けることと、うまく動けることもな」
「分かってるよ」
二人で休んでいると、セラが水を持ってきた。
「魔法は試した?」
「何度か。でも相変わらず、水一滴も動かせない」
「身体を強くする力には、自分の魔力を使ってるんでしょ。どうして水魔法は使えないんだろう」
「僕も知りたいよ」
レオンは水を飲みながら、自分の手を見た。
魔力があれば、何でもできるわけではない。今使えるのは、身体能力強化だけ。それも短時間に限られる。
少しずつ扱いを覚えるしかなかった。
◇
調査隊が王都から戻ったのは、出発から十一日後だった。
村の見張り台が馬車を見つけ、広場に人が集まる。
先頭にはエドガー。その後ろに、以前はいなかった四人が続いていた。鎧を着た護衛が三人と、灰色の外套を羽織った女性だ。
「増援を連れてきた」
エドガーがダレンに言った。
「王都は北の集落の件を重く見ている。護衛を増やし、森の調査を再開する」
ダレンは護衛の人数を確かめるように見た。
「今度はどこまで入る」
「オークの通った跡を追う。集落へ続く道より奥へ進む可能性がある」
エドガーの視線が、広場の端にいたレオンへ移った。
「それから、レオン。君にも同行してほしい」
ダレンがすぐに顔を上げた。
「以前、私は断ったはずだ」
「承知している。今回は森へ入る前の準備と、村の近くでの調査から頼みたい。危険が大きければ、そこで帰す」
「レオンが必要な理由は?」
「魔物の動きに、レオンは私たちより早く気づいた。オークとの戦いでも、次の動きを言い当てた。どうやっているかは分からないが、その力は調査の役に立つ」
エドガーはダレンに向き直った。
「本人の体調を治療師に確認し、護衛をつける。森の奥まで連れていくかどうかは、状況を見て改めて判断する」
ダレンは長い間、何も言わなかった。
レオンも口を挟まない。祖父が何を心配しているかは分かっている。
やがてダレンが尋ねた。
「レオン。お前は今、どのくらい動ける」
「普通に歩ける。力を使うのは数呼吸だけにしてる」
「倒れる前に、自分でやめられるか」
「そのために練習した」
ダレンはレオンの顔を見つめ、それからエドガーへ向き直った。
「村の近くでの調査までは認める。もし、森の奥へ連れていくなら、必ず私にも話してくれ」
「約束する」
エドガーが答えた。
レオンは小さく息を吐いた。
望んでいた調査への参加が決まった。
レオンは少しわくわくした。
北の森に目を向ける。
木々は静かだった。
何も見えない。
レオンはその静けさを、もう安全の証拠だとは思わなかった。




