第39話 鉱山の地下の調査
39話を書いていて、「ゲイル」という名前を鉱夫だけでなく、第三支部の第二師団長にもつけていたことに気が付きました。同名だったということで、ご勘弁ください。。
ソフィアがザナルカンドの鉱山へ着いたときには、日が暮れかけていた。
山腹に開いた坑口の周囲には、選鉱場や倉庫が並んでいる。煙突から薄い煙が上がり、作業を終えた者たちが、灯りのともる建物へ歩いていた。
受付の窓口では、ドワーフが帳簿を閉じるところだった。
「今日はもう終わったよ。用があるなら、明日にしてくれ」
「そう。では、明日の朝――」
引き返そうとしたところで、奥から声が響いた。
「お待ちください!」
大柄なドワーフが、急ぎ足でやってくる。
灰色の短いひげ。角張った顎。広い肩には、濃い色の作業用ジャケットを羽織っている。
鉱山長のドーガンだった。
「アリティア王国の、ソフィアさんですな」
彼は足を止め、息を整えた。
「本日到着されるとは思っておらず、失礼しました」
「ソフィアです。遅い時間にごめんなさい」
「しかし、報告を出してから一週間もたたずに来られるとは……驚きましたな」
*王都を出てからなら、二時間ほどなのだけど。*
ソフィアは、口には出さなかった。
ドーガンは改めて彼女を見た。
小柄で、年若い少女にしか見えない。だが、近づけば、抑えられた魔力の気配が分かった。少なくとも、外見で扱いを決めてよい相手ではなかった。
「いらっしゃい。待ってたよ」
横から軽い声がした。
ゲイルだった。
油染みのついた帽子をかぶり、大きな腹を揺らして近づいてくる。
「あんた、あの石を調べに来たんだってな。その若さで大したもんだ」
ドーガンの眉が動いたが、ゲイルは気づかなかった。
「嬢ちゃん、今日はもう遅い。調査は明日にして、一杯やらねえか? いい店を知ってるぜ」
ソフィアは少し笑った。
「ありがとう。でも、先に石を見せてもらえるかしら」
「そうかい。じゃあ、終わったら――」
ごつん、と鈍い音がした。
ドーガンの拳が、帽子の上へ落ちていた。
「痛え! 何すんだ、鉱山長!」
「少し黙ってろ」
ドーガンはソフィアへ向き直った。
「うちの者が、すみません。こちらへどうぞ」
「歓迎してんのに、殴るこたあねえだろ……」
ゲイルのぼやきを背に、ソフィアは廊下を進んだ。
奥に、厚い扉がある。
近づくにつれ、彼女の顔から笑みが消えていった。
黒い石の魔力を、感じ始めていた。
◇
検査室の中央には、透明な保護カバーが置かれていた。
その中に、黒い石がある。
報告書に添えられた写しで見るより、小さく感じられた。だが、蓄えられた魔力は、想像していた以上だった。
割れた面に細かな結晶が覗き、灯りを受けて鈍く光っている。
ソフィアは鞄を脇の机へ置いた。
「掘り出したあと、誰かこの石に魔力を加えた?」
ドーガンの顔が強張った。
「いいえ。検査は行いましたが、外から魔力を注ぐようなことはしておりません」
「そう。掘り出して、周囲の環境が変わったせいかしら。表面の魔力が少し乱れているわ」
ソフィアは石の周囲へ、細く魔力を広げた。
内部の魔力は、高い密度を保ったまま留まっている。一方で、表面に近い部分では、わずかな乱れが繰り返し生じていた。
「不安定って……爆発するのか?」
後ろでゲイルが尋ねた。
「今すぐ何かが起きる様子はないわ。ただ、この状態で動かしたり、検査を続けたりするのは避けたいわね」
ソフィアはドーガンへ向き直った。
「安定させる措置を取ってもいいかしら。表面の乱れを整えて、外へ漏れる魔力を抑えたいの」
「石を傷つけることには?」
「削ったり、砕いたりはしないわ」
ドーガンは黒い石を見てから、一歩下がった。
「お願いします」
◇
ソフィアは保護カバーへ手をかざした。
指先から白い線が伸び、石の周囲をゆっくり巡る。
線は幾重にも重なり、薄い膜になった。その内側へ、さらに細い光が伸びていく。
ゲイルが口を開きかけた。
ドーガンに袖を引かれ、黙る。
ソフィアの目は、石から離れなかった。
乱れた魔力の流れを捉え、少しずつ向きを揃える。外側の膜を調整しながら、石がそれにどう反応するかを確かめていった。
やがて、表面に浮かんでいた光の揺らぎが収まった。
部屋を満たしていた圧迫感も薄れていく。
ドーガンは、詰めていた息を吐いた。
「……ずいぶん、魔力が減りましたな」
「感じにくくなっただけよ。中にある魔力の大半は、そのまま残っているわ」
ソフィアが手を下ろす。
石の周囲に薄い紋様が浮かび、それも見えなくなった。
「これで、ひとまず保管はできるはず。ただし、強い魔力を加えたり、無理に傷つけたりしないで」
「承知しました」
ゲイルは首を伸ばし、カバーの中を覗き込んだ。
「見た目は変わらねえんだな」
「変わったら、別の心配をしないといけないわね」
「そりゃ、そうだ」
今度は触ろうとせず、ゲイルは石から離れた。
◇
ソフィアは、机に置かれた検査結果へ目を通した。
成分の記録。結晶構造の図。測定限界を超えた魔力の値。
紙をめくり終えてから、ドーガンを見る。
「年代測定の依頼は届いているかしら」
「はい。王国から連絡があり、検査技師が準備しております」
「石そのものの年代と、魔力を取り込んだ時期を、分けて調べられるか確認したいの」
ドーガンは廊下の連絡係を呼び、技師のダッケンへ伝言を頼んだ。
戻ってきた返事では、翌朝には測定を始められるという。
「結果が出る時刻までは、まだ約束できないそうです」
「分かったわ。追加の検査が必要なら、実施する前に私にも知らせて」
ソフィアは検査結果を揃え、もう一度、黒い石を見た。
表面の乱れが収まり、内側の魔力の特徴を捉えやすくなっていた。
深く、重い魔力。
*この感じ……。*
記憶に触れるものがある。
だが、今はまだ、誰の魔力だったかを絞りきれなかった。
「何か分かりましたか?」
ドーガンが尋ねる。
「確かなことは、まだ言えないわ。見つかった場所も調べたいの」
「下の坑道ですな」
「ええ。ほかにも同じものがあるかもしれない。ここへ来たとき、鉱山全体からは、この石に見合うほどの反応を感じなかったのだけど」
「一つだけ、ということでしょうか」
「その可能性もあるわ。あるいは、周囲の岩に遮られているのかもしれない。近くで確かめたいの」
ソフィアは鞄を手に取った。
「明日の朝、入れるようにしてもらえるかしら」
「承知しました。発見した者を案内につけましょう」
「巻き上げなら、俺に任せてくれ」
ゲイルが胸を叩いた。
「ぴたりと止めてやるぜ」
ドーガンが横目で見る。
「明日は酒を持ってくるなよ」
ゲイルの手が、作業着の腹の辺りで止まった。
「……何のことだ?」
「分かってねえと思ったか」
ソフィアは小さく笑った。
◇
検査室を出るころには、外はすっかり暗くなっていた。
ドーガンは、鉱山の客人用の宿へ案内してくれた。食事もまだ用意できるという。
「お疲れのところ、遅くまで申し訳ありません」
「こちらこそ、急に来てごめんなさい。明日はよろしくお願いします」
二人に礼を言い、ソフィアは宿へ向かった。
夜風が髪を揺らす。
振り返ると、山腹に作業灯が点々とともっていた。その奥に、明日調べる坑道がある。
「年代が分かれば、少しは絞れるかしら……」
小さく呟き、宿の扉を開けた。
◇
翌朝、ソフィアは鉱山の巻き上げ場へ向かった。
坑口の外では、鉱夫たちが作業灯や工具を点検している。油と湿った土の匂いが、朝の空気に混じっていた。
ゲイルは切替台の前に立っていた。
大きな腹に革の前掛けを当て、帽子をいつもより深くかぶっている。
「おはよう、嬢ちゃん。よく眠れたかい?」
「ええ。あなたは?」
「俺もぐっすりだ」
近くにいたドーガンが、横目で見た。
「今日は持ってねえだろうな」
「水だけだ。ほれ」
差し出された水筒を、ドーガンが受け取る。
蓋を開け、匂いを確かめてから返した。
「よし」
「信用がねえなあ」
ソフィアは笑いながら、昇降台へ乗った。
案内役は、黒い石を運び出した鉱夫の一人だった。赤茶色のひげを束ねた、肩幅の広い男だ。
分厚い手の爪には、洗っても落ちない黒い汚れが残っていた。
「足元に気をつけてくれ。下は濡れているところもある」
「ありがとう」
ゲイルが固定具を外す。
歯車が動き、昇降台がゆっくり下り始めた。
坑口から差す朝の光が遠ざかり、やがて見えなくなった。
◇
下の乗降場から、さらに坑道を歩いた。
灯りが、天井を支える梁を照らしている。
水滴の音。遠くで響く工具の音。換気の風が、ときおりローブの裾を揺らした。
足元のレールに沿って進み、何度か分かれ道を曲がる。
人の気配は次第に少なくなった。
最後の通路には、閉鎖を示す縄が張られていた。
鉱夫が縄を外す。
「ここだ」
奥には、掘りかけの壁があった。
足元には新しい石片が散らばっている。壁の一部には、拳を二つ並べたほどの窪みが残っていた。
「黒い石は、あそこから出た」
ソフィアは周囲を見回した。
「地上から、どれくらいの深さなの?」
「三百メートルほどだな。真上が山の斜面だから、場所によって違うが」
「三百メートル……」
これだけの岩に覆われていれば、地上で反応を捉えられなかった理由にもなる。
魔力の伝わり方は、岩の厚さや質によって変わる。
特に、外へ流れ出す量の少ない魔鉱石は、深く埋まっていれば見つけにくかった。
ソフィアは窪みの前で目を閉じた。
今度は自分の魔力を薄く送り込み、近くの岩から返る反応を探る。
地上から気配を感じ取ろうとしたときとは違い、調べる範囲を狭く絞ることができた。
しばらくして、眉が動いた。
岩の隙間に、微かな魔力の流れがある。
地上の石と似た気配だった。
「……奥にも、何かありそうね」
「同じ石か?」
「その可能性はあるわ。まだ、形までは分からないけど」
鉱夫は壁を見つめた。
「掘るのを止めて、正解だったな」
ソフィアは灯りを持ち上げた。
壁の上部から、通路の天井へ光を移す。
自然にできた曲面と、工具で削った面が混じっていた。
「ここは、もともと洞窟だったの?」
「よく分かったな」
鉱夫が天井を指した。
「細い洞窟を広げたんだ。石炭の層も、魔鉱石の筋も近かったからな」
「最初は、どれくらいの広さだった?」
「人が一人、屈んで通れるくらいだ」
ソフィアは頷き、掘りかけの壁へ視線を戻した。
◇
壁は、一枚の岩盤ではなかった。
大きな岩の間を、細かな石や土が埋めている。
崩れ落ちたものが積み重なり、押し固められたようにも見えた。
「昔は、奥まで洞窟が続いていたのかもしれないわ」
「この先にも?」
「ええ。魔鉱石があった場所へ、あとから岩や土が崩れ込んだのだとすれば、あの石が出てきた状況にも説明がつく」
自然の鉱床なのか。
誰かが石を持ち込み、置いていた場所なのか。
それは、まだ分からなかった。
「少し離れていて。奥を調べるわ」
鉱夫が下がる。
ソフィアは壁へ掌を向け、魔力探信の範囲を絞った。
密な岩。
その間に詰まった土。
小さな隙間が、いくつもある。
さらに奥へ探ると、ある場所で反応が変わった。
方向を変え、もう一度確かめる。
同じ位置に、岩の途切れる場所があった。
「空洞があるみたい」
「どれくらい先だ?」
「五メートルほど。広さや形は、まだ分からないわ」
鉱夫は壁とソフィアを見比べた。
「魔法で開けられるのか?」
「開けるだけなら」
岩を砕き、穴を通すことはできる。
だが、その先が分からなかった。
魔鉱石だけとは限らない。棚や箱、何かの記録があれば、岩と一緒に壊してしまうかもしれない。
崩れた石を、空洞へ押し込むことにもなる。
ソフィアは手を下ろした。
「掘ってもらえるかしら。奥にあるものを、できるだけ傷つけずに確かめたいの」
鉱夫の口元が、少し緩んだ。
「そっちは、俺たちの仕事だ」
◇
連絡を受け、鉱夫たちが工具を持って集まった。
細い鑿、大きさの違う槌、石を運ぶ籠。天井を支える木材も運び込まれる。
後から来たドーガンは、説明を聞くと壁と天井を確かめた。
「五メートル先に空洞か。いきなり人が通れる穴を開けるのは、やめた方がいいな」
「小さな穴から始めてもらえると助かるわ」
「中の様子と空気を確かめてから、広げよう」
レールの上が片づけられ、壁の手前に支柱が立てられた。
ソフィアは、空洞に近いと思われる位置を示した。
「この辺りよ。変わった石が出たら、その場で手を止めて。魔力の変化はこちらで見ているわ」
「分かった」
赤茶ひげの鉱夫が、鑿を当てる。
カン、と澄んだ音が響いた。
隣の鉱夫が浮いた石を外し、籠へ移す。
固い岩を削るだけの作業ではなかった。崩落した石の隙間を確かめ、抜いてよいものを選び、必要な場所には支えを入れる。
ソフィアは壁際の平らな石に腰を下ろした。
自分なら、数秒で穴を通せる。
それでも今は、一片ずつ取り除かれるのを待つ方がよかった。
白いローブの裾に、薄く土埃が積もっていく。
彼女はときおり指先を動かし、奥の反応に変化がないか確かめた。
その合間に考えていたのは、地上に置かれた黒い石のことだった。
*おそらく、魔王の一人の魔力を取り込んでいる。*
昨夜感じた、深く重い魔力。
上級魔族のものとは、明らかに違っていた。
槌の音を聞きながら、ソフィアは遠い昔の戦いを思い出していた。
◇
ソフィアは普段、自分がエルフであることを隠している。
年若い少女に見える彼女が、千年以上を生きていると知る者は少ない。
百年前の魔導大戦にも、五百年前の魔導大戦にも、彼女は参加していた。
百年前、復活を阻止しなければならなかった魔王は一人だった。
だが、五百年前には七人いた。
魔王とは、魔族の最上位の階級を示す呼び名だ。
最上級の魔力量を持ち、さらに覇王級のスキルを、少なくとも一つ備えていること。
その条件を満たした者が、魔王と呼ばれた。
一人で国を滅ぼしかねない相手が、七人。
人間だけでは対抗できなかった。
エルフも同じだった。
互いの知恵と戦力を持ち寄って戦い、それでも戦争は百年以上続いた。
ソフィアは、膝の上で指を組み直した。
七人の中で、最も強かった魔王。
カダス・テロス。
その魔力は、今も覚えている。
忘れようとして、忘れられるものではなかった。
*でも、あの石はカダスのものではないわ。*
魔力の特徴が違う。
封印された場所も、ここではない。
カダスは北の山脈に封じられている。
ここは、東のザナルカンドだった。
この地で封印された魔王といえば――。
*ディアス、かしら。*
七人の中では、最も力の弱かった魔王。
もちろん、魔王の中での話だ。普通の魔族や人間と比べられるような相手ではない。
それでも、疑問は残った。
*封印された状態で、あれほど高密度な魔鉱石ができるものなの?*
長い時間をかければ、可能なのか。
封印に、何か変化が起きたのか。
あるいは、自分の推測が違っているのか。
年代測定の結果が欲しかった。
少なくとも、あの魔力がいつ石へ取り込まれたのか分かれば、考えられることは増える。
「開いたぞ!」
鉱夫の声に、ソフィアは顔を上げた。
作業が始まって、二時間ほどたっていた。
壁の奥に、細い穴が通っている。
鉱夫たちは手を止め、顔を近づけずに、こちらを待っていた。
*ここからは、慎重に確かめないとね。*
ソフィアは立ち上がった。




