第34話 正体
ソフィアと上級魔族の魔力がぶつかった。
雪がもうもうと舞い上がり、あたりが白くかすむ。
レオンは目を細め、上級魔族の魔力を探った。
【対象:上級魔族】
【魔力量:32000】
「三万二千……!」
ソフィアの魔力量は二万。
数字だけで勝敗は決まらないと分かっている。それでも、相手の力は予想を超えていた。
上級魔族が腕を振る。
次の瞬間、黒い魔力が刃となって飛び出した。
速い。
ソフィアに黒い刃が迫る。
彼女はふわりと浮き上がってかわす。だが、魔族の攻撃はそこで終わらなかった。
逃げる先を塞ぐように、二撃目、三撃目が連続して飛来する。
黒い線が空間を埋め尽くした。
ソフィアが身をひねる。
白いローブの裾が切り裂かれ、頬をかすめた刃が赤い筋を残す。彼女が張った光の防壁へ、次々と黒い刃が突き刺さった。
一枚目が砕ける。
二枚目に亀裂が走る。
防壁を新しく作るが、刃の動きの方がわずかに勝っている。
「ソフィアさん!」
レオンが駆け出しかけた。
だが、足が止まった。
怖かった。
魔族の攻撃が速すぎる。
自分が近づいたところで、何もできない。次の瞬間には、自分の体が黒い刃に貫かれているかもしれない。そう思うと、足先が雪に縫いつけられたように動かなかった。
「来ないで、もっと離れて」
ソフィアは短く告げた。
防壁の向こうにいる彼女の声は、驚くほど落ち着いていた。
最後の防壁が砕け、ソフィアは飛んで後方に逃れた。
すかさず、魔族が電撃の魔法で追い打ちをかける。
かなりの高出力。まるで雷が横に走ったかのようだった。
ソフィアの前に、先ほどとは異なる紋様の防壁が生まれる。電撃はその表面を伝い、光を散らしながら消えた。
*すごい、属性によって対応を変えるのか*
しかし、感心している場合ではなかった。
魔法を放ったあと魔族はソフィアとの距離を詰めていた。
今度は至近距離から無数の氷の刃を放った。
ソフィアは一度避け、そのあとは炎の魔法で中和した。
息つく間もない魔法の応酬。レオンは瞬きもできなかった。
形勢は徐々に魔族に傾いていった。
使う魔法の種類や手数はソフィアも負けていない。しかし、一つ一つの魔法の威力は魔族の方が上だった。
ソフィアは巧みな身のこなしで直撃を避けていたが、徐々に逃げ場を奪われていった。
*このままじゃまずい。何とかできないか……*
レオンは剣の柄を握った。
思考加速を使えば、動きは追えるかもしれない。
だが、見えたところで、この攻撃の中へ入れるわけではない。魔族の魔法を押し返すだけの力もなかった。
ソフィアがすきを見て《光の矢》で反撃した。
魔族をそれを逃げることなく正面から受け、そのままカウンターの闇魔法を放ってきた。
《光の矢》の闇魔法版だろうか。おそらく物理攻撃に近いのだろう。
しかし、ソフィアの《光の矢》を押し返してなお、威力は衰えず、何本かソフィアに直撃した。
*ソフィアさん!*
防壁を張るのは見えたが、全部は間に合わなかったようだ。
彼女は頭から少し血を流していた。
ソフィアは砕けかけた光の壁を見下ろし、頬の血を指先で拭った。そして、その赤い色を確かめるように眺める。
「……仕方ないわね」
レオンにはソフィアが少し笑ったように見えた。
次の瞬間、白いローブの周りで、風が巻き起こる。
何かが爆発したような風だ。風は、さらに勢いを増し、雪を空へ巻き上げていく。
風圧だけでレオンの体が後ろへ押し戻された。
息ができない。
目を開けていることさえ難しい。
レオンの足元が揺れる。雪の下の大地そのものが、巨大な何かの目覚めを告げるようにうなった。
ソフィアの周囲から、これまで感じたことのない魔力が噴き上がる。
それは、ただ強いというだけではなかった。
触れた瞬間に命を奪われる。そう本能が告げていた。
【対象:ソフィア】
【魔力量:測定不能】
*世界の声!、何が起きてる!?*
『魔力量が現在の測定上限を超えました。今のあなたが測定できる上限は約十万です』
十万……?
レオンの喉が鳴った。
少なくとも、十万と言うことだ。
*一体どれだけの魔力を秘めているんだ?これまで見えていた二万は、力を抑えた状態だったのか。*
そう考えた瞬間、背中を冷たい汗が流れた。
これまで一緒に旅をし、食事をし、何度も気軽に話しかけていた。だが、目の前にいる存在は、そんな日常とは程遠い何かだ。
レオンは無意識に一歩後ずさった。
風が静まる。
舞い上がっていた雪が落ちると、そこに立つソフィアの姿が見えた。
雰囲気が、完全に変わっていた。
穏やかな顔には、戦いを楽しむような鋭さが宿っている。青みがかった目は、内側から光を放つような金色に変わり、白いローブは白い光を帯びていた。
髪の間から伸びる耳は、さっきより明らかに長く尖っていた。
ふと、レオンは気がついた。
「エルフ……?」
上級魔族も、しばらく言葉を失っていた。
「お前、その姿は――」
魔族の声に、初めて動揺が混じった。
だが、すぐに我に返る。両手に黒い魔力を集め、先ほどとは比べものにならない数の刃を生み出した。
「何者だろうと関係ない、我々の邪魔をするやつは消し去るだけだ!」
魔族が腕を振り下ろす。
黒い刃が放たれた。
数十、いや、それ以上。
それらは一斉にソフィアへ迫った。
空気を裂く音が重なり、渓谷全体が悲鳴を上げているようだった。
レオンは反射的に身を伏せる。
速すぎる。
刃の一本一本が見えない。黒い残像だけが視界を横切り、次の瞬間にはソフィアの体を貫いているように思えた。
「ソフィアさん!」
ソフィアは動かなかった。
ただ、杖を上げる。
その動作は、不思議なほどゆっくりに見えた。
杖の先端に、小さな光が灯る。
次の瞬間、視界が白く染まった。
音が消えた。
レオンが次に見たとき、閃光はすでに魔族を貫いていた。
光が走った瞬間を、誰も目で追えなかった。
黒い刃はソフィアへ届く前に消滅し、上級魔族の胸の中心には、拳ほどの穴が開いていた。
魔族は何が起きたのか理解できないまま、立ち尽くしている。
「な、ぜ……」
その声が落ちるより早く、体の内側から光があふれた。
黒い魔力がほどけ、上級魔族の身体が崩れていく。
身体が灰へ変わり、灰は雪の上へ落ちる前に風へさらわれていった。
戦いは終わった。
あまりにも一瞬だった。
レオンは息をすることも忘れ、灰が消えていく場所を見つめていた。
さっきまで、あれほど速い攻撃を繰り出していた魔族が、今はもう存在の痕跡すら残していない。
ソフィアは灰が風に流されるのを、しばらく見つめていた。
その横顔には、まだ戦いの余韻が残っている。
やがて、彼女ははっとしたように瞬きをした。
「……あ」
小さく息を漏らし、杖を下ろす。
周囲に満ちていた魔力が、急速に収まっていく。金色に変わっていた目が青みを取り戻し、耳も、レオンが知る長さへ戻っていった。
白いローブの輝きも消える。
「……捕虜は?」
いつものソフィアの声だった。
レオンはすぐに返事ができない。
目の前へ行って「大丈夫ですか」と尋ねてもいいのだろうか。
だが、先ほど見た姿が脳裏から離れない。
あの魔力に触れた瞬間、体が金縛りにあったようだ。今、目の前にいるのはいつものソフィアなのに、同じ人物だと信じることができなかった。
ソフィアが振り向いた。
「レオン?」
「あ、はい。北側の建物です。今、確認します」
レオンは慌てて魔力を探った。
◇
北側では、ドワーフの兵が捕虜の建物を確保していた。
中級魔族の一人はドワーフの精鋭が倒し、もう一人も傭兵団が押さえ込んでいた。残る下級魔族は逃げるか、武器を捨てている。
鉱夫たちは衰弱していたが、生きていた。
扉から出てきた一人が、雪の上に膝をつく。
「……帰れるのか」
ドワーフ軍の指揮官が、彼の肩を支えた。
「ああ。帰るぞ」
あたりに歓声が上がった。
その言葉を聞いて、レオンはようやく息を吐いた。
ソフィアも建物へ入り、傷ついた鉱夫たちの治療を始める。さっき上級魔族を一撃で倒したのと同じ人が、凍えた手を一人ずつ温めていた。
その姿は、いつものソフィアと変わらない。
だからこそ、レオンには信じられなかった。
レオンは彼女に声をかけた。
「ソフィアさん。さっきの……」
「内緒にしてくださいね?私がエルフだってこと」
ソフィアは治療の手を止めずに答えた。
「まずは皆さんを陣へ戻しましょう」
「はい」
返事をしながら、レオンは彼女の横顔を見た。
*エルフもびっくりだが、疑問はそこではないのだが……*
今のソフィアは、穏やかで、優しく、いつも通りだった。
◇
ドワーフ王国へ戻ると、街は鉱夫たちの帰還を迎えた。
家族と抱き合う人々がいる。兵士や傭兵へ、食べ物や温かい飲み物を差し出す人もいた。
王宮ではヴォルカン王が一行を迎えた。
「よくぞ鉱夫たちを連れ戻してくれた。望む褒美を言うがよい」
傭兵団の隊長、ラドクリフは報酬を受け取り、傷んだ武具の修理も頼んだ。レオンには新しい防具を選ぶ機会が与えられた。
ソフィアは少し考えてから言った。
「では、古代遺跡の書庫を、もう一度自由に閲覧させてください」
ヴォルカンは意外そうに眉を上げ、すぐに笑った。
「その程度でよいのか。もちろん構わん、何日でも滞在し、すきに読むがよい」
「ありがとうございます」
ソフィアが頭を下げる。
その目が、ほんの一瞬だけ輝いたのをレオンは見逃さなかった。
*もしかして、最初からこれを狙っていたのか?*
彼女は書庫へ戻れるとわかってとても嬉しそうだった。
◇
一行はドワーフ王国に一週間滞在した。
ソフィアは毎朝、古代遺跡へ通った。夕方に戻ってくると、持っていった紙が文字で埋まっている。
「翻訳した魔導書なら、王都にもありますよね」
レオンが尋ねる。
「原本には、まだ見つかっていないページがあるのよ」
「ページが隠れているんですか?」
「そう。一定以上の魔力と術式の知識を持つ者にだけ、その文字が読めるのよ」
「それを探していた?」
ソフィアは微笑んだ。
「見つかるか、確かめたかったのよ」
「見つかりました?」
「少しだけね」
彼女はそれ以上話さなかった。けれど、帰り支度をする日の満足そうな顔を見れば、成果があったことは分かる。
レオンは、自分にもその文字が見えるのか気になった。しかし今の魔力量では、期待しすぎない方がよさそうだった。
王国を出る朝、レオンはラドクリフと握手した。
「今度は酒でも飲もうぜ」
*だから未成年を誘うなって*
レオンは少し苦笑いして
「遠慮しますよ。絡まれたくないから」
「そう言うなって」
2人は笑った
傭兵たちは別の街道へ向かい、レオンとソフィアはアリティア王都への帰路についた。
◇
王都では、鉱夫たちが救われた知らせが先に届いていた。
だが、アルベリック王はソフィアの報告を聞き、呆れた顔をしたそうだ。
「支援の見返りを、その場で自分で決めたのか?」
「ヴォルカン王が望みを聞いてくださったので」
「お前は国同士の取り決めを、魔導書を読む時間に替えたのだな」
「貴重な時間でした」
ソフィアは真面目に答えたらしい。
その話をエドガーから聞かされたレオンは、爆笑した。
実にソフィアらしい。
ただ、雪の渓谷で見た彼女の姿については、まだ誰にも話せていない。
十万でも測れなかった魔力。
攻撃を目で追うことすらできなかった。
長くなった耳と、色の変わった目。
そして、あの力を目の前にしたとき、自分が感じた恐怖。そう、あれは恐怖だった。圧倒的な力に対する恐怖。それは遺跡で見た夢と同じだった。




