第32話 氷ひとかけら
王城の奥へ進むほど、人の姿は少なくなった。
レオンは許可証を手に、二つ目の詰所で足を止める。
「所属と目的を」
「王都調査局第三支部、レオンです。魔導書の閲覧許可をいただいています」
衛兵は許可証を確かめ、名簿とレオンの顔を見比べた。
「……この部屋の許可が?」
「はい。一応…」
衛兵は笑わず、ようやく道を開けた。
ここへ来るまでに二度呼び止められた。許可証を持っていても、それだけ慎重に確認する場所なのだ。第三支部に入って日の浅い自分が普段なら入れる部屋ではない。
重い扉の前で、レオンはもう一度許可証を見せた。
鍵が外され、扉が開く。
「広いな……」
外から見た扉の幅とは釣り合わない。中にはいくつもの書架が並び、奥は窓からの光が届かないほど深かった。
「ドワーフ王国から運んだのですか?」
管理を担当する魔導士に尋ねる。
「現物はあちらにあります。ここにあるのは写本ですよ」
「百八十五冊全部ですか?」
「そうです。書物の数なら、もっとあります。同じ術を別の方法で記したものもありますから」
レオンは近くの一冊を手に取った。写本なのに、表紙から微かな魔力を感じる。
「訳文だけを書き写したわけではないんですね」
「術式も再現しています。ただ読む分には問題ありませんが、ここで発動しないでください」
「わかりました」
レオンは丁寧に頷いた。
わざわざ念を押された理由を、衛兵たちの厳しい顔から想像したくなかった。
◇
まずは手近な本を開いた。
《空間固定》。
「何もない場所にロープの端を固定する術……」
もう一冊は《拘束縄》。ロープを動かし、人や魔物を縛る術らしい。
図には結び方と、拘束した相手を傷つけないための注意まで細かく描かれていた。
「地味だな。役に立つ場面はありそうだけど……」
『空間固定は、魔力制御の基礎を学ぶのに適しています』
世界の声が告げる。
分かった。候補には入れておく。
そう答えながら、レオンは次の棚へ進んだ。
《鏡面清掃》。鏡をぴかぴかに磨く魔法。
《虚言感知》。相手の言葉に嘘が混じると、術者に知らせる魔法。
これは便利そうだと思った矢先、《虚言鼻伸ばし》が目に入った。嘘をついた相手の鼻を一時的に伸ばす術だという。
「こっちは、誰が作ったんだ……」
《虚言感知》の方には、使う者自身が何を「嘘」と判断するかで結果が揺れると書かれていた。人の心を確実に読める魔法ではない。
《虚言鼻伸ばし》にも、同じ注意がある。
誤判定で鼻が伸びたら、話し合いどころじゃないな。
レオンは本を静かに閉じた。
適当に開くのはやめよう。背表紙の題名から、真剣に選ぶ。
『空間固定は――』
あとで。
世界の声から返事はなかった。
◇
一時間ほど棚を見て回り、レオンは《氷形術》という本を選んだ。
氷を作る魔法なら、現代にもある。王都の試験で対戦した女性も、氷の粒を放っていた。
だが、この本には氷の大きさだけでなく、形を変える方法が記されている。
薄く広げれば足場になる。細い刃にすれば攻撃にも使える。湖の一部を凍らせ、短い距離を渡ることもできるかもしれない。
「これにしよう」
術式の写しを取ってよいか管理の魔導士に確認すると、訓練場へ持ち出せる一冊を渡された。
「実技用の写本です。庭の指定された区画で試してください。人のいる方へは向けないように」
「分かりました」
◇
王城の庭に設けられた訓練区画で、レオンは水の入った鉢を前に座った。
本を開き、魔力の流れを確かめる。
水の中に冷たい場所を作る。そこから周囲へ術を広げ、形を保つ。
文字で読むと、三行だった。
実際に試すと、水面が少し揺れただけで終わる。
二度目は鉢の縁が冷たくなった。
三度目は鉢の縁から水に薄い膜が張った。
しかしこれでは氷はできるが、成形ができない。
「思ったより難しいな」
《発火》は燃えるものに触れる必要があった。強い火の魔法は、方向と威力を抑えるのに苦労した。氷は氷で、冷やしながら形を保たなければならない。
レオンは用意した飲み物を飲み、また本を読み直した。
「魔力を強く流せばいいわけじゃないんだ」
『はい。現在は、冷却と形状維持に使う魔力の配分が安定していません』
「知ってたんなら、最初からそれを教えてよ」
『術式を実際に使用したことで、原因を確認できました』
「……なるほど」
レオンは手のひらを鉢にかざした。
鉢の中央の小さな範囲だけ冷やす。広げすぎない。
何度か試した後、水面に白いものが浮いた。
指先ほどの、小さな氷だった。
レオンはそっとつまむ。確かに冷たい。
「できた」
【氷形術:初歩の形成に成功】
表示を見て、レオンは笑った。
氷の刃を作るにはまだまだここから成長させる必要がある。
それでも、氷は氷だ。
「これで夏の暑い日も、冷たい水が飲めるな」
『現在の形成量では、飲み物一杯を十分に冷やすことは困難です』
「分かってるよ」
レオンは溶けかけた氷を鉢へ戻した。
先は長い…。
これは炎の魔法で言うと発火に近い。燃えるものがあるから使える。水があるから凍らせられるのだ。
最終的には水が無いところで氷の刃を作ることが目標だ。
そのためには空気中の水蒸気が使う必要があるが、そのためには大量の空気を集める必要があるのではないか?
『その推測は正しいです。空気中の水蒸気量は少ないため多量の氷を作るためには魔力により周辺の空気を集める必要があります。具体的なやり方はおそらく魔導書に記載されていると思われます』
レオンは魔導書を読み進めた。
確かに水を凍らせて作ることの次の章に何もないところ氷を成形する技術について書かれている。
練習の題材として氷の彫刻の成形が書かれていた。
*なるほど。雪の嬢王の〇〇サはこの魔法を使って氷の城を作ったのか*
変なところで納得して練習に戻った。
◇
場所が変わってドワーフ王国。
ヴォルカン王は、魔導書の解読報告を机に置いた。
「百八十五種か。上出来だ」
失われた魔法をこれだけ復活させられたのは、ドワーフの調査員と西の王国から来たソフィアたちの働きによるものだ。
だが、報告書の後半を読み、王は眉を寄せた。
軍事に使える術。魔鉱石の加工を変える可能性のある術。街道や工房で役立つ術もある。
すべてアリティア王国に共有したのは、失敗だったか。
少し考え、ヴォルカンは首を振った。
そもそも自分たちだけでは、遺跡の入口さえ開けられなかった。共同調査の取り決めも守るべきだ。それに魔導書の価値は、読んだだけでは手に入らない。使える者を育てる時間が要る。
今、その時間を鉱山の人々は待てなかった。
ヴォルカンは別の地図を広げた。
北方の魔族に奪われた鉱山。その周囲へドワーフの精鋭を送り、襲撃がほかの鉱山へ広がるのは止めた。だが、坑道を守る魔族も退かない。両軍は向かい合ったまま動けずにいる。
「春まで待てば、他国の兵も動かせるかもしれん」
王は独り言のように言った。
今は冬だ。北の高山へ兵を出してくれる国は少ない。鉱山の権利が絡む以上、援軍を求める条件もすぐには決められない。
その間も、捕らえられた鉱夫は働かされている。
食事は足りているのか。寒さをしのぐ服はあるのか。
ヴォルカンは報告書の端を押さえた。
「傭兵を雇うか」
金なら用意できる。だが、あの鉱山を押さえた魔族に対抗できる者となれば、誰でもよいわけではない。
王は深いため息をついた。
◇
その頃、アリティア王国の王都では、レオンが庭の訓練場に立っていた。
手を向けると、拳ほどの氷が三つ浮かぶ。
「行け!」
氷は標的へ飛び、一つは中央に当たり、二つは左右へ外れた。
一週間前なら、小さな氷を一つ作るのが精いっぱいだった。進歩はしている。だが、刃の形にしようとすると先端が丸くなり、無理に細くすれば途中で砕ける。
「氷の刃は、まだ先か」
レオンは氷を片づけ、次の本を開いた。
《旋風術》。以前から使っている《かまいたち》より大きく風を巻き、相手の動きを妨げる魔法だ。レオンはひそかに《トルネード》と呼んでいる。
風が足元で渦を巻いた。
一回転、二回転。三回目に入る前に、ふっと消える。
「……今日も短い」
もう一度試す。今度は二回で終わった。
魔法のセンスがないのかもしれない。
『風の流れを保つ前に、中心へ魔力を使いすぎています』
世界の声が答えた。
「そこまで分かるなら、手も貸してほしい」
『魔力の使い方はお伝えできますが、制御については私はお役に立てません』
「わかってるよ」
レオンは本を閉じた。
氷も風も、強い魔力を一度流せば完成するわけではない。分かっていても、別の術を試したくなる。今日はもう魔力が減っていた。
「夕飯を食べて、明日またやろう」
◇
夜の食堂は、暖炉の熱と人の声で満ちていた。
レオンが席を探していると、奥の卓から笑い声が上がる。武具を身につけた五人組の傭兵が、酒杯を並べていた。
その前を通り過ぎようとしたとき、一人が声をかけてきた。
「おい、少年。その制服、アリティアの兵士か?」
「そうです」
「こんな時間まで剣を持って歩いて、見回りか?」
「夕飯です」
レオンは短く答え、空いた席へ向かった。
別の傭兵が笑う。
「ずいぶん愛想がないな」
無視して座ろうとすると、隊長らしい男が椅子を引いた。
「待てよ。兵士なら少し相手をしてくれ。王都の新人がどのくらい強いか見たい」
「食事の後なら訓練場でどうぞ。今は腹が減ってますので」
「腹が減ってるから戦えないのか?」
傭兵たちがまた笑った。
レオンは立ち止まる。酔った相手に付き合う必要はない。そう考えていたのに、隊長の次の一言が耳に残った。
「魔族が出たら、夕飯を理由に逃げるのかな」
「……その冗談は面白くないですね」
レオンは振り返った。
隊長も笑みを消し、立ち上がる。椅子が床を擦った。
周囲の客が距離を取る。
「外へ出ますか」
レオンが言うと、背後から落ち着いた声がした。
「出なくて結構です」
ソフィアだった。
いつからいたのか、店の入口で二人を見ている。
傭兵の隊長が目を丸くした。
「ソフィア殿?」
店の主人も厨房から顔を出し、ほっとしたように頷く。彼女の顔は、ここでも知られているらしい。
「彼は私の知人です」とソフィアが言った。「食事をさせてあげてください」
「俺は、少し冗談を――」
「魔族との戦いを冗談にするのは、やめた方がいいですよ」
静かな声だった。隊長は頭をかいた。
「悪かった。こちらが言いすぎた」
レオンも息を吐く。
「俺も挑発に乗りました。すみません」
「本当は最近の王都の兵士の話が聞きたかっただけなんだ。俺はこの部隊の隊長をやっているラドクリフ・トルストイだ。こっちで食わないか?ソフィア殿も宜しければ」
レオンとソフィアは同じテーブルに移動した。仲直りしたところで、食堂の主人が料理を運んでくる。
傭兵たちの話を聞くと、彼らはドワーフ王国へ向かう途中だった。
「北の鉱山で魔族退治だ。報酬が出るらしい」
ラドクリフが言う。
「冬の山ですよね」
「ああ。ご苦労な仕事だろ?」
「そうですね。……どうか気をつけて」
レオンは料理に手をつけながら答えた。
「最近、魔族の動きが増えているのは知っていると思うが、王都の兵士の任務も影響あるか?」
ラドクリフがレオンに聞いた。
「そうですね。魔族討伐の任務は増えているみたいですね」
「大陸の東部でかなり強力な魔族が退治された任務を知っているか?」
レオンは言葉に詰まった。話してよいかわからない。
「事実よ。ノルムという魔族を討伐したわ」
とソフィアが答えた。
「俺たちも別の王族から依頼を受けていてな。魔族を探して長く調査していたのだが、先に討伐されちまった」
「結構な報奨金だったんで、ちょっとイライラしてたんだ。そのせいで制服みてからんじまった。すまなかったな」
*なるほど、俺たちが討伐したらからか*
「いえ、もういいですよ」
ラドクリフは続けた。
「最近魔族が活発なのは魔王が復活しかけているとの噂だが、それでどの国も警備を強化し、調査隊を各地に派遣している。ちょっと前までは傭兵の依頼が多かったんだが、最近は逆に減っているんだ」
酒の勢いもあり、隊長の話は止まらなかった。
「おまけに魔族も強くなっちまってな。正直、戦闘訓練を受けたことのない俺らには手に余っていたんだけどな」
レオンは傭兵達の魔力を測定してみた。
一番強い魔法使いで四百三十五。隊長は見たところ剣士のようで魔力は二百七十六だった。
第三支部の調査隊でも決して弱い方ではない。だが、ノルムに挑まなくて正解だった。
ノルムの魔力は一桁以上高かったのだから。
「ねぇ、ちょっと聞きたいのだけど、鉱山の魔族退治を依頼したのはドワーフ王国から直接なの?」
ソフィアが聞く。
「ああ、ドワーフ王のヴァルカン直々だ。ちょっとコネがあってな。…と、言っても実際はドワーフの軍隊のサポートが任務さ。北の大地で真冬だとほかの王国には支援は頼めないのだろ。俺たちみたいに金次第で動いてくれるやつがうってつけってわけだ」
ソフィアは少し考えていたが、
「気を悪くしないで聞いてほしいのだけど、今のままではおそらく勝てないわ。鉱山を占領している魔族はおそらくノルムよりも強い」
ラドクリフは少し黙っていたが、思い直したように答えた。
「そうかもしれないな。けど俺たちは金になるなら挑戦するさ。勝てなくても死ななければ報酬はもらえるからな」
「ドワーフ王が急いでいる理由があるのかしら」
「さあな、俺たちにはわからねぇ。だが、鉱山には捕虜が大勢いるらしいからそいつらの身を案じているんじゃねぇかな。今は冬だしな」
ソフィアは再び考え込んでいた。
レオンも聞いていて不安になったが、ドワーフ王国から要請がない限りこちらが勝手に動くわけにもいかない。
◇
宿舎へ戻ったレオンを、第三支部の伝令が待っていた。
「レオンさん。エドガー様から、すぐ来るようにとのことです」
「この時間に?」
「緊急です」
レオンは外套を脱ぎかけた手を止めた。
食堂で聞いた北の鉱山の話が、頭に浮かぶ。
「分かりました。すぐ行きます」
夜の廊下を、レオンは早足で進んだ。




