第31話 見つからなかった記録
ドワーフの遺跡の調査は、二週間が過ぎても終わらなかった。
理由は単純だった。
魔導書が多すぎる。
保管室の棚を一段調べるだけでも、本の状態を確認し、表題を写し、危険な魔法がかけられていないか確かめる必要がある。
ドワーフの調査員が増員され、ソフィアも手伝った。
それでも、目録を作れたのは全体の三分の一ほどだった。
「こんなにあったのか……」
レオンが棚を見上げると、隣でソフィアが本を開いた。
「まだ奥にもあるわよ」
声が、いつもより明るい。
彼女は朝から晩まで魔導書を読み、紙へ書き込み、また別の本へ手を伸ばしていた。
食事に呼ばれても、すぐには立たない。
「ソフィアさん。皆、待っていますよ」
「あと少し。この術式の続きだけ」
その「あと少し」が、一度で終わったことはなかった。
一方、ラグナとヤンデンは、書物より装備品の調査に興味が向くようだった。
ただし、勝手に身につけようとするとソフィアに止められる。
「まだ、かけられている魔法を調べていないでしょう」
「見るだけだって」
ヤンデンの返事を、レオンは何度か聞いた。
日中はそうして遺跡を調べていたが、夜になると行動が分かれた。
ソフィアは遺跡に遅くまでとどまることもあったし、こっそり宿へ魔導書を持ち帰ることもあった。レオンは見なかったふりをした。
ヤンデンとラグナは、王都の街へ繰り出した。
「今夜はどこへ?」
レオンが尋ねると、ヤンデンが待っていましたとばかりに答える。
「エルフが営む酒場だ。歌も料理もいいぞ」
「エルフですか!」
レオンは少し惹かれた。
「酒を楽しみながら、いろいろ話もできるしな」
ヤンデンの顔は緩んでいる。
*ちょっと待てよ。俺、未成年じゃん。見た目は……。*
「おい、レオン。お前、まだ未成年だよな」
*さすがラグナさん。鋭い突っ込み。*
「え、そうなのか! 残念だなあ。まあ、またいつか連れていってやるよ。じゃあ、行ってくる」
ヤンデンは上機嫌で出かけていく。
ちゃっかりラグナもついていった。
*心は三十八歳なんだけどな……。*
レオンは自分の部屋へ戻った。
◇
昼間は、レオンも魔導書の整理を手伝った。
古代文字は、ところどころしか読めない。
それでも、本の寸法を測り、棚の位置を記録し、表紙の紋様を写すことはできた。
石板へは、その後も何度か近づいた。
しかし、新しい記録が再生されることはなかった。
*同じものを、もう一度見ることはできる?*
『記録への再接続が成立していません』
*なぜ?*
『原因を特定できません』
あのとき見た光景は、頭に残っていた。
クリスという子供。
ラインハルトと呼ばれた父親。
ディアスという名前。
棺に横たわる女性と、機械に囲まれた部屋。
忘れないうちに、レオンは自分の記録帳へ書き留めた。
ただ、それを調査報告へどう書くべきかは決められなかった。
見たものを順に並べても、何が起きたのか説明できない。
特に、あの部屋だった。
配線につながれた装置と、数字の動く画面。
前世の記憶があったから、機械だと思えた。
この世界で育った人間に、同じように伝わるだろうか。
レオンは書き終えたページを閉じた。
◇
三週間が過ぎ、王都への帰還期限が迫った。
調査を終えるには、まだ時間がかかる。
ハロルドはドワーフ側と相談し、現地の調査員へ作業を引き継ぐことにした。
ソフィアが透明な壁を通るための蓄魔具を用意し、書庫には別の結界を張った。
「渡した通行証を持つ者だけが入れるようにしてあるわ。人数や管理の方法は、そちらで決めてちょうだい」
ドワーフの責任者が、慎重に通行証を受け取る。
ソフィアは、その後ろの書棚へ目を向けた。
「……あと一週間あれば」
「その一週間が終わったら、また一週間と言うだろう」
ハロルドに言われ、彼女は黙った。
レオンは少し笑った。
否定しないところを見ると、本人にも心当たりがあるらしい。
一行は、整理できた資料と写しを携えて、王都へ戻った。
◇
それからしばらくして、王都にも冬が来た。
朝の訓練場では、吐く息が白くなった。
レオンは任務の合間に《ホーリー・ブラスト》の練習を続けた。全力で放つのではなく、少ない魔力で形を保ち、狙った場所へ当てる練習だ。
《魔力超強化》も、ときどき試した。
力を引き出せるようになっても、持っている魔力そのものが増えるわけではない。
二つを安易に組み合わせれば、動けなくなることは目に見えていた。
記録帳には、使用時間と消耗の程度を書き留めた記録が、少しずつ増えていく。
そんなある日、ライゼンから呼び出しを受けた。
◇
「失礼します」
部屋へ入ると、先客がいた。
「ソフィアさん?」
窓際の椅子に、白いローブの少女が座っていた。
膝の上には、分厚い本が三冊。
レオンに気づいても、読みかけのページへしおりを挟むまで顔を上げなかった。
「来たのね、レオン」
「その本、ドワーフの遺跡のものですか?」
「写しよ。ようやく届いたの」
声が弾んでいる。
ライゼンが向かいの席を示した。
「現地から、魔導書の解読報告が届いた。発見された書物の内容は、一通り確認できたそうじゃ」
「全部ですか?」
二週間調べても、三分の一しか終わらなかった棚を思い出す。
「ずいぶんかかりましたね」
「古代文字を読むだけでは済まないからのう。欠けた部分を別の書物と照合し、今の言葉へ直す作業も必要じゃ」
「私が残れれば、もう少し早かったと思うわ」
ソフィアが残念そうに言った。
「残っておったら、今も帰ってこなかったじゃろう」
ライゼンの言葉に、彼女は本の表紙を撫でた。
レオンは笑うのをこらえた。
「現代でも使える形にまとめられた魔法は、百八十五種じゃ」
ライゼンが報告書を開く。
「今後、必要な魔力量や安全性を検証する。すべてをすぐ実戦へ出せるわけではないが、大きな成果じゃよ」
「百八十五……。覚えるだけで何年かかるんでしょう」
「全部覚える必要はないわ。自分に合うものを選べばいいのよ」
ソフィアがすぐに答えた。
レオンは、その膝にある三冊を見た。
「ソフィアさんは、いくつ選んだんですか?」
「まだ選んでいるところ」
答えになっていない。
レオンは、それ以上聞かなかった。
「調査に参加した褒美として、お前にも、翻訳した魔導書を閲覧する許可が出た」
ライゼンが許可証を差し出す。
「原本はドワーフ王国で保管し、こちらには写しを置く。取り扱いは書庫の担当者に従いなさい」
「ありがとうございます」
レオンは受け取り、押された王都の印を確かめた。
百八十五種。
ありがたい。
ただ、選ぶところから、かなりの時間がかかりそうだった。
◇
ライゼンが報告書を閉じた。
「さて、もう一つ聞きたいことがある」
声の調子が変わった。
「遺跡で見た記録についてじゃ」
レオンの指が、許可証の端で止まる。
ソフィアも、本を膝の上へ置いた。
「石板の前で突然意識を失ったことは聞いておる。その間、何か見聞きしたものはないか?」
「……はい」
「今も、覚えておるか?」
「覚えています。ただ、自分でも理解できなくて」
ライゼンは机の上へ、石板の写しを広げた。
「保管室の石板に、過去の記録を残したと書かれていたそうじゃ。しかし、ドワーフの調査員たちは、記録を取り出す方法を見つけられなかった」
ソフィアが頷く。
「私も調べたけど、反応はなかったわ。あなたに何が起きたのか、術式からは確かめられなかった」
「俺だけが、見られたんですか?」
「今のところはね」
レオンは一度、息を吐いた。
自分にも分からない。
それを理由に黙っていても、何も進まないのかもしれない。
「順番に話します。三つの場面を見ました。同じ人物の記憶かどうかは、分かりません」
◇
最初は、祭りの前の町だった。
クリスと呼ばれる子供が、パンを買って家へ戻る。
家族と食事をしていたところへ魔族が襲い、父親は黒い槍で刺された。
「父親は、ラインハルトと呼ばれていました。襲ってきた魔族に、『ディアスの差し金か』と」
ライゼンが二つの名前を書き留めた。
ソフィアの指が、本の上で止まった。
「その名前は、はっきり聞こえたの?」
「はい。あと、タスメニア王国から劇団が来るという話と、ケスク洞窟という地名も」
「なるほど……」
ソフィアは考え込んだが、その場で結論は口にしなかった。
レオンは続きを話した。
母親が雷で魔族を倒したこと。
残る敵を引き受け、クリスを洞窟へ逃がしたこと。
洞窟の先に小屋があり、扉が開いたところで場面が変わったこと。
「子供は助かったのか?」
「そこまでは分かりません」
ライゼンは頷き、続きを促した。
二つ目は葬儀だった。
教会のような建物。棺の中の女性。大勢の参列者。
「誰なのか分からないのに、ひどく悲しかったんです。自分で泣いているつもりはないのに、涙が止まらなくて」
「記録された人物の感情まで、伝わったのかもしれんのう」
「俺も、そう思います」
三つ目は、機械のある部屋だった。
配線。数字の動く画面。棺に似た装置。
レオンは、言葉を選びながら説明した。
「魔導具かもしれません。でも、俺がこれまで見たものとは違いました。横たわっていた装置の蓋が閉じられて、男の人が何かを操作したところで終わりました」
「その男は、何を話していた?」
「声は聞こえたんですが、言葉が不鮮明で。俺……記録の中の人物も答えていたようですが、その内容も分かりませんでした」
話し終えると、部屋が静かになった。
ライゼンは記録を見直し、尋ねた。
「三つの場面をつなぐものは、あったか?」
「分かりません。葬儀の女性が、最初の子供の母親なのかどうかも……」
自分の口で答えて、少し胸が重くなった。
顔も、名前も、確かめられなかった。
悲しみだけが残っている。
◇
「ディアスという名には、心当たりがあるわ」
ソフィアが言った。
レオンは顔を上げた。
「魔族なんですか?」
「古い戦争の記録に出てくる名前よ。ただ、名前が一致するだけで同じ人物とは言い切れないわ。ラインハルトや、地名も合わせて確かめたい」
「いつ頃の記録ですか?」
「かなり古い時代のものね。百年やそこらじゃないわ。正確な年代は、資料を見てから話すわ」
レオンは、膝の上で手を組んだ。
百年前の勇者に関係する記録だと、どこかで思っていた。
しかし、そうとは限らない。
三つの場面が、同じ時代である保証もなかった。
「葬儀の場面で、ほかに覚えていることは?」
ソフィアが尋ねた。
レオンは迷ったあと、答えた。
「参列者の中に、青い髪の少女がいました」
ソフィアの目が、静かにこちらを向く。
「顔は見えた?」
「遠くて、よく分かりませんでした。ただ、どこかで会ったような気がして……」
そこまで言って、レオンは口を閉じた。
目の前の少女も、青い髪をしている。
だが、それだけで結びつけるのは無理があった。
ソフィアは少し黙り、それから言った。
「髪の色だけでは、誰かは分からないわね」
「はい」
ライゼンが書き込みを終えた。
「まずは、聞き取れた名前と地名から調べよう。映像の印象だけで年代を決めるより、確かな手がかりになる」
レオンは頷いた。
ようやく、あの記録を自分一人で抱えていなくてよくなった気がした。
◇
ライゼンは、石板の写しを指した。
「もう一つ、解読で分かったことがある。似た施設が世界各地にあり、それぞれに記録が残されているらしい」
「ほかの遺跡にも、ああいう記憶が?」
「その可能性はある。ただし、すべて同じ内容や仕組みとは限らん」
アルネ村の遺跡には、試練があった。
ドワーフの遺跡には、魔導書と装備品、そして記録があった。
似ていても、役割は違うのかもしれない。
「国交のある国へ、古代遺跡の情報を問い合わせる。存在が確認されている施設だけでも、他国に少なくとも二つあるそうじゃ」
「調べに行くのですか?」
「まずは記録を集める。場所が分かっても、入れるとは限らんからな」
レオンは、世界の声へ問いかけた。
*ほかの遺跡の場所は、分かる?*
『現在参照可能な情報から、候補地を推定できます』
*どこに?*
『南の山岳地帯と、東の森林地帯です。ただし、正確な位置は特定できません』
*どうして、その場所だと分かる?*
『今回確認した施設の情報に、ほかの施設の位置を示す記述が含まれています。地形情報との照合結果です』
レオンは石板の写しを見た。
自分には読めなかった文字も、世界の声は別の情報と組み合わせているのだろう。
*そこへ行けば、入れる?*
『不明です。古代の魔法により、入口が隠されている可能性があります。また、守護する魔物や内部構造は、施設ごとに異なると考えられます』
レオンは顔を上げた。
「世界の声にも聞きました。南の山岳地帯と、東の森林地帯に候補があるそうです。今回の遺跡の情報から推定したと」
ライゼンが地図を広げた。
「場所は、どの程度まで絞れる?」
「今は地域までです。入口が隠されていたり、魔物に守られていたりする可能性もあるそうです」
「分かった。他国の記録と照合してみよう」
地図の二か所へ、小さな印がついた。
「情報が一致すれば、調査を進められる。だが、勝手に探しに行くでないぞ」
「行きませんよ」
即答すると、ソフィアがレオンを見た。
「アルネ村では、一人で地下へ入ったんでしょう?」
「……あれは、試練の仕組みを確認してからです」
「その話も、あとで聞かせてもらおうかのう」
*しまった、はめられた……。*
話すことが、また一つ増えた。
◇
部屋を出る頃には、窓の外が薄暗くなっていた。
冬の王都では、人々が上着の襟を立てて歩いている。市場の店先には灯りがともり、焼きたてのパンを抱えた子供が、人の間を駆け抜けていった。
レオンは、窓の前で足を止めた。
籠を持って走っていたクリスの視界が、一瞬重なる。
あの子供は、どこで生きていたのだろう。
葬儀で泣いていたのは、誰だったのか。
最後の装置は、何のために使われたのか。
*世界の声。なぜ、俺にあの記録を見せた?*
『接続者が再生条件を満たし、再生を選択したためです』
*そういう意味じゃなくて……。記録を残した人は、何を伝えたかったんだろうな。*
『現時点では、目的を特定できません』
予想していた返事だった。
それでも、名前と地名は残った。
ライゼンとソフィアが、調べてくれる。
レオンは許可証を握り直した。
まずは、自分にも読めるようになった魔導書を調べよう。
そこに答えがあるかは分からない。
だが、あの遺跡から持ち帰ったものは、分からない記憶だけではなかった。




