第26話 古代遺跡の試練
アルネ村の入口が見えたとき、レオンは思わず歩調を速めた。
見慣れた畑。低い石垣。広場へ続く土の道。
風が麦の穂を揺らし、どこかで薪を割る音がしている。王都では人や馬車の音に囲まれていたせいか、村の音は一つひとつ、はっきりと聞こえた。
離れてから、まだ一年も経っていない。
それなのに、ずいぶん長い旅から戻ったような気がした。
「レオン!」
最初に見つけたのはセラだった。
井戸のそばに水桶を置き、こちらへ駆け寄ってくる。
「本当に帰ってきたのね。手紙には『近くへ行くかもしれない』って書いてあっただけだったから」
「任務が早く終わったんだ。セラも元気そうでよかった。あれから、魔族は来ていない?」
「村は平和よ。あなたと王都の調査隊のおかげでね」
セラはレオンの旅装を眺め、笑った。
「すっかり兵士らしくなったじゃない」
「装備だけはね」
その声を聞きつけ、広場にいた村人たちが集まってきた。
「村一番の戦士が帰ったぞ!」
「王都の兵士になったんだろう?」
「背は伸びたか?」
「半年ではそんなに変わらないよ」
皆が笑った。
レオンも笑いながら、一人ひとりに挨拶を返した。
◇
家の前では、マーヤが待っていた。
レオンを見るなり歩み寄り、両肩をつかむ。
「怪我は?」
「今はないよ」
「『今は』って言い方が気になるわね」
横からダレンが顔を出した。
「まず家に入れてやれ。尋問は夕飯の席でもできる」
「おじいちゃんまで尋問するつもり?」
「村長として、報告を受ける義務があるからな」
そう言いながら、ダレンはレオンの荷物を受け取った。
以前と同じ声。同じ玄関。台所から漂ってくる、野菜と肉を煮込む匂い。
レオンは、ようやく肩の力を抜いた。
「ただいま」
マーヤの手が、肩から背中へ回る。
「お帰り」
◇
持ち帰った荷物は、思ったより多かった。
マーヤには王都で評判の焼き菓子と香辛料。ダレンには新しい地図と、丈夫な紙を束ねた帳面を渡した。
焼き菓子は薄い紙に包まれ、箱を開けると、バターと蜂蜜の甘い香りが広がった。
「美味しそうね!これは、お茶のときにいただきましょう」
マーヤはそう言ったが、すでに一つ手に取っている。
ダレンは帳面をめくり、紙の厚さを指で確かめた。
「これは助かる。裏へ書いても、文字が透けにくそうじゃな」
村の見張りには、合図用の笛と、暗い場所でも目盛りが見やすい方位盤。
ガルドには細工のよい刃物と、折り畳める小さなのこぎりを持ってきた。
「こっちは何だ?」
ガルドが細い金属の道具を取り上げる。
「木や金属を挟んで、厚さや幅を測る工具だよ。王都の職人に使い方を教わったんだ」
「便利そうだが、俺の指より細かい目盛りは読めんぞ」
「そこは練習で」
「剣の稽古より難しそうだな」
ガルドは目を細め、工具を顔から遠ざけた。
セラには、日用魔法を集めた魔導書を渡した。
水の入った桶を運ぶ術のページを開いて見せると、彼女の目が丸くなった。
「本当にあるのね。冗談のつもりで言ったのに」
「俺も本屋で見つけたとき、驚いたよ。ほかにも掃除や片づけの術が載ってる。村に一冊あってもいいかなと思って」
「ありがとう。練習してみるわ」
セラは井戸の方を見た。
「これで桶を運ばなくてよくなるかもしれない」
「ようやく、桶が自分で歩く日が来るね」
「でも、洗う人は必要よ」
やはり、そう言われたか。
◇
夕方になると、家には村人たちが次々にやって来た。
食卓には肉と根菜の煮込み、焼いたパン、豆の和え物が並んだ。王都の料理ほど豪華ではないが、懐かしい食事が嬉しかった。
レオンは食事をしながら、王都での暮らしを話した。
百万人以上が暮らす街。魔法で動く荷車。膨大な数の魔導書が並ぶ本屋。
調査隊と東へ向かった話も、任務上の秘密に触れない範囲で伝えた。
「二メートルくらいの武闘家が、十メートルも跳んだの?」
セラが疑わしそうに聞く。
「俺も最初は見間違いだと思った」
「あなたは跳べないの?」
「膝を大事にしたいのでね」
ガルドが声を上げて笑った。
魔族の城で受けた攻撃については、言葉を選んだ。
危険な目に遭ったが、仲間に助けてもらった。それ以上は詳しく話さなかった。
それでも、マーヤには何か伝わったらしい。
皆が帰ったあと、食器を片づけながら、彼女は静かに言った。
「帰ってきてくれて、よかった」
「うん」
レオンは空になった皿を運んだ。
「また、ちゃんと帰ってくるよ」
マーヤは頷いた。
◇
翌朝、レオンは古代遺跡へ向かった。
丘へ続く道には、草が少し伸びていた。足元で小さな虫が跳ね、木々の間から鳥の声が聞こえる。
崩れた柱も、苔むした石畳も、村を出る前と変わらない。
だが、初めてここへ来た頃に比べれば、自分はずいぶん変わったはずだった。
レオンは中央の石へ手を置いた。
「世界の声。聞こえる?」
『はい。聞こえています』
「ここで確かめたいことがある。百年前の勇者のことと、俺の力のことだ」
『参照可能な記録を確認します』
しばらくして、声が答えた。
『百十五年前、勇者と呼ばれる人物が、この遺跡を初めて訪れています。その後、廃墟となっていた設備を修復し、拠点として使用できる状態に整備しています』
「この遺跡を? 昔は、もっと立派だったの?」
『地上部分の外観に大きな変化はありません。この施設の大部分は地下にあり、主に地下設備が整備されています』
レオンは足元を見た。
苔の間から覗く石畳の下に、別の施設がある。
「第三次魔導大戦で使うために?」
『整備の目的は明記されていません。勇者は十五年間、不定期にこの遺跡を訪れています』
「何をしに来ていたんだろう」
『設備の修復や調整を行っていた可能性があります。ただし、確認できる記録は限られています』
「具体的に、どんな設備を?」
沈黙があった。
『詳細な情報へアクセスする権限がありません』
「権限?」
『はい』
「データベースみたいな言い方だな……。どうすれば、その権限を得られる?」
『現在参照できる情報には、取得方法が記録されていません』
レオンは石から手を離した。
答えが出たと思えば、その先に別の扉がある。
しかも、鍵の場所は教えてもらえないらしい。
「じゃあ、俺の力について聞くよ。世界の声は、どうして俺のスキルを解放できるんだ?」
『接続者の習得条件を確認し、条件を満たした際に、術式の解放を補助するよう設定されています』
「接続者なら、俺以外でも同じことができる?」
『条件を満たしていれば、可能です』
「その接続者は、どうやって決まる?」
『複数の条件があります。詳細をお伝えする権限はありません』
「また権限か……」
レオンは苦笑した。
「それなら、今の俺が解放できるものは?」
『新たに解放可能なスキルはありません。ただし、地下一階の利用条件を満たしています』
「地下一階?」
レオンは、もう一度足元を見た。
『この遺跡の地下一階です。解放しますか?』
「ちょっと待って。そこには何がある?」
『試練が一つ設定されています』
「試練……。利用条件は何だったの?」
『魔力量が五百を超えること。そして、思考加速を習得していることです』
レオンは目を瞬いた。
「俺の魔力量、五百を超えてるの?」
『現在の推定値は、五百三十六です』
「初耳なんだけど」
『ご自身を測定対象に指定していませんでした』
言われてみれば、兵士や魔物の数字ばかり調べて、自分の数字は尋ねたことがなかった。
「自分にも魔力探知を使えるんだな」
『はい。可能です』
レオンは額を押さえた。
他人の成績を調べるのに忙しくて、自分の残高を見ていなかったようなものだ。
元証券マンとして、少し情けない。
◇
「その試練は、危険なの?」
『試練中は、肉体を模したアストラルボディで行動します。本来の肉体は開始地点で保護され、戦闘による損傷は受けません』
「じゃあ、負けても大丈夫?」
『敗北すると開始地点へ戻され、アストラルボディは再構成されます。ただし、痛覚はあります。また、消費した魔力は回復しません』
「安全とは言い切れない説明だね」
『はい。魔力の過度な消耗には注意が必要です』
世界の声は、答えた。
『なお、試練中は私との会話および観測補助を利用できません』
「なるほど。チートできないってことね」
『はい』
レオンは少し考えた。
身体は守られる。
だが、いつもの助けはない。
本当に自分の力だけで戦うことになる。
「途中でやめられる?」
『開始地点へ戻れば中断できます。また、継続に必要な魔力が不足した場合は、自動的に終了します』
「分かった。受けてみるよ」
レオンは持参した水と食料を置き、帰る時刻を確かめた。
夕方までには村へ戻る。
そう決めて、遺跡の奥へ進んだ。
床に光の線が走った。
今まで壁だと思っていた場所へ、扉の輪郭が浮かび上がる。
石が低い音を立てて動き、その先に地下へ続く階段が現れた。
◇
地下一階には、巨大な広間があった。
天井は十メートル以上。奥の壁までは、百メートル近くあるかもしれない。
壁に沿って青白い灯りがともり、床の継ぎ目が遠くまで続いている。
*こんな空間が、村のすぐ近くにあったのか……。*
広間の入口には、小さな台座があった。
レオンが触れると、足元に光の輪が広がる。
一瞬、身体が浮くような感覚がした。
気づくと、数歩先に立っていた。
振り返れば、入口の光の中に、自分の身体が横たわっている。
「……不思議な気分だな」
手を握る。
いつもと変わらない。
剣も、服も、同じだった。
広間の中央には、人型の大きな塊があった。
茶色い装甲。白い光沢。肩や胸に走る金属の継ぎ目。
見覚えがある。
ありすぎる。
*ちょーーーーーーーっと待てい!、これっ……*
像の目が光った。
内部で何かが回る音がし、巨体が動き出す。
「ゴーレムか! こんなのと一人で戦えるわけないだろ!」
返事はなかった。
ゴーレムが突進する。
大きいのに、速い。
レオンは身体能力強化を使い、横へ飛びのいた。
巨体が止まり、右手を向けてくる。
掌に光が集まった。
*出力は? どのくらいの速さで――*
何も表示されない。
魔力の塊が放たれた。
「防壁!」
間に合ったのは、術を張るところまでだった。
光は防壁を砕き、胸へ直撃した。
次の瞬間、視界が白く弾けた。
◇
気づくと、広間の入口に立っていた。
胸へ手を当てる。
傷はない。
痛みも消えていた。
ただ、使った魔力は戻っていない。
「本当に、戻った……」
レオンは中央のゴーレムを見た。
再び、動かない像に戻っている。
「けど、手も足も出ないぞ」
二度目は、足元を狙って先制した。
《衝撃》を放つ。
だが、ゴーレムの結界に弾かれた。
続いて振り下ろされた足を避けきれず、また入口へ戻された。
三度目は、《かまいたち》で関節を狙った。
浅い傷しかつかない。
二、三度は攻撃をかわしたが、最後は右手から放たれた光を受けた。
レオンは台座から離れ、試練を中断した。
本来の身体へ感覚が戻る。
「世界の声。今の俺には無理だ。出直すよ。これは、いつでも受けられるんだよね?」
『はい。再挑戦は可能です』
「合格すると、何が得られる?」
『新しいスキルの解放条件を満たせます』
「どんなスキル?」
『現在の参照権限では確認できません』
「ここにも権限か……」
レオンはため息をつき、水を飲んだ。
魔力量五百で挑める相手とは思えない。
条件が低すぎるのではないか。
そう考えたところで、もう一つの条件を思い出した。
思考加速。
*あれが必要なのは、理由があるのかもしれない。*
「もう一度だけ、試してみる」
『承知しました。残存魔力に注意してください』
◇
四度目は、ゴーレムが動き出すと同時に思考加速を使った。
迫る拳が、ゆっくりになる。
*見える。*
だが、自分の身体も同じように遅く感じられた。
身体能力強化を併用し、拳の届く位置から早めに離れる。
今度は避けられた。
*これなら、何が来るか考える時間はある。問題は魔力が持つかどうかだ。*
攻撃の前だけ思考加速を使い、避ける方向を決めたら解除する。
レオンは短く切り替えながら、ゴーレムの動きを観察した。
遠くでは突進か、右手からの魔力弾。
近くでは拳や足を使ってくる。
城のゴーレムを調べていたとき、ハロルドが言っていた。
前進は速いが、方向転換や細かな動きは苦手そうだ、と。
レオンは身体能力強化で左右へ動いた。
右へ進むと見せて、左へ切り返す。
ゴーレムの足が、一拍遅れる。
*本当だ。向きを変えるのは遅い。*
徐々に間合いを詰めた。
横から回り込み、胸へ掌を向ける。
「《衝――》」
右腕が、予想よりはるかに速く動いた。
拳が脇腹を打つ。
レオンは床を転がり、十メートルほど先まで飛ばされた。
息が詰まる。
*痛い。あばらが折れたか?いや今アストラルボディーだからあばらは無いのか?……いやそんなことよりも、ゴーレムの間合いに入ったらものすごいスピードで攻撃される*
模した身体でも、痛みは本物だった。
レオンは歯を食いしばって立ち上がる。
遠くから見た動きと、間合いに入ったときの動きは違う。
足の向きを変えるのは遅くても、腕は速いのだ。
*近づいた瞬間に、思考加速が必要だ。*
もう、魔力は少ない。
次の一回に懸ける。
レオンは左右へ動きながら接近し、胸の前へ回り込んだ。
*思考加速。*
右手が伸びてくる。
レオンは跳び、拳をかわした。
*よし、今度こそ――*
左手が動いた。
空中では、足の向きを変えられない。
どこへ逃げるべきか分かっても、身体を運べなかった。
「防壁!」
左手が防壁へぶつかった。
壁はかろうじて残ったが、踏ん張る足場がない。
レオンは防壁ごと吹き飛ばされた。
*跳んだのが、間違いだった……。*
再び立とうとしたとき、ゴーレムが迫る。
思考加速を使おうとしても、術が続かない。
視界が白く弾けた。
◇
試練が終了し、レオンは台座のそばで目を開けた。
身体に傷はない。
だが、起き上がるだけで息が切れた。
「今日は、もう無理だな……」
しばらく休み、どうにか階段を上がった。
地上へ出ると、夕方の風が汗ばんだ顔を冷やした。
レオンは石畳へ寝転び、空を仰いだ。
「厳しいな……」
村へ戻る頃には、足取りまでふらついていた。
当然、マーヤに見つかった。
「何をしてきたの?」
「訓練」
「帰ってきたときくらい、休んだらどうなの?」
「身体は怪我してないから」
「今、手をつかないと椅子から立てない人が言うことじゃないわ」
レオンは黙って、差し出されたスープを受け取った。




